第9話少女の夢と漆黒の野望①

文字数 5,928文字

 マイはベッドで仰向けになり、部屋の天井をぼんやりと眺めていた。クルーガーと一緒にいる時はそんなことが無かったのに、ローラの笑った顔や泣いた顔が繰り返し頭に浮かぶ。マイは試験不合格でも自分の選択に後悔はなかった。親友のルカ、そしてララやエミリ、エリーゼたちクラスメイトを助けることが出来た。クルーガーのおかげで魔族も撃退し、都市バルサの人々も救うことが出来たのだ。大切なものを守ることが出来たという安心感、満足感の一方で、ローラを、カーリック村を救うことが出来なかったという現実が、今になってマイの心を苦しめた。
 もしあの時、自分が神官であったなら、神の奇跡でローラを蘇生できたのではないか?
 マイの耳に残る「お姉ちゃんに会えて嬉しかった」というローラの最後の言葉が胸を締め付ける。

――生きてるうちにチビが教皇にでもなって、気に入らねえ教えやら戒律やらぶち壊してやれよ。
 ふとクルーガーの言葉を思い出す。

――クルーさん、意地悪だなぁ。もう私が神官になれないこと分かってるのに……
 マイは気だるそうに寝返りを打った。

「マイー、おともだちー。ルカちゃんとエリーゼちゃん来たわよー」 
 涙が溢れそうになったとき、母親の声がした。
 ルカと家で遊ぶ約束はしていない。ましてや、エリーゼが家に来るなどありえないことである。ルカたちとは、都市バルサで別れてから顔を合わせておらず、突然の訪問にマイは慌てて部屋を片付け、身だしなみを整えた。
「やっほー! マイー、元気してたかー? 旅行、行こうぜー」
「えっ? 旅行? って言うか、いきなり入って来ないでよぉ」
 ノックもせずにずかずかと上がり込んできたルカを押し返そうとする。
「お邪魔していいかしら?」
 部屋の入り口には、どこか気まずそうな表情でエリーゼが立っていた。
「遠慮すんなよ。エリーも早く入れって」
「ここ、私の部屋なのに……」
 ルカにすっかり部屋を占領されてしまい、マイはあきらめて腰を下ろした。
 マイの母親が「ゆっくりしていってねー」と愛想よく言いながら、テーブルにお茶とお菓子を置いていった。
「お、これうまいなー。エリーも食えよ」
「わたくしは、結構よ」
 まるで自宅のようにくつろぐルカとは対照的に、エリーゼはマイと視線を合わせるわけでもなく、ただ静かに座っている。
 そんなエリーゼをお構いなしに、ルカはお茶を飲みながら美味しそうにお菓子を頬張る。
「あ、あのぉ。ルカちゃん、さっきの話ってなに?」
 この場の空気に耐えられなくなったマイが先に口を開いた。
「ん? 話?」
「旅行に行こうって言ったじゃん」
「ああっ、それな。その話をしに来たんだよ」
 お菓子に夢中で、あきらかに話を忘れていた様子のルカが慌てて説明を始める。
「エリーの家さ、ダミール島に別荘持ってるんだよ。で、バルサで助けてもらったお礼に招待したいって、エリーが」
「ちょ、ちょっと、わたくしはそんなこと一言も言ってないわよ。それは、ルカが言い出したこと――」
「まあまあ、エリーはこう言ってるけど、ホントは感謝してるんだぜ。恥ずかしがってるだけでさ」
「クッ……好きなように解釈していただいて結構よ」
 エリーゼは投げやりに言いながら、頬を赤くした。
「誘ってもらって嬉しいんだけど、まだ宿題も残ってるし……ルカちゃんは終わった?」
「宿題は持っていけば問題なし。昼間遊んで、夜やればいいだろ? ちなみに私は、とことん自分を追い込んで最終日にまとめてやるタイプさ」
 ルカがぐっと親指を立てて、キメ顔をする。
 マイが「はあ……」とため息をつくのを見て、エリーゼが笑いたいのを我慢する。
「わかった、OK」
「よっしゃ! そう来なくちゃ。初等科の最後の夏、青春しようぜ!」
 ルカが満面の笑みでガッツポーズを見せる。
 エリーゼは変わらず無表情のまま、ルカが旅行の詳細を説明する間、じっと一点を見つめて座っていた。


 王都ボルン、マリアンヌ聖教教会本部の聖堂で講和を終えたブレンド統括神官は、過密スケジュールに追われて急いでいた。秘書に次の予定を確認しながら、通路を足早に進む。次は神学校の講堂で、高等科の生徒たちに特別講和を行う。さらにそのあとの予定も確認する。
「おいっ、むっつりロリコン」
 すれ違いざまに男から声をかけられ、ブレンドが振り返る。
「貴様っ、今なんと言った!」
「統括神官に向かって失礼な! 謝罪だけでは済まされんぞ!」
 従者の2人が剣の柄に手をかけて身構える。
 ブレンドが苦笑いしながら従者を下がらせ、秘書に「すぐ戻る」と言い残し、男に合図して中庭へ出て行った。
「来る前にはなるべく連絡してほしいものだな、レオン」
「忙しかったか?」
「それは君がよく知ってるだろ? いやがらせか?」
 クルーガーが悪戯っぽい笑みを浮かべる。
 統括神官は教会本部における位階第三位の役職であり、ユーシー王国全神学校の総長も兼任している。毎日、分刻みのスケジュールを余儀なくされている。
「お前に頼みがあるんだ。ユーフォルム神学校初等科6年のマイってやつを、中等科神官コースに入れてやってくれ」
「断る」
 ブレンドが呆れた顔で首を横に振る。
「お前好みの、小柄でショートカットのカワイイ子だぞ」
「俺は仕事にプライベートを持ち込んだりはせん」
「じゃ、王都中にお前の幼女趣味をばらす」
「ちょっと、待ていっ!」
「気が変わったか?」
 クルーガーは面白がって尋ねた。
「ちゃんと、訳を話せ。お前がわざわざ王都にまで来るということは、そろなりの理由があってのことだろ?」
 親友の言葉にクルーガーはうなずき、これまでに起こった一連の出来事を語った。
 黙って最後まで話を聞いていたブレンドは「分かった」と一言つぶやき、クルーガーの肩をポンと軽く叩いた。
「マイちゃんの進学のことは何とかする。魔族が持っていたアイテムの件はそのまま秘密裏に調査してくれ」
「おうよ。ありがとな。じゃ」
 クルーガーが手を振り、歩き始める。
「王都まで来たんだから、クロエに会ってやれよ。お前になかなか会えないから、寂しがってるぞ」
「クロエにはババアがついてるから大丈夫だ。そのうちまた会いに行く」
 気のない返事に、ブレンドは肩を落とした。
「それから、今度マイちゃんと話をさせてくれ。時間ができたら連絡する」
「……おさわりは無しだぞ」
「そういう意味じゃねぇよっ!」
 叫ぶブレンドを背にして、クルーガーは心底愉快な様子でその場をあとにした。


 ユーシー王国魔導士連盟本部の一室で、白い口ひげの男はロマンスグレーの頭を抱え、嘆いていた。それを目の前にして、もう一人の男が「何も心配ない。計画に狂いはない」と言い聞かせる。
「魔石がバレたらお終いだぞっ。一気に教会の犬どもが攻めてくる。私は、クロエやフェンリルに勝てる駒など持っていないぞ!」
「仮にそうなったとしても、私が対処する。テストは成功した。あとは量産するのみ」
「工房はすでに稼働させている。そっちはどうなんだ?」
 ロマンスグレーの男が貧乏ゆすりをしながら尋ねる。
「採掘は順調だ。魔石は安定して供給できる」
 2人の男は顔を見合わせてうなずいた。
「魔導士連盟と魔族の同盟が締結すれば、この大陸は新たな時代を迎えるだろう」
 真夏の暑い日中に、締め切られた部屋は魔族特有の冷気で満たされていた――。


 ユーシー王国ダミール島は、国が指定した特別開発地区である。
 居住区には高級住宅や高級別荘が建ち並び、大型リゾート施設や整備されたビーチを有する観光地としてさらに開発が推進されている。
 マイとルカそしてエリーゼの3人は、湾岸都市ダイバーから船に乗ってダミール島へ渡った。港から歩いてエリーゼの別荘へ向かう。
「すごいね。立派なお家ばっかり……」
 周囲は貴族のお屋敷のような建物ばかりで、マイは圧倒されていた。
「着いたわ。ここよ」
 厳かな門の前でエリーゼが立ち止まった。
「ひゃあー、エリーんちの別荘もえげつないなー」
「うちなんか、この島ではかわいいものよ」
 エリーゼは門を開け「どうぞ」と言って2人を招き入れた。
 美しい海が展望できるバルコニーに案内され、マイとルカは思わず息をのんだ。ビーチでは多くの観光客が、海水浴を楽しんでいる。
「朝と夕方は、水平線の太陽がとてもキレイよ。部屋に案内するから来て」
 エリーゼに案内されたのは、家具一式が高級ブランドで統一され、部屋の窓からも海を眺めることのできる豪華な客室だった。
 ルカとマイが再び息をのむ。
「すっげー」
「綺麗……」
「室内のものは自由に使って結構よ。荷物を片付けたら食事に行きましょ。おいしいレストランがあるの」
 そう言ってエリーゼは先に部屋から退室した。
「マイ、灯台が見えるぞ。ほら、あそこ」
「ホントだ」
 マイとルカは荷ほどきもそこそこに、窓から見える贅沢な絶景にすっかり魅了されていた。
――クルーさん、今ごろなにしてるのかな……
 灯台の先に広がる大海の水平線をマイはジッと見つめた。


 クルーガーは、都市バルサ教会支部のエド上級三等神官を訪ねていた。
 エドから受け取った解析結果と報告書に目を通す。
「……暗黒石?」
 初めて聞く名前の石にクルーガーがエドの顔を見る。
「体力と魔力を大幅に増幅させる魔石です。効果は絶大ですが、使用者の魂が削られるため、10分以上経過すると死に至ります」
「諸刃の剣ってわけだな」
「はい。その危険性が問題視され、150年ほど前に暗黒石の採掘および加工、それを用いた魔導武具の使用は法律で禁止されております」
 エドが補足説明をする。
「禁止されてる魔石で作られた指輪。それを魔族が持っていた……」
 クルーガーが報告書を見て考え込む。
「魔族が魔石を加工したり、魔導武具を用いたという記録はありませんでした」
「ああ。12年前の対魔族戦争でもそれは無かった。そもそも魔族が使う魔術と人間の魔術体系は根本が違う。人間の魔導武具は魔族には適応しねぇ。今回の襲撃でレイマーはララに指輪をつけさせた……」
「聖教騎士団の報告書から推測すると、カーリック村の事件もおそらく暗黒石が関係しているかと」
 クルーガーの脳裏に、カーリック村でビリーのそばから立ち去ったレイマーの姿が浮かんで消えた。
「国内で暗黒石が採れるのは……」
 クルーガーが報告書をパラパラとめくる。
「国内の採掘場はデルシャ海のアリュー諸島各地に点在しています。現在はすべて封鎖されております」
 エドがすかさず回答する。
「デルシャ海のアリュー諸島……湾岸都市ダイバーから船が出てたよな? 3年前に指定された特別開発地区、ダミール島だっけ?」
「はい。観光地、別荘地として人気の島ですね」
「まずはその近辺から探ってみるとするか。ありがとな」
 クルーガーが立ち上がり、笑顔で礼を述べた。
「私でお役に立てることがあれば、いつでもおっしゃってください」
 エドが尊敬のまなざしでクルーガーを見送った。

――いよいよ、人間サイドも怪しくなってきたな。魔族に内通してるヤツ、協力者がいるのは明白だ。魔族と組んで得するヤツは誰だ?

 難しい顔をしたクルーガーは教会支部をあとにして、次の目的地ダミール島へと向かった。


 エリーゼの案内でやってきたのは、島で大人気のレストランだった。おいしい肉料理でお腹を満たした後、3人はアイスクリーム店に立ち寄った。
 食後のデザートを注文し、店自慢のオリジナルソースをかけてアイスクリームを堪能する。マイはチョコレート、ルカはブルーベリー、エリーゼはストロベリーソースをかけてアイスを口に運ぶ。3人同時に「おいしい!」と舌鼓をうつ。
「すげぇうまいな。おかわりしようぜ。今度は何味食べる?」
「太るわよ、ルカ」
「エリーが嫌なら食べなくていいよ。アタシは食べる!」
「食べないとは言ってないでしょ」
 エリーゼがスプーンをルカの方に向ける。
「私、今度はブルーベリーが食べたいな」
「わたくしは、チョコレートかしら」
「じゃ、注文してくるな」
 ルカが席を離れ、再び注文待ちの列に並んだ。
 マイとエリーゼが二人きりになり、話が途絶える。
 もともと、まともに会話を交わしたことのない二人の距離が急に縮まるわけもなく、マイは何とかその場を持たせようと、他愛ない話題をエリーゼに振った。
「ねえ、あなたはなんで私を助けたの?」
「へっ?」
 思いがけない質問に、マイがびっくりする。
「本当に助けたかったのは、ルカだけなんでしょ?」
「そんなことないよ。私はみんなを助けたかった。エリーゼさんにルカちゃん、それにエミリちゃんにララちゃんも」
 マイはキッパリと否定した。
「わたくしは、あなたが大嫌い。だから、あなたもわたくしのことを……」
「エリーゼさんは、ルカちゃんが好き?」
「えっ……いきなり何を……」
 エリーゼが戸惑い、頬を紅潮させる。
「私はルカちゃんが大好き。だから、ルカちゃんが大切な友達は私も大切なんだ。私、カーリック村でできた妹みたいなお友達を亡くしたの。だから、あんな思いは二度としたくないし、大切な友達は絶対に守りたい!」
 マイはカーリック村の出来事をルカにだけ伝えた。エリーゼも、その事件についてルカから聞いて知っていた。今回、マイを元気づけるためにルカが提案した旅行を承諾したのもそういった背景からである。
「バルサでのことは、感謝してるわ」
「うん。私もエリーゼさんに感謝してるよ。こんな素敵な旅行をプレゼントしてくれて」
 マイが無邪気な笑顔を向ける。
「もし、わたくしのことを友達と思っているのなら、さん付けはやめてくださる?」
 エリーゼは照れ隠しにわざと怒ったような声で言った。
「うん、わかった。じゃあ、エリーちゃん」
「んん……では、わたくしもマイと呼ばせていただくわ」
 気取った態度を見せるエリーゼの顔は、一層赤くなっていた。
 それを見てマイが嬉しそうに微笑む。
「お待たせー。ん? 二人ともどした? マイは笑ってるし、エリーは顔赤いし、なんか変だぞ」
 ルカが二人の顔を見比べる。
「なにも変なことはないわ! さあ、食べるわよ!」
 アイスクリームを豪快に頬張り始めたエリーゼを見て、マイとルカは大きな声で笑い出した。

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