第12話 ブルー・ヘヴン

文字数 1,922文字

 泣かないで、レイディ。

「あたしはバカだ」
 
 もうそんなにご自分を責めないで、レイディ……ひかりさま。

 海まではもうすぐです。白夜のような仄かに明るい空を見あげる。今夜は満月、星や月があんなに近い。
 幼い日に一度だけ訪れた海がみたいという、あなたの最後の願いをかなえたい。

(かえで)、あなたを家に置いておけばよかった。そうしたら、父さんも母さんも焼け死ぬことはなかったのに」
 赤い扉の小さな家は焼け落ちしまった。おふたりは、互いをかばうようにして亡くなっていた。わたしがいれば、お二人とも助け出せたでしょう。
ですが……私は貴女のしもべです。貴女が生まれた時からずっと。あなたがた家族を長く見守っていた森から引き継いだ大切な役目です。
 森は言いました。いつでも、あなたといるように、と。
「あんな別の女と先に死ぬような男、ほっとけばよかった」
 涙はとめどなく流れている。
「もう謝ることもできないよ」
 この日は本当はお母様が結婚式のときにお召しになった青いドレスがよかったはず。けれどそれも燃えてしまった。それでも白のレースのワンピースをお召しになったひかりさまは、誰よりも美しい。
「なんであたしを産んだの、死ぬって分かっていてどうしてって、反抗ばかりしていた」
 世界の終わりが分かっていても、生まれ続けた人類の最後尾にひかりさまはいる。仲間同士の通信で集計した。世界に十歳以下はゼロ、ひかりさまの同年代もひどく少ない。

 波の音が聞こえる。空気に塩分と細かい砂を感知する。松林を抜けたなら、海が見えるはずです。
 下草がはえ、荒れた林を進むと樹木が途切れた先に、海が広がっていた。
「ああ……」
 ひかりさまは顔を覆い砂浜に崩れるように座り込んだ。ゆるく波うつ、ひかりさまの長い髪が風にそよぐ。
「今さらわかるなんて。どれだけ大切にされていたか」
 お父様は忙しい診療所の仕事の合間に、ひかりさまを自転車の後ろに乗せて、お出かけをした。
 お母様は足が不自由でいらしたけれど、お料理が上手でお裁縫が上手で、ひかりさまの身の回りに気をつかわれた。
「もう死ぬだけなのに、病気を治してどうなるのとか、足が動かないのにバレエ教室の手伝いなんてバカらしいとか、そんなことしか言わない娘でごめんなさい」
 私は貴女の隣に座り、肩を抱く。
「いちばんのバカはあたしだ……」
 ひかりさまは、膨らみかけたお腹に手を当てる。
 存じあげておりました。心音が聞こえておりましたから。
「顔がみられるはずもないのに」
 涙にぬれた頬を拭ってさしあげましょう。
「ありがとう、楓。あたしといてくれて」
 ひかりさま、歌が聞こえます。たくさんの『私』から届く。地上に残された最後の情報網(ネットワーク)
 ほら、聞いて。私の胸に耳を押し当てて。
「お祖母ちゃまが歌っていた曲ね……」

 家に帰ろう、そこがわたしの愛しい場所。

 突然、花火を打ち上げたように空が明るくなる。流れ星が燃えながら海に落ちてくる。
 悲鳴をあげた貴女を腕に抱く。
 星は落ちてくる。いくつもいくつも。
 ひときわ大きな星が落ちた。沖から迫る波頭が白く見えた。
「かえで!」
 ひかりさまを抱いて海辺から駆けだすけれど、背後から一気に水底に引き込まれる。強く握ったひかりさまの体から力が抜けていく。
 体に情報(データ)が流れ込む。地上にいるすべての私から送られて、互いに交わす最後の通信。
 星が落ちてくる、落ちてくる、建物をなぎ倒し、人々を押しつぶし、襲い来る波はすべてをさらい、地表が割れて奈落の底に落ちていく……。

『世界の最後を見届けるんだ』

 オリジナルが託された使命を果たす時が来たのだ。大きな渦に巻かれ、すでにひかりさまは動かなくなった。
 私の(ボディ)もまもなく活動を止めるだろう。
 にわかに、腕の中のひかりさまから、細い金の糸がするりと伸び始めた。よく見ると、先端には小さな球体が光っていた。ひかりさまからあふれた糸は、いつ果てるとも思えぬほどの長さになっていく。いつしか私は(そら)へと浮かんでいる。
 今まで出会った人々の顔や出来事のすべてが、記憶(メモリ)からあふれるように私の周りに散らばっていった。足元には細い糸が幾重にも巻き付いた毛糸玉のような光があった。金糸には小さなきらめく粒がまるでダイヤモンドのように見えた。
 あれは、この星に生きてうまれた人々の記憶、遺伝子のかけら。
 半分に崩れた地球は、それでもまだ海の青さを残していた。それすら粉々に砕けて……金の糸もちぎれて星空へと散っていく。
 ああ、ひかりさまが幼子を抱いている……これは幻覚(エラー)、地球がみせる最後の夢。
 私は漆黒の宇宙に四散する光の粒を見送る。
 いつか、いつかまた巡り会うその時まで。

 わたしたちは、星の海を旅する。
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