第4話 出来そこないの世界でも 3

文字数 4,661文字

 新学期は始まったけど、槇の姿はないままで十日間が過ぎた。

 ぼくは区立病院まで行くバスに乗っている。
 あれから、みんな口にはしないけど、たぶんいろいろ考えている。
 ふだん自虐気味に一日に一回は叫んでいた、『どうせ死ぬんだし』の言葉も耳にしない。みんな信じて疑わなかった。ぼくらは、六十五歳になる四十八年後に全員死ぬんだって。
 でも違っていた。気づいたんだ。
 死は、その日ではなく……その前、もしかして今日にも訪れるかも知れないことに。

 バスが走る幹線ぞいは、家が多くて人の暮らしが感じられる。崩れた廃屋は目にしない。ただ、空き地に太陽光発電のパネルが設営されているのは、家のあたりとあまり違わない。
 小さい子を時おり見かけるのは、小学校が区の中心にしかなくて、少ないなりに通う子がいるからだろう。
 放課後、担任の伊東から伝えられたのは槇のことだった。
 だいぶ良くなった、だから会いに来てほしい……槇からのお願いだった。
「明日は休んでいいから、顔を見てきてくれないか」
 そういって、バスの乗車券をくれた。

 区立病院までは、駅からバスで一時間くらいかかる。
 バス停で降りたのは、ぼくだけだった。昼過ぎの病院は静かだった。広い敷地に外来と入院用の白い病棟が東側に、反対の西側にはアイボリーの緩和ケア病棟。
 中央のエントランスから建物に入ると消毒薬の匂いがして、吹き抜けの天上には青空が見えた。午後の診察までに間があるからだろうけれど、人影がまばらだ。受付で槇の病室を確かめてもらった。二階、二病棟。案内板に従って照明が消された薄暗く長い廊下を歩いた。
 第一内科の前の椅子には、午後イチの患者さんだろうか。小さな子どもを膝に抱いた女性が座っていた。
 病気なのかな……それは、どっちなんだろう。母親か、子どもか。
 思わず見つめていると、肩を叩かれて心臓が縮みあがった。
「よっ」
 あ、あとぼくは息を吐いた。パジャマを着た槇が、点滴のスタンドに手を添えて立っていた。
「ビ、ビビッたぁ」
 まえより顔色がよくなった槇がそこにいた。もっとも、点滴を挿した手首は骨が浮き上がっているけど。
「わざわざ、ありがとう。この間はビックリさせてゴメン。貧血起こして」
 貧血で心臓や呼吸は止まらないだろう、と言いたかったけど黙った。なにか話すと泣きそうだったから。奥歯をかみしめて明るく笑う槇から目をそらした。
 槇は、無言で立ち尽くすぼくの手首を掴んで中庭のベンチに案内してくれた。今日も槇の手は冷たかった。
 中庭は大きな木が数本植えられていて、その下にはベンチが置かれていた。繁った葉がそよ風に揺らいでいる。日差しさえ避ければ、じゅうぶんに涼しくて快適な季節に変わってきた。ぼくらはベンチに並んで腰かけた。
「もうだいぶいいんだ。一月(ひとつき)くらいしたら、退院するから心配いらない」
「心配いらないって……!」
「ほんと、たいしたことない。来月の適性試験も受けるし年末には旅行する」
 静かに話す槇に、おもわず咬みつく。
「何いってんだよ! そんな体で、仕事も旅行も……」
 目に焼き付いている、槇の体の傷は、病気が決して軽いものではないと教えていた。
「無理だって? 病人は大人しく寝ていろって? オレはまだ緩和ケアは受けたくないよ」
 槇はまっすぐな瞳でぼくを見た。
「オレは死ぬために生きない。生きるために、生きる」

 ……我々は平等になったのだ。彗星衝突により地球が終わる運命の日を知って。富める者も貧しき者も、健やかな者も病める者も、その日にはすべてが終わる。
 私は皆さんが望むとおりに、命を閉じるための施設を作ろう、安らかに終わらせるための薬を開発しよう……けれど……。

「『生きてほしい』」
 
ぼくの独り言に、槇が目を見開いた。
「あのとき、総理が言っていた。小さかったから、難しいことは分からなかったけど。それだけは分かった」
 死ぬな、と総理は語った。まるで隣に座る友人の肩を抱き、語りかけるように。若白髪の、ナカガワ総理の半泣きになった顔。スピーチの後半は嗚咽をこらえながらのものになった。
「オレが電車を好きなのは、総理が急増した電車への飛び込み自殺を諌めるためにしたスピーチを聞いたからなんだ。『電車に乗る人には果たすべき約束や予定があって、ほんの少し先の未来へいくために乗るのです。終わらせるために乗っているんじゃない。その方たちの邪魔をしてはいけない』」
 ほんの少し先の未来へ行くために、槇は電車に乗りたいんだろうか。うんと未来じゃない、ほんの少しだけ先に。
「ここには、病気を治したいって患者と、それを支えたいって医療スタッフがいる」
 みんながみんな、諦めているわけじゃない。槇も、廊下で待っていた親子も。
「まだ、終わってなんかいないよ」

 そして槇はいつもの笑顔で、ぼくをバス停まで見送ってくれた。

 バスは駅前のロータリーに止まって、そこからは自転車で家に帰る。
 四時をまわって、山の端に太陽が近づいている。そのうちに西の空が茜色に染まり、東から星をまとった藍色のベールが引かれて来るだろう。
 自転車をこぐ気になれず、のろのろと引いて歩いた。足元に長い影が伸びていく。ヒグラシの声に虫の音がかすかに混じる。
 川にかかる橋を渡るとき、声をかけられた。
「拓海」
 目の前に、同じように自転車を引く森さんがいた。
「ワルい、ワルい。こないだの手紙、まだ渡してなかった」
「森さん……」
 急に涙があふれた。槇の前でだって泣かないように我慢できたのに、なぜだか涙が流れて止められなかった。
「……びっくりしたんだよな」
 森さんは自転車を止めると、うなだれて泣き続けるぼくの頭に手をのせた。
「ま、まきの、お、おみまいに」
 しゃくりあげてばかりで、うまく話せないけど森さんには伝わったみたいだった。
「行って来たか。喜んでいたろう」
 橋の欄干につかまって、気持ちを落ち着けようとした。森さんとふたりで流れていく川面を、ただ見ていた。
「いろいろ驚いたろうな。おれは仕事がら、倒れた人を見ることも、救急車を呼ぶことにも慣れてるけど」
「仕事って、手紙の配達、でしょう」
 そうだ、森さんの自転車には無線が積んであった。それに、慌てることなく手順をわきまえていた。あのとき、森さんがいなかったら、取り返しのつかないことになっていたと思う。
「おれは仕事で個人のお宅をまわるだろ? 安否確認も任されている。だから、何かあった時に、すぐ知らせられるように無線を持っているんだ」
「そう、なんだ」
 気楽に配達をしているだけじゃなかったんだ。
「人が減って、家族や親戚がいない人が多くなってきているから、な。政府の心遣いってやつだ」
 もう、人が増えることはない。終わる世界に子どもを産む人は、よほど勇気のある人たちだろう。
「ずっと一緒に歳をとるんだと思っていた」
 森さんはうなずいた。
「でも、たぶん槇は、ぼくよりも先に……」
 思っていたことを言葉にすると、止まった涙がまたあふれてきた。森さんがぼくの背中をそっと叩いた。黄金色の川面にぼくら二人の影がうつる。
 命の長さは、一人一人違う。そんな単純なことに気づかないでいた。四十八年後のことばかり考えていた。
「ひどいこと槇に言ったんだ。『はやく終わればいい』なんて」
 それは、ほんの軽口だった。でも、口にするべきことじゃなかった。冗談でも。
「つぐなう機会はあるさ。槇くんのそばにいてあげな」
 うん、うんとぼくはうなずいた。
「同じ船に乗り合わせたはずなのに、先に下りる奴もいる。……『わたしたちは黄昏をゆく葦の小舟で肩をよせ合い……』か」
 最後は歌うように森さんは話した。ぼくが変な顔をしたからだろう。森さんは教えてくれた。
「拓海は知らないか。十年くらい前に流行った歌だよ」
 終わりゆく地球の命運によせる歌が当時流行ったのだという。
「降りるのは、みんなとサヨナラするときだ」
 森さんは眉を寄せて、笑って見せた。それから鞄から手紙を出した。
「ほら、いつものお待ちかねの」
 鼻をすすりあげて手紙を受け取ると、構わずそのまま封を切って中を確かめた。写真が一枚入っていた。
「これ、えんじゅさん?」
 前回の写真を森さんも見ている。だから今度の写真の人物が同じ人のようには見えなかったから、ふたりで首を傾げた。
 ぴんぴんに跳ねた短い髪に低めの鼻。鼻のまわりに散らばるそばかす。活発そうにみえる。ノースリーブのシャツにショートパンツ。でも、足には装具をはめているし、杖を手にまっすぐな眉毛のした大きな瞳が緊張気味にこちらを見ている。
 美人というより、愛嬌のある顔だ。
 短い手紙が入っていた。

 いつか、会えたなら。

 着飾っていない、お化粧していない、ほんとうの「えんじゅさん」。
「やっぱり、かわいいな」
 思わずうなずくと、森さんはぼくに笑いかけた。
「槇くんの力になりたいんだったら、医専に行けよ。お父さんお母さんのことはおれに任せろ」
 森さんは胸をひとつ叩いた。だって、と言いかけたぼくを遮るように森さんは、首を横に振った。
「ほかの人には、絶対に秘密だぞ」
 そう言うと、ぼくのそばへ、ぐっと顔を寄せてささやいた。
「おれ、アンドロイドなんだ。だから病気の心配はないし歳もとらない」
「え? アンドロイド、って」
「彗星破壊に失敗した宇宙開発技術力の結晶」
 ぼくはニヤリと笑う森さんを、まじまじとみた。大きな街にはいるらしいけど、こんな田舎にいるはずは。
 夕日をあびてオレンジ色に染まる顔は、どこにも不自然に感じられるものはなかった。
「信じてないな? 拓海が引っ越してきたのは何年前だ? かれこれ十年以上前からおれは拓海の家に配達しているだろ」
 森さんの眼は底光りしているように見えた。そういえば、森さんっていくつなんだろうか。二十代か三十代? なんだかよく分からない。背中がすうっと冷えていたのは、秋を感じる風のせいじゃなさそうだ。
「なんてね。拓海は騙されやすいな」
 森さんは歯を見せて、いたずらっ子のように笑った。
「さて、そろそろ帰るか。おれには世界の終わりを見届ける役目があるからな」
 森さんはおどけるように、手をヒラヒラさせて自転車にまたがると、じゃあなと言って去っていった。
 小さくなっていく森さんを見送ってぼくも自転車に乗った。
 ぼくには、何が出来るだろう。
 槇は、「生きる」といった。
 えんじゅさんは、「いつか」と書いた。
 ふたりとも前に進む。
 なんて……勇気があるんだろう。
 いつも、いつも何もできない自分がもどかしかった。何もできないまま時間に押し流されて、星が落ちてくる日に怯えていた。
 だけど。

 できることは、ある。きっと。
 
 サドルから立ち上がって力強くペダルを踏む。自転車のライトの不安定な光りが、行く先を照らした。
 灯りがともる家に着くと、縁側からミケの声がした。
 おじいちゃんには不便な今は期待していた未来から逆走するみたいで、できそこないの世界としか思えなかったんだろう。
 でも、ここにはぼくの大切な人たちがいる。大切にしたい想いがある。
 だから、できそこないだとしても、愛しいんだ。
 自転車を片付けると、足もとでミケがいつものようにぼくを見あげた。抱きあげた柔らかなミケからは、お日さまのにおいがした。

 手つかずの未来が、まだぼくにあるのなら。
 ふるえる足でも一歩まえに踏み出そう。

「ただいま!」
 赤いドアの向こうで、父さんと母さんの笑い声がした。
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