第10話 新しき世界 -さよならストロベリーー 6

文字数 1,852文字

 ハウリングの音が耳をつんざいた。
「国はどんな責任を取ってくれるんですか」
 それで目が覚めた。なんてことだ。こんな大切な場面で寝ていた……いや、ちがうようだ。さっきまであんなに寒かったのに、今は背中を汗が落ちていくのを感じる。なぜだ。
 討議の場になった会場は、外観こそ古めかしい赤れんがだが、内部は改築されていて最新の空調設備が入れられているはずだ。
「個人の財産を国が取りあげて、我々に苦労を強いるんですか」
 学生だろうか。チェックのシャツの青年が、起立してマイクを握り、強い口調で質問していた。
 わたしが動かず座ったままだから、奇妙な間が生まれる。となりに座る財務省の事務官がわたしを不安げに見つめている。
 あ、あ。マイクを掴まないと。なぜか視界が歪んで、伸ばした手が水差しを倒してしまう。
 白いテーブルクロスが眩しく感じて目を押さえた。手も痺れている。
「どうしたんですか、真っ青ですよ」
 小声でささやき、タオルを持って腰を屈めた建部女史が、わたしのもとへきて濡れたスーツを手早く拭いた。わからない、汗が出るんだ。吐き気はないが、体を圧迫されているような具合の悪さがある。ポケットからハンカチを取り出すと、小さなメモがぽとりと落ちた。拾い上げて書かれた文字を目にして息を飲む。
「官邸へ連絡を、佐和子嬢を保護しろ」
 渡されたメモに目を通して建部女史が固まった。
「そんな、まず病院へ、いえ、ちがう。何から……」
 数行のメモには、いくつものやるべきことが書かれてあった。なんてことだ。
「オトラに、オトラを動かせ」
 建部はきっぱりとうなずくと、舞台袖へ駆け戻った。
「あんたたち、政治家の年寄り連中は終わりの日までにくたばっているから関係ないだろうが、今の子どもたちは、俺たちみたいな歳の奴はどうすればいいんだ。ただ死ぬのを待てというのか」
 わたしが答えないことに業を煮やした青年が叫んだ。わたしは歯を食いしばって立ちあがった。足がふるえる。力の加減が分からない。でも、答えなければ。演台までの距離が恐ろしく遠く感じる。千人分の視線が痛い。

『ごめんなさい』
 佐和子嬢のメモにはそう書かれてあった。
『妹たちを殺すとおどされました』
 いつもわたしは思慮が足りない。
『総理の食事に毒を入れろと』
 だからか。いまごろ効いてくるとは遅効性のものを用意したんだな、敵は。舞台の裏側が騒がしくなってきた。建部が連絡をしているのだ。大丈夫、彼女は優秀だ。
 演台までくると、下のブースにオトラがいた。目を見開き口をひき結び、パソコンのモニターを見ている。
 ソートしろ、この中に佐和子ちゃんを襲った奴がいる。……爆弾を持って。
 演台のステップへと体を持ちあげ、マイクの前に立つ。ひどい顔になっていないだろうか。すでに視界は狭くなっている。
「その日まで生きている自信があるとは、立派なものです……」
 マイクをもった青年が鼻白み、場内がざわついた。
「たしかに、わたしがその日まで生きている確率はあなたより、かなり低い」
 演台のふちを強くつかまないと、体がまえに倒れそうだ。さっきまでの汗が引いて、体が冷えてきた。
「わたしは、思いました。我々は平等になったのだ。彗星衝突により地球が終わる運命の日を知って。富める者も貧しき者も、健やかな者も病めるものも、その日にはすべてが終わるのだと。それは決して幸運なことではないでしょう。不幸な巡り会わせとしか、いいようがない」
 誰だって、手折るように命を刈られたくはない。けれど、そんな出来事はごく身近にもあるのだ。まだ君が知らないだけで……。
 不意に大切な人を連れ去られることもあるのだ。
  汗が演台に落ちた。いや、また涙がわたしの感情を無視して流れ出したのだ。
「わたしは皆さんが望むとおりに、命を閉じるための施設を作ろう、安らかに終わらせるための薬を開発しよう……この先のことを考えれば、より絶望は色濃くなるだけだろう。けれど……死ぬために生きて欲しくはない。生きてほしい、あなたの人生を」
 声に張りがないのが自分でもわかる。けれど、もう少しだけだ。
 オトラが顔をあげて会場をぐるりと見渡し、体をぴたりと止め、一点を見据えたかと思うと、ブースの椅子の背を蹴って高く飛んだ。
「みなさん、伏せて!!
 力の限り叫んだら、演台から体が横倒しに落ちた。オトラが会場中央付近で線の細い男につかみかかり、何かを奪った。体に抱え込んでオトラが叫んだ。
「逃げろ、伏せろ!!
 
ひと呼吸後に爆発が会場を揺らした。
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