第27話少女の記憶と悲しきメロディ⑧

文字数 4,195文字

 マイは自分でも驚くほど落ち着いていた。目の前で人が殺され、血が流れるのを目の当たりにしても心は動揺していない。それどころか、大剣を向ける殺戮者を目の前にして、マイの集中力は極限まで研ぎ澄まされていた。
「天に輝く神の光よ、我ら神の子を守りたもう! 悪しき力を祓いたまえ!」
 マイの詠唱で光のシールドが出現する。
 少年が大剣を大きく振りかぶる。
 そのタイミングに合わせて、マイがシールドを構えたまま少年に向かって突進した。シールドに体を強く打ち付け、少年が横転する。
「天に輝く神の光よ、我に力を与えたもう! 聖なる矢となり、邪悪な敵を打ち砕け!」
 エリーゼとルカが神の裁きを詠唱し、少年に向けて光の矢を放った。数十本もの光の矢が少年の体に降り注ぐ。店内に衝撃音が響き、粉砕された床から白い煙が立ち上った。
「おっし! ナイス連携攻撃、アタシ!」
「自分で褒めてどうするのよ」
 ガッツポーズを決めるルカにエリーゼがツッコミを入れる。
「神の裁きのW攻撃喰らったんだぜ。さすがに立ち上がれないっしょ。ていうか、瀕死レベルじゃね?」
「マイ、そこから確認できる?」
 エリーゼの問いかけにマイは首を横に振った。
 破壊された床から大量のほこりが舞い上がり、辺りが白くて視界が悪い。しかし、煙の中で立ち上がるような人影は確認できなかった。
「多分だけど、倒れたままだと思う。動きは見えないよ」
 マイが答えたその直後、煙の中から走り出てきた少年が大剣で突きを繰り出した。警戒を解かずにシールドを構えていたマイが正面から大剣を受け止める。
 大人の力でも通常はびくともしないシールドが、少年の力によって押されていく。必死で踏ん張るマイの体がジリジリと後退していく。やがてシールドに小さな亀裂が生じ、そのヒビが徐々に広がっていく。

――まずい。このままじゃ粉砕されちゃう。

 大剣の切っ先がシールドに突き刺さったそのとき、いくつもの光の矢が少年に降り注いだ。
「マイ、大丈夫か!」
「さあ、早く下がって!」
「ありがと。危なかったよぉ」
 ルカとエリーゼのサポートを受け、マイが後退する。
「なんなんだよ、あいつ。神の裁きまともに喰らって平気とか、ありえないんだけど……」
「魔術防御系の魔導武具を装備してるかもしれないわ。油断しないで」
 ルカの声には恐怖の色が感じられた。神の裁き第一か条は初等科で習得する神官の基本攻撃術式であるが、その威力はまともに命中すれば防具を身に着けている者でさえ失神させるほどである。熟練者にもなれば、致命傷を与えることも可能とする。戦闘経験のある2人の攻撃が、少年に対してほとんど効果が無かったことに、ルカは驚愕していた。
 エリーゼもまた、多少の動揺はあった。しかし、常識的に考えて神の裁きをもともに受けてダメージの無い人間などありえない。考えられるとすれば、装備の効果によって、ダメージを減少させていることだった。ルカの動揺が全体に広がらないよう、エリーゼは機転を利かして声をかけた。
「めんどくさい……もう一段階上げるか」
 少年がポツリとつぶやいた。
「ルカちゃん、エリーちゃんもっと下がって」
「おわっ」
「ちょ、ちょっとマイ急にどうしたの?」
 マイが2人の腕を掴んで急に走り出す。
「天に輝く神の光よ、我が手に力を宿したもう! 聖なる光よ、我らを包みて悪しき力を祓いたまえ!」
 エルを守っているララとエミリのそばで、神の加護第3か条を詠唱する。少女たちはドーム型の光の防御結界に包まれた。
 マイは少年の発した小さな一言を懸念していた。彼は、確かに「もう一段階上げるか」と口にした。細身の体で軽々と大剣を振り回す腕力、神官の攻撃術を受けても立ち上がる防御力、とても普通の人間とは思えない少年が、マイの頭の中で自分の従者であるクルーガーと重なった。

――この人もしかして、クルーさんと同じ……

「おいマイ、来るぞ!」
 ルカの一言でマイは少年の動きに意識を向けた。
「ルカちゃん、エリーちゃん、神の加護1か条で正面の攻撃に備えて!」
「わかったわ」
「了解」
 マイの指示を受け、エリーゼとルカが結界内部でシールドを展開させる。マイたちの後ろで不安そうに震えるエルを、ララとエミリがギュッと抱きしめた。
 少年があっという間に距離を詰め、その勢いに任せて大剣を振り下ろした。防御結界に接触した大剣がはじかれ、少年はバランスを崩しながらも再び大剣を振り上げた。固い守りが少年の攻撃を跳ね返す。何度繰り返しても変わらぬ結果に、少年の表情に苛立ちが見えた。
「完全に防ぎきってんじゃん。スゲーなマイ!」
「でも、結界内からだと攻撃術式が使えないわ。タイミングを見て反撃しないと」
「うん。攻撃が中断したら神の加護を解除するね。それに合わせてルカちゃんとエリーちゃんは――」
 マイが2人に話し終える前に、少年が剣を下ろした。
「ここまで固いとはな。第2段階解放」
 ぼそりとつぶやいた後、少年の大剣が一瞬のうちにマイの防御結界を砕いていた。

――うそっ! 何が起こって……

 結界内にいた少女たち誰一人として、少年の攻撃には反応できなかった。
「ララ、エミリ、走ってぇ!」
 体の固まっていた2人がエリーゼの声で我に返り、エルの手を引き走り出す。
「うおぉぉぉぉ!」
 ルカが大声を張り上げながら、シールドを構えたまま少年に体当たりする。至近距離にもかかわらず、大剣のカウンター攻撃を受けたルカがシールドを破壊され、その衝撃で後ろへ弾き飛ばされた。ルカは後方のマイとエリーゼを巻き込み、3人が一斉に床に転がった。
 逃げるルカの腕をいつの間にか追いついた少年が強く握る。
「離せっ、コノヤロー」
 少年の手をララが引き離そうと奮闘する。
 少年がララの顔面に容赦なく拳を打ち込む。ララの唇が切れ、口元から血が流れる。
「エル、逃げて!」
 エミリが少年の足にしがみつき、動きを封じる。少年がエミリの顔面に膝蹴りを入れる。エミリは大量の鼻血を流し、泣きながら「逃げて」と叫び続けた。
「もう乱暴はやめて!」
 エルが少年の振り上げる拳を両手で力いっぱい握りしめた。
 少年はエルの手を簡単に振りほどき、自分から離れようとしない2人の少女に殴打を続ける。ララとエミリの顔は出血で真っ赤に染まった。
「やめろぉぉぉ!」
 起き上がったルカが少年に向かって走り出す。
「うぅ……」
 彼女の手が体に触れる前に、少年がルカの首を片手で締め上げた。首を絞められたまま持ち上げられたルカが苦しそうに喘ぐ。
「ルカちゃん……」
 マイは苦しむ親友を救おうと体を起こすが、足に力が入らず床に顔を打ち付けた。

――友達のピンチに、私なにもできない……またあの時と同じ……

 ルカの姿がカーリック村で亡くなったローラと重なり、マイの目に涙が溢れた。
 少年の腕を振りほどこうと、必死に抵抗していたルカの両手が力を失いだらりと下がった。
「ルカちゃぁぁぁん!」
 マイが泣きながら大声で叫んだ。
「マイ、しっかりして! ルカは気絶しただけよ! きっと大丈夫。私が時間を稼ぐから、クルーガーさんを呼んで!」
 起き上がったエリーゼが口早に伝えると、神の加護一か条を詠唱しながら少年に向かって突進した。
「クルーさんを……呼ぶ?」

――なんかあったらこれを鳴らせ。速攻で助けに行くからよ。

 クルーガーの言葉がマイの頭によみがえる。慌ててポケットの中に手を突っ込んだ。
 体当たりするエリーゼに向かって少年が大剣を振り下ろす。その一撃でシールドは木っ端みじんに砕け散り、エリーゼもろとも吹き飛ばされた。少年が、自分の体にしがみつくララとエミリを強引に引きはがして投げ飛ばす。それでも、起き上がろうとする2人の少女に向かって、少年は大剣を構えた。エルがその間に走りこみ、少年の前に両手を広げて立ちふさがる。エルは涙を流しながら口をギュッと結び、少年を見据えた。少年が大剣を下ろしてエルに近づく。
「どいてろ」
 少年に押しのけられたエルがその場に倒れた。
「クルーさん、助けてぇ!」
 マイがポケットから取り出した小さな鈴を無我夢中で鳴らした。赤と白の糸で編み込まれたひもをしっかりと握りしめ、必死に鈴を振り続ける。小さな鈴の音は、少女たちの鳴き声のように弱弱しく響いた。
「バカか! 誰も来るわけないだろっ」
 少年の怒声に、鈴の音が虚しくかき消された。
 少年が、床に倒れるララとエミリに視線を戻し、再び大剣を構え、ゆっくりと大剣を振り上げる。大剣の柄を握る両手に渾身の力を込め、2人の少女に向かってその刃を振り下ろす。

――な、なんだ? 剣が動かない!

 大剣は少年の頭上で振り上げられたまま、ピクリとも動かなくなった。まるで大剣の空間だけ切り抜かれ、時間が停止しているかのような感覚に、少年は激しく動揺した。
「おいクソガキ、誰も来ねぇって言ったよな? 今の気分を教えてくれよ」
 自分の背後から声を掛けられ少年が振り向くと、そこには体格の良い長身の男が刃を指でつまんで立っていた。
「クルーさん!」
 マイの表情に明るさが戻った。
「おーいチビ、泣くか笑うかどっちかにしろ。せわしないやっちゃなあ」
「クルーさん、その人魔力は無いけど強いです! クルーさんみたいに段階的に力を上昇させる能力があります!」
「ああ、分かった。気を付けてぶっ殺すから安心しな」
「あと、ぶっ殺しちゃダメです。その人エルちゃんの、記憶喪失の子の知り合いかもしれません」
「んじゃ、半殺しで」
 クルーガーが刃をつまんでいる指先に力を込める。薄い氷が割れるように、大剣の刃は砕け散った。少年がとっさに飛びのき、クルーガーと間合いをあける。無表情でどこか気だるそうだった少年の顔は一変し、驚きと焦りの色がにじみ出ていた。
「俺一人でオリジナルにどこまで通用するか……」
「あぁ? なにごちゃごちゃ言ってんだ? 根暗かお前は」
 クルーガーは身構える様子も無く、どく自然な歩みで少年に近づいていく。普段よりも一層青みの増した彼の瞳が、獲物を捕らえるように少年を見つめた。
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