第21話少女の記憶と悲しきメロディ②

文字数 5,345文字

 立食パーティー形式の食事会は、貴族の間で最近はやりはじめ、変わり者のドレイル侯爵が考案したもであった。食事をしながら多くの客人と会話を楽しむために催された立食パーティは、おしゃべり好きのドレイル侯爵にとって有意義な時間であった。
 この日も、かねてから話しをしたいと思っていた聖教騎士団団長、クロエ・モンフォール公爵をつかまえて、持ちネタの笑い話を披露していた。
 話を笑顔で聞くクロエの周りに、いつの間にか人だかりができていた。王国随一の美人騎士を一目見ようとする者、彼女の美声に耳を傾ける者、あわよくば話をしてお近づきになろうと野心を燃やす者、クロエの周囲で様々な感情と作為がうごめいていた。
「ねえ、あの人すごいキレイ。どこのお嬢様だろ?」
「背が高くてスタイルいいよね。うらやましーなー」
 エミリとララの話にクルーガーが反応する。
「ボン、キュッ、ボンのキレイなねーちゃんはどこだよ? 見えねーぞ」
「おっさん、ホント下品だな。ほら、あそこ。男の人たちに囲まれてる真ん中の。ドレイル侯爵と今話してる」
「ん? んん?」
 ルカが指さす方向に視線を向け目を細める。
「あれは……クロエ様よね? 聖教騎士団長のクロエ・モンフォール公爵」
「ああ! ホントだ。クロエ様だ」
 エリーゼとマイが気がついた。
 パーティー用のドレスを身に着けたクロエは、ボディラインの強調されたシルエットと、アップスタイルの髪型によって、軍服姿の時と一変していた。
 2人の言葉を聞いたクルーガーが、飲みかけたアイスティを豪快に吹き出す。
「わっ! 何すんだよ、おっさん」
「クルーさん、汚い……」
「ゲスのばい菌がうつりますわ」
 吹き出したアイスティの被害をこうむった3人が制服をハンカチで拭く。
 ルカとマイとエリーゼの騒ぎ声にクロエがこちらを向いた。
「ちょ、ちょっと用事を思い出した。俺はこの辺で失礼しよう」
「あ、クルーさん待ってください。私、ダミール島でクロエ様に助けてもらったんです。前にも話しましたよね。クルーさんからもお礼とご挨拶をお願いします」
 背を向けたクルーガーの上着の裾をマイが引っ張った。
「すまん、チビ。クソがもれそうなんだ! 恩人の前でクソもらすわけにはいかんだろ?」
「えええっ! そんなに限界なんですか?」
「許せ、チビっ」
 クルーガーは両手でお尻を押さえながら、すごい勢いで走り去った。
 ドレイル侯爵と話し終えたクロエがマイたちの元へ歩み寄る。
「クロエ様、この前は助けていただきありがとうございました」
 マイとルカとエリーゼの3人があいさつする。
「助けてもらったのは、こちらの方だよ。マイ、ありがとう」
「そ、そんな……」
 騎士として戦っていた時と違う、ひたすら美の際立つクロエを目の前にして、マイは顔を赤くした。
「初めましての子もいるね。聖教騎士団のクロエ・モンフォールです。よろしく。みんな試験合格おめでとう」
 憧れの女性からお祝いの言葉をもらった少女たちが、顔を見合わせて恥ずかしそうに喜んだ。
「ところで、先ほどマイと話していた男性は?」
 遠くからチラリと見えた男性の後ろ姿が、自分の兄と重なり気になっていた。
「ああ……あれは私の従者、クルーさんです」
「クルーさん?」
「クルーガーっていうギャンブル好きのおっさんです。イテッ」
 笑いながら補足説明するルカに、エリーゼが肘打ちを入れる。
「ふふふっ」
「どうされました?」
 口元に手を当て突然笑い出したクロエにエリーゼが尋ねる。
「あのね、私の兄もギャンブルが大好きでね。子供のころ、兄とカードゲームをして、お小遣いをよく巻き上げられていたこと思い出しちゃった」
「おっさんに引けを取らないゲスさだな。イテッ」
 エリーゼの肘がみぞおちに直撃し、ルカがうずくまる。
 その様子を見て、クロエが声を上げて笑う。
「でもね、兄に遊んでもらえることがたまらなく嬉しかったわ。だから、何度も挑戦したわ」
 当時の楽しい光景を思い出し、クロエが少し目を閉じた。
「あのっ、私、クロエ様のお兄様、レオン様のおかげで合格できたんです」
「えっ、兄上のおかげ?」
「はい。レオン様が推薦状を書いてくださったおかげなんです。そうでなければ私、不合格でした」
「そうだったの……」
 クロエは目を丸くした。
 面倒くさがりの兄が、人のために推薦状まで書いて世話を焼いたことに驚いたのと、自分の知らないところで兄とつながっていたことに喜びを感じていた。
「そうだ、フェンリルも来ているの。ほら、あそこ」
 4人がクロエの指さす方向に視線を向ける。
 フェンリルはいつもの軍服姿で壁際に立っていた。
 クロエが手招きすると、フェンリルは苦笑いしながら首を横に振った。
 都市バルサでの事件後、フェンリルの世話になったララとエミリが深々と頭を下げた。
「『今は仕事中だ!』て怒られちゃった」
 ペロリと舌を出すクロエのお茶目な一面に少女たちは微笑んだ。
 突然、天井から大きな音が鳴り、会場の全員が上を見上げる。
 再び、何かが落下して衝突したような重たい低音が響く。
 異常を察知したフェンリルがクロエのそばに駆け寄り、剣の柄に手をかける。
「フェンリル、この子たちを外へ!」
「しかし、クロエ様は……」
「いいから早く!」
「すぐに戻ります」
 フェンリルが少女たちを連れて会場をあとにする。
「皆さん、落ち着いて聞いてください。慌てず、走らずに外へ出てください。走ると危険ですから、歩いて速やかに外へ出て――」
 クロエが大きな声で避難を呼びかけたその時、窓ガラスが割れて粉々に飛び散った。
 大広間に女性の叫び声が響く。
 さらに天井の一部分が崩壊し、いくつもの黒い物体が落下してくる。それは、全身を真っ黒な甲冑で覆った兵士たちだった。フルフェイスの兜の奥で、2つの小さな赤い光が灯る。
 兵士たちが一斉に剣を抜き、逃げ惑う人たちに襲い掛かった。
 あちこちで悲鳴が上がり、会場の床が血で真っ赤に染まっていく。
「やめろぉぉぉ!」
 クロエが兵士の背中に飛びかかり床に転がる。すぐさま起き上がり、剣を奪って倒れている兵士の喉元めがけて突き刺した。
「こ、こいつは……」
 クロエは動揺した。
 貫いた兵士の首からは一滴の血も流れない。
 兵士が刃を握りしめて押し返す。
「クッ……」
 クロエが歯を食いしばり力を込めるがびくともしない。
「助けてくれっ!」
 ドレイル侯爵の叫び声が聞こえた。
 クロエが剣から手を離して兵士から飛びのき、声の元へ走る。
 兵士の振り上げた剣の真下で、頭を抱えて固まるドレイル侯爵にクロエが飛びついた。振り下ろされた剣を間一髪で回避する。
「す、すみません、クロエ様」
「大丈夫ですか? さあ、私の後ろに」
 クロエが立ち上がり、兵士と対峙する。
 黒い兵士たちが足を引きずるようにして、クロエの前に集結する。
 会場に残されたクロエとドレイル侯爵は、甲冑を血で赤く染めた兵士たちに追い詰められ、逃げ場を失った。

――私としたことが……ドレイル侯爵を守りながら突破するのは無理だ。ならば、敵をせん滅するのみ!

 クロエがドレスの裾を破いて、両足を大きく開く。
「光よ、我が手に宿りて力を示せ。雷鳴を響かせ稲妻となれ!」
 甲冑の兵士たちに稲妻が走る。放電によって兵士たちの体からバチバチと火花が飛び散った。兵士たちは甲冑をガタガタきしませて痙攣し、やがてその場に倒れた。
「はあ、はあ、はあ……」
 ありったけの魔力を注いで術を発動したクロエが疲労をあらわにする。

――やったのか? 人ならば即死レベルだが……

 額の汗をドレスの袖で拭い、倒れる兵士たちを見渡す。ピクリとも動く気配はない。
「さあ、ドレイル侯爵、今のうちに」
「は、はい」
 クロエがドレイル侯爵の手を引いて歩き出す。
「うっ!」
 クロエの足首に激痛が走った。
 兵士の大きな手が、クロエの細い足首を強く握りしめていた。
 人とは思えないほどの握力で締め付けられ、痛みに耐えられなくなったクロエがうずくまり、兵士の手を振りほどこうと試みる。
 ドレイル侯爵も兵士の手を引き離そうと力を込めるが、びくともしない。
 ギリギリと周囲から不気味な金属音が鳴り始める。
 倒したはずの兵士たちが、何事も無かったかのように次々と起き上がった。
「ドレイル侯爵、逃げてください!」
「そ、そんな……」
「早くっ!」
 クロエが血のにじむ足首の痛みに耐えながら、必死に叫ぶ。
「それは、できない! 女性を置いて私だけ逃げるなど、断じてできない!」
 ドレイル侯爵は、兵士の手を引きはがすことをあきらめない。
「私は、聖教騎士団団長、クロエ・モンフォールです。国民を守ることが私の使命です! だから早く――」
 2人の前に剣を構えた兵士が立っていた。その陰に気がついたクロエが侯爵に抱き着き、体をひねって覆いかぶさる。

――ああ、一目でいいから兄上にお会いしたかった……

 クロエの閉じた瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。
 クロエが死を覚悟した瞬間、床に叩きつけたような大きな金属音が響いた。
 足首の締め付けられる痛みが消えていることに気がつき、クロエが目を開けて振り返る。
 そこに立っていたのは、クロエがいつも会いたいと強く願った兄だった。
「よお、お前また背伸びたな。あんまデカくなると嫁の貰い手なくなんぞ」
 クルーガーが白い歯を見せてニッと笑う。
「あ、兄上!」
「はい、お兄ちゃんです。あんよの痛いクロエちゃんは、そこで座って見てなさい」
 兵士たちと対峙したクルーガーの目つきが鋭いものへと変わる。
「コココ……コココココッ」
 甲冑の兵士たちが、声か機械音か区別のつかない音を発する。
 兜の奥の暗闇に赤く小さな光が灯った。
「鶏かよ。お前ら目真っ赤に充血してんぞ。仕事のし過ぎだ。帰って寝ろ」
 兵士たちが一斉に剣を抜き、その切っ先をクルーガーに向けた。
「お前ら仕事熱心だな。まあ、帰すつもりねぇけどよ」
 4人の兵士が剣を振り上げ、クルーガーに飛び掛かった。
「ファースト・ブレイク!」
 クルーガーが一段階目のリミッターを解除する。
 声と共に、4人の兵士は衝撃波で吹き飛ばされ、壁にめり込んだ。
 兵士たちはそれに動じる様子も無く、足を引きずるようにしてゆっくりクルーガーに接近する。
「のろまどもがっ」
 クルーガーが一番近くの兵士の背後に回り込む。ホルダーからナイフを素早く引き抜き、兵士の後頭部を切り裂いた。ブチッというなにかがちぎれる音と共に、緑色の血液が吹き出した。
 間髪入れず、次の兵士の背後をとり、後頭部にナイフを突き立てる。
 電光石火のごとく走り抜け、クルーガーはすべての兵士を斬り倒した。
 倒れる兵士の首から流れる血で、会場の床は不気味な緑色で染まった。
 クルーガーがクロエに歩み寄り、手を差し伸べる。
 その手をしっかりと握りしめ、クロエがゆっくり立ち上がった。
「足、大丈夫か?」
「兄上にお会いできた喜びで完治しました」
「治るかっ!」
「愛の力です」
「はいはい、愛ってすごいねー」
「兄上っ」
 クロエが力いっぱいクルーガーに抱き着く。
「く、苦し……死ぬ」
 胴体をものすごい力で締め上げれたクルーガーが窒息間際でタップする。
「死ぬほどクロエを愛していると。クロエ感激です」
 クロエが両手に頬を添えて顔を赤くする。
「お前さ、とりあえず周り見ろ。バカやってる状況じゃねぇだろ?」
「クロエはもう、お兄様しか見えません」
「やかましいわっ!」
「イタッ」
 クルーガーのデコピンを喰らい、クロエがおでこを押さえる。
「ドレイル様! ご無事ですか?」
 ドレイル侯爵の私兵たちが大広間になだれ込んできた。
「ああ、モンフォール公爵に助けていただいた。クロエ様、本当にありがとうございました」
 ドレイル侯爵は丁寧に礼を述べ、兵士たちに支えられて大広間をあとにした。
「クロエ様っ!」
 血相を変えてフェンリルが走りこんでくる。
「私は平気よ。白馬に乗った兄上が助けに来て下さったの。愛の力よ」
「色々ツッコミどころ満載だな、おい。フェンリル、このポンコツ外に連れてけ」
「ハッ」
 フェンリルがクロエの腕を掴む。
「いやよ。もう絶対に離しません」
「後ですぐ行く。今日はクロエと一緒にいるよ。約束する」
「では、約束のキッスを」
「リミッター解除してデコピンしてやろうか?」
 クロエが両手でおでこを隠してクルーガーから素早く離れた。
「兄上、絶対に約束ですよ」
「はいはい」
 クロエはフェンリルの肩を借り、体を支えれて大広間から出て行った。
 クルーガーは、小さいころとまったく変わらぬ妹の態度に苦笑いした。
「さてと、そんじゃお前らのこと教えてもらおうか」
 クルーガーは座り込むと、動かなくなった黒い甲冑の兵士を調べ始めた。
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