第4話 ママさん、カラオケ「街の灯り」

文字数 1,777文字

そのうちに煙男がお勘定と言った。自分は煙発生装置が消滅したので安心した。もう出ていこうと思っていたくらいだ。
 煙男が席をたつと、ママが見送りに出るため、カウンターから出た。煙男が座っていた辺りは蝶番で上にあがって出られるようになっていた。

 ママは見送りから帰ってくると、私の前で袋から氷を取り出しアイスペールに入れ出す作業を無言で始めた。ふとママは昔学生時代につきあっていた女性に似ているような気がして来た。
「ママ、昔、僕と京都に一緒に行こうって言ったよね。」
ママはいいえと言うとほとんど分からないくらいに笑った。ママはそれまでずっと能面のような表情をしていた。
「おお、新しいナンパかあ?」 
ガマがげひひと笑った。
「ママは昔の恋人にそっくりです」
と何か愛想めいたことを言った。
 するとママは初めていい笑顔を見せた。美人だ。ふと、ママは普段から笑わないんではなくって、今の煙男が嫌だったから笑わなかったような気がして来た。

マリアが言う。
「ママはこの店のために北海道から出てきたんです」
ママは遠い目をして言う。
「北海道には4年いた。出身は秋田です」
自分は残った常連と話をつなげようと思ってマリアに聞いた。
「こちらの常連さんたちはオーナーが連れてきたお客さんなの?」
 マリアが言った。
「いいえ、この人達、私がチラシを配って来てくれた人たちなんです。北口でティッシュを配って。この二人はそのまま店に連れてきた。さっき帰ったお客さんは端末で調べてから後で来た(笑)」
 そうか。今ここにいる客は全員オーナーの客ではないんだ。そう思った時、急にボトル札が墓標に見えてきた。オーナーが連れてきた常連客のボトル札が無念そうに我々を見ている気がした。どれがそうなのかわかんないけど。
 常連と言えば、自分が常連として通っているゴールデン街のある店のことを思い出した。そこは開店して4年目なのに客層が素晴らしい。周年記念のパーティーでは300人も来たという。常連客も、最初は新規で店に入って来た人ばかりだったろう。4年前に開店したのだから。当然来るのを辞めた人もいるから、常連客は残った人たちということになる。いい常連客がいるのは、それ以外の客を淘汰する何らかの力学が関係しているのかもしれない。
 それに比べるとここはどうしてこんなお客ばかりなんだろうか。店が続くどうかは常連客が決める要素が大きい。換気の悪い店内でタバコを吸い続ける客、酔っ払って大声でつまらない話を繰り返す客、黙って座っていて何が面白いのか分からない客。これでは新規の客が来ても、もう一度来ようとは思わないだろう。マリアはお店の人間なのだから、ビラを配る時はもっと慎重にするべきだった。

 1時間で3,000円という特典があったので、もとより1時間で出るつもりだった。何より煙がましになったとはいえすぐに解消されるわけではない。それにガマの話声がうるさい。
 自分はいつも時計を持たず、当然店内にも時計はないので時間がわからない。その時、ふとママの腕にスマートウォッチが巻かれているのに気づいた。アナログ表示なので時間が遠くても見えた。もうすぐ1時間になりそうだ。そこでマリアさんに聞いた。
「今何時?」
「え?」
「あと何分でしょうか?」
マリアは何かで確認すると言った。
「後5、6分です」

 これは大変微妙なことで後から考えるとなぜだかわからないのだが、すぐには会計せず、せっかくだから、何か最後に1曲歌って痕跡を残していこうと思ってしまった。
「ココ、カラオケ歌えるの?」
「ええ。ぜひ。お会計はその後でけっこうですから」
 そう言われると、来月にライブショーがある堺正章の街の灯りをリクエストし、歌った。歌詞をだいたい覚えているので、マリアやママの顔をみながら歌った。
間奏になったので感想を言った。
「笑顔で歌おうと思ったんだけど難しいもんだねえ」
次に曲のサビのところになって、ママと目を合わせ、ニッコリした。ママは冷めた目ではあるがちょっと嬉しそうにした。歌が終わった。

「お上手〜」
横須賀とマリアが感嘆したふうな感じで言った。
「最後に足跡を残そうと思って」と言いながら財布を出した。
「また来て歌って下さいね」
「いや、うるさいからもうよすよ」
「大丈夫ですよ。スナックなんですから」
ママの時計を見るとあと1分だった。
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登場人物紹介

自分  自ら方向音痴になることが好き。新規開拓が好き。


マリアさん おでこの大きなスナック迷い道の店員。ちょっと聞き返すことが多い。


横須賀さん  元海上自衛隊所属の地味だが愛嬌のある女性。


ママさん スナック迷い道のチーママで、自分の若いころ付き合った人に似ている。

ガマさん スナック迷い道の常連で酔っぱらっていて大声で話す。なんとなく風貌がガマガエルに似ている。

にきび君 スナック迷い道の客でニキビが目立つ無口な若い男。

煙君 スナック迷い道の客で年中たばこを吸っている中年の男。


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