第25話少女の記憶と悲しきメロディ⑥

文字数 5,319文字

 クレア・モンフォールは、王城から教会本部までの帰り道を馬に乗り急いでいた。王都の通りを馬や馬車で移動する場合、原則としてすぐに止まれるゆるやかな速さで走行することが義務づけられている。教会本部の次席という立場からルールを破るわけにもいかず、なるべく馬の歩みをせかして、歯がゆい気持ちをグッとこらえていた。
 この日クレアは、王城で行われた騎士団合同会議に議長として出席した。国王の正規軍である王国騎士団を筆頭に、主要都市の騎士団代表者たちが顔をそろえた。聖教騎士団からは神官を束ねるブレンダ統括神官が出席した。会議の議題は魔族に関連する一連の事件についてである。事件調査に携わる聖教騎士団代表のブレンダから報告を受け、各騎士団代表者たちが質問や意見を述べた。夕方に終了予定だった会議が夜まで延長されたのは、ドレイル侯爵のお屋敷が、何者かに襲撃されたという知らせが舞い込んだからである。その情報の少なさに様々な憶測が飛び交い、「聖教騎士団が情報開示に規制をかけているのではないか?」という批判的な質問まで噴出した。その質問をブレンダが断固否定し、論理的に説明を重ね、「現段階の分かり得る情報を元に、対策案を模索することが建設的でないか?」という問いかけに、やっと各代表者が納得したのである。
 聖教騎士団の兵士から報告を受けたクレアは、娘が軽傷で済んだことに安堵していたが、食事会へ行かせたことをたまらなく後悔していた。娘が貴族の社交界に苦手意識を持っていることは知っていた。静養中の時くらい危険な仕事から解放されて、優雅でのんびりした時間を過ごしてほしいと決めたことが裏目に出てしまった。

――こんなことなら予定通り、クロエに議長を任せて私が食事会に出席すればよかった……

 通りに並ぶ街灯をぼんやり眺めて、クレアはため息をついた。
 せめてもの救いは、娘が慕う兄、レオンが駆けつけてくれたことである。

――きっと今頃、クロエは大はしゃぎね。レオンのしかめっ面が目に浮かぶわ。

 幼き日の2人を思い出してクレアが微笑んだ。
 隣のショッピングストリートから若者たちのにぎやかな声が聞こえてくる。クレアはふと、娘に何かお土産を買って帰ろうと思いついた。そんな行為が罪滅ぼしになるわけではないが、少しでも娘の気休めになればと、通り沿いの店に視線を向ける。王都一のショッピングストリートとは対照的に、こちらの通りはすでに閉店と書かれた看板をぶら下げている店も多く、歩いている人も少ない。しかしながらクロエの性格上、今どきの流行に無頓着であることを熟知しているクレアは、今からショッピングストリートに足を延ばそうとは考えなかった。土産物を何にしようかと迷いながら進むクレアが、閉店しようとしている雑貨店のショーウインドに目を止めた。そこには、かつて幼かったクロエが大喜びして、ずっと演奏に耳を澄ましていたオルゴールが展示されていた。

――懐かしい。あの子、オルゴールが大好きでいつまでも演奏を聞いていたっけ。

 馬から降りたクレアが、閉店の看板を掲げようとしている店主に声をかける。
 すぐにクレア・モンフォール公爵と気がついた店主が深々と頭を下げる。
「店じまいの最中に申し訳ありません。オルゴールを見せていただいてもよろしい?」
「ええ、もちろんでございます。お気に召す品があればよいのですが。どうぞこちらへ」
 店主がクレアを店の中へ案内する。
 店内はたくさんの壁時計や置時計で並んでおり、奥の棚の狭い一角にオルゴールが置かれていた。棚の下段には大型のオルゴールもあり、しゃがみこんだクレアがめずらしそうにそれを見つめた。
「そちらは、主に飲食店などで使用されている自動演奏機です。業務用のため、一般家庭では普及されていません。取り扱っている店も少ないです」
「確かにめずらしい。売っているのを見るのは初めてだ。これは、あなたが?」
「はい、私が設計し、製作いたしました。機械職人のマルク・レオノフと申します」
「大したものだな……」
 感嘆したクレアが、小さなオルゴールにも目を向ける。
「これらもすべてマルク殿が作られたのか?」
「作用にございます。私はエンジーナの機械職人の家系に生まれました。職人である祖父や父の姿を見ているうちに、いつの間にか自分も同じ道に進んでおりました」
 マルクが少し恥ずかしそうに語った。
 時計やオルゴールをはじめとした機械製品は、すべてエンジーナの技術により広まったものである。旧ロール帝国が大陸南部に侵攻したことが大陸戦争のきっかけであり、その頃多くのエンジーナ国民が隣接していたユーシー王国へ亡命した。亡命者には技術者も多く含まれており、そうした者たちがユーシー王国の機械技術の発展に大きく貢献したことは言うまでもない。
「おじい様も御父上もさぞ誇りであることだろう。マルク殿が職人の道を歩まれた事、お喜びになったであろう」
「恐縮でございます。クレア様こそ、お嬢様がご立派に跡を継がれて、聖教騎士団の未来は安泰でございますね」
「あの子が心から望んで進んだ道なのかどうか……私が敷いたレールを歩んでいるあの子を見ると、悩んでしまうときも多い」
 クレアは少し寂し気な表情で、小さなオルゴールを手に取った。
「親というのは、いつでも子を想い、悩むものですね。まさか、クレア様に悩みがおありになるとは思いもいたしませんでした」
 マルクの陽気な声に、クレアの表情が和む。
「フフフ。私も皆と変わらぬ、どこにでもいる普通の母親ということだ」
 クレアが笑顔を見せて、小さなオルゴールをマルクに手渡した。
「こちらでよろしいですか?」
「ああ。娘への贈り物だ」
「クロエ様にですか。喜んでいただけるとよいのですが……」
「エンジーナの機械職人は大陸一だ。もっと胸を張れ!」
「はいっ」
 マルクが大きな声で返事をして、グッと胸を突き出す。
 2人は顔を見合わせてクスクス笑い合った。

――よい土産ができた。これならクロエも喜んでくれるはず。

 クレアが満足そうに微笑み、馬に跨る。見送る店主に手を上げ、再び帰路につく。
マルクの雑貨店から100メートルほど進んだところで、クレアは妙な胸騒ぎを感じて後ろを振り向いた。店内に戻ったであろうマルクの姿は、もちろん見えない。店のたたずまいに変化は無い。周囲に人影も見えない。クレアが馬の進行方向をゆっくりと戻す。会議中のクレアの元へ来た兵士の報告では、ドレイル侯爵のお屋敷を襲撃したのはエンジーナ魔導機兵団に酷似した機械兵であった。そして、たまたま訪れた雑貨店の店主は、エンジーナの機械職人だと言う。

――単なる偶然か? それとも……

 おぼろげな街灯の明かりに照らされる小さな雑貨店を、クレアがジッと見つめる。
 雑貨店の方から、ガシャンというかすかな音が聞こえた。離れているためそれは小さな音であったが、すぐそばのショッピングストリートから聞こえてくる若者たちの話声や足音とはまったく異なる音であった。
 クレアの胸騒ぎが確信へと変わった。走行ルールを破ったクレアが全速力で馬を走らせ飛び降りる。店の扉に手をかけ、ゆっくりと引く。カギはかかっておらず、店の扉は音をたてて開いた。クレアはサーベルの柄に手をかけ、店にゆっくりと足を踏み入れた――。
 
 
 王都東地区最大級の温泉を思う存分満喫したルカたちは、先に部屋へ戻っていたマイたちと合流し、レストランへやってきた。
 エリーゼの伯母が経営する宿が人気の理由は温泉ともう一つ、このレストランにあった。レストランで腕を振るうのは皆、王都の有名店からスカウトされた料理人たちである。彼らが作り出す一流の料理が宿泊客を魅了し、その味を求めて遠方からやってくる者も後を絶たない。ランチタイムは宿泊客だけでなく、一般客にも利用が解放されているため、王都の市民から美食家の貴族まで様々な者たちが美味を求めて来店する。王都のグルメ雑誌にも掲載されたことのある、人気店であった。
 テーブルに運ばれてくるコース料理をルカがすごい勢いで平らげていく。
「ルカちゃん、もっと静かに食べないと。お行儀悪いよ」
「そんなちまちま食べてたら、冷めちゃうだろ。マイだってナイフとフォークの使い方、下手くそだしー」
 注意したマイをルカがからかう。
「うるさいなー。私はちゃんとマナー良く食べる努力をしてるんだよぉ。わっ」
 マイが不器用にナイフで切り分けた魚のソテーを、口に運ぼうとして皿に落下させる。
「そんなにこだわらなくても平気よ。貴族が来るレストランといっても、わたくしたち一般客と同じテーブルで食事することはないし」
 すかさずエリーゼがフォローする。
 レストランには、貴族や上流階級専用のVIPルームが用意されていた。そのため、一般客と貴族たちが同じ空間で食事をすることは無い。
「エリーゼもVIPルーム入ったことあんの? 中ってどんな感じ?」
「やっぱりすごい豪華なの? テーブルとか金でできてたりして」
 ララとエミリが興味津々に尋ねる。
「わたくしは、いつも一般席よ。父が派手なことを好まない人だから」
「ええー、つまんねーの」
 ララががっかりした様子で言った。
「エルちゃん、大丈夫? なんだか具合悪そうだけど」
「ううん、そういうわけじゃないんだけど……」
 心配そうに尋ねるマイにエルはあいまいな返事をする。
 部屋にいるときは笑顔を見せていたのに、食事を始めてから明らかにエルの様子はおかしかった。ほとんど食事も進んでおらず、時々水を飲みながらボーっとしている。
「無理しなくていいんだぞ。残してもアタシが全部食べてやるから」
「ルカちゃん!」
 マイがルカをにらむ。
「本当に大丈夫? 遠慮しないで、部屋に戻って休んでいいいのよ」
「私も行くよ」
 エルに付き添おうと、エリーゼとエミリが席を立ちあがった。
「ありがとう。お言葉に甘えて先に休めせてもらうね」
 エルがゆっくりと立ち上がる。
「あれ? あの子、昼間私たちを見てた……」
 マイが指さす方向、レストランの入り口から、エルと同じ髪色をした少年がこちらに向かって歩いてくる。少女たちが少年に注目する。年齢はエルと同じくらい、14,5歳に見える。身長はエルより少し大きく、体は細い。背中に背負った大剣が、あどけなさの残る顔には不釣り合いに見えた。防具は機動性を重視した軽量な装備で、あちこちに残る汚れや擦り傷から、ずいぶん使い込んでいるように見えた。
 レストランの従業員が慌てて少年を制止した。店内への武器持ち込みは禁止となっているからである。少年が従業員を乱暴に押しのけ、再び歩きはじめる。食事を楽しんでいた客たちの穏やかな空気が一変し、店内が不安に包まれる。ただ事でない事態を察した女性従業員が、店の警備担当者を呼んだ。駆け付けた屈強な男たちが、少年を取り囲む。
「お客様は当店にふさわしくないと判断させていただきました。このまま退店願います」
 大柄な男2人が少年を間に挟んで腕を強く握りしめた。
「邪魔だ!」
 少年が軽々と男2人を持ち上げ、後方に投げ飛ばす。男たちはレストラン入り口まで飛ばされ、扉に体を打ち付けて動かなくなった。
「押さえつけろ!」
 警備責任者の合図と同時に、男たちが少年に飛び掛かった。次の瞬間、男たちの胴体が二つに切り裂かれて床に転がった。床が大量の血液で赤く染まり、店内の客たちが悲鳴を上げる。
「た、助けてくれぇ」
 警備責任者が腰を抜かして倒れる。必死で逃げようと試みるが、床に流れた血液に手が滑り力が入らない。少年が大剣を構えて横に振る。警備責任者の首が斬り飛ばされ、テーブルの上に転がった。助けを求める叫び声を上げながら、客たちが出口に殺到する。客の中には凄惨さのあまり嘔吐してうずくまる者、腰を抜かして動けなくなる者もいた。
 店の唯一の出入り口を背にして、少年がマイたちに近づいてくる。
「ルカ、マイ、わたくしたちで足止めするわよ! 隙をついてエルを逃がすの! ララとエミリはエルをお願い!」
「う、うん」
「わかった。気をつけろよ」
 エミリとララがエルにぴったりくっつき、後ろに下がる。
「エリーゼといるといつも事件に巻き込まれるよなあ。都市バルサに始まりダミール島そして王都。もう慣れてきたけどな」
「わたくしが事件を呼び寄せてるみたいに言わないでくれる? わたくし、こんなの全然慣れたくないわ!」
「2人とも集中して! あの人、魔力はほとんど感じられないけどかなり強いよ!」
 マイの声で、ルカとエリーゼが表情を引き締める。
「私が前に出るね。後衛サポートお願い!」
「了解!」
「わかったわ」
 マイがしっかりした足取りで一歩踏み出した。
 少年は氷のように冷たい目でマイを見つめ、ゆっくり近づいてくる。彼のひきずる大剣から、真っ赤な血が滴り落ちた――。
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