第1話

文字数 1,637文字

 あぁ、何て暇なのだろう…。
篠崎健太郎は心の中で溜息を吐いた。
 23歳の健太郎の誕生日を、彼女である佐久間ひよりがお手製の料理で祝ってくれた。その後の明け方健太郎は右下腹部の激痛で目が覚めた。タクシーにスマホと鍵と財布だけ持って乗り、このO総合病院の夜間診療窓口に来た。虫垂炎と診断され手術となり、1週間の入院治療が必要となった。今日は術後1日目だ。
「スマホは術後の身体には意外と疲れますからね、3日後位までいじらないで下さいね。兎に角安静にしたら早く退院できますよ」
太ってお好み焼きソースを思わせるオタフク顔のオバサン看護師に釘を刺されてしまった。オタフクが病室を出た後、目を盗んで床頭台にあるスマホに手を伸ばそうとした。しかし健太郎が決定的瞬間の体制の時に、オタフク看護婦が病室に入って来て見つかってしまった。
「ほらぁ、大体の患者さんが目を盗んでスマホいじろうとするのよ。これ位のタイミングにね…安静にして下さい」
スマホは手を伸ばしても届かない所に置かれてしまった。ベテランなのだろう…完敗だ。退屈凌ぎに窓の外を見た。この病院の建物がコの字になって居るせいで病院の建物しか見えない。溜息を吐こうとした。
 同じ階の向こうの病室の窓が1つ開けられた。美人看護師が網戸を閉めている。
「あの美人看護師に世話されたいな…。オタフクオバサンでなくて…」
と心の中で呟きながら、やっと見つけたプチ幸せにホッとした。その時
「バカ健坊!何美人の看護師に見惚れてんのよ」
いつのまにか、ひよりが腕組みしてベッドサイドに立ち睨みつけて居る。病人なのに身を縮こませて
「ひより、サンキュー」
と笑って誤魔化した。すると腹圧が掛かったのか、当直の若手医師が回復手術した傷口が痛む。
 あぁ、何て日だ…。ことごとく良い事が無い。
「彼女さん、男の患者さんなら皆んなやる事なのよ。術後はスマホも見れないし退屈で悪意無いの。まして今日の担当看護師はオタフクみたいなオバサン看護師でしょう、勘弁してあげて」
と看護師は笑った。
えっ⁉︎オタフクと思って居たのが何故バレた⁉︎しかも助け舟を出してくれた。やはりベテランらしい。
「まぁ、病人だから許してあげる」
ひよりが苦笑いをした。そして鞄から健太郎の下着やタオルを綺麗に片付け始めた。
「助かったよ」
「ううん、始めは連絡受けて、私の料理でお腹痛くなったかと思って責任感じちゃってたの。盲腸と聞いてホッとして…ごめん本当に…」
上目遣いで申し訳なさそうにして居るひよりに
「昨日のエビチリが特に美味かった。退院したらまた作って欲しい」
と、健太郎は少しのおねだりをした。
「任せて! 」
二重の大きな垂れ目の笑顔にして
とひよりは細い肩をすくめた。
「また来るねー」
とひよりは病室を出た。嬉しい時間の余韻に浸ると、また無機質な病室が現実に健太郎を戻そうとする。
 するとベッドを隔て居るカーテンをシャーっと音を立てて、隣のベッドの入院患者が開けた。
「お宅、退屈でしょうがないでしょう?」
突然カーテンを開けられて健太郎は少し驚いた。「しかも今日の担当看護師があのオタフクだしね」
と隣人は笑った。
「あっ…あの…初めまして」
頭を上げようとすると
「術後でしょう、寝たままでいいよ」
隣人は慣れた様に止めた。
「オタフクはいい奴だけど見た目がね…。体型も顔も良い所無くて残念だよなぁ…アンタもそう思っただろう? 」
と笑った。
「あっ…そう思うの俺だけでないんですね…」
健太郎も思わず笑った。すると傷口が痛んで顔をしがめた。
「あっ、ごめん笑わして。盲腸の術後なのにね。俺は佐藤悠河って言うんだ、宜しく。胃悪くて入院中でさ」
なる程、この佐藤と云う患者が痩せて居るのは胃の病気なのか。しかし胃を悪くする様な繊細さを感じない面白そうな人だ。俺の盲腸情報をいつの間にか仕入れて居るし。でも佐藤さんのお陰で退屈からは免れそうだ。
「俺、篠崎健太郎です。宜しくお願いします」
2人のベッドのカーテンは開け放たれたままとなった。
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