第7話 新しき世界 ― さよならストロベリー ― 3
文字数 1,928文字
このところ、毎日スピーチを読み上げている。今日はこの先五年の流れについてだ。録画が始まるまえに、建部女史がわたしの白髪をなでつけネクタイを締め直した。ちょっときつめなのは、気を引き締め原稿を誤読するなという暗黙のプレッシャーか。
「国民のみなさん、こんばんは。中川です」
ここでいちど微笑む。自然な笑顔には定評ありだ。
「今日は今後五年間の変更点について、お知らせします。まず、いちばんの関心事でありましょう、貨幣のことから」
貨幣は廃止、かわりにクーポンが発行される。だれもが飢えないよう、きちんと配慮する。
「貨幣廃止後は、共に働く『共働』と『配給』が基本となります。衣食住をととのえること、つまり生産や、インフラを維持することは国民のみなさんに、当番制でしていただくことになります」
ここで、おそらくは画面の向こうで声が挙がっていることだろう。じっさい目の前のテレビ関係者も半口を開けている。
「各企業は今後、活動をされるかどうか現在討議調整中です」
勤めに出なくてもよい、ただし公な労働は発生する。けれど、それは交代制で行い、それ以外は自由に過ごしてほしい。
「もちろん、そうなると交通網や流通等が今よりも、かなり鈍くなります。石油の割り当てが全世界で制限される関係上、車両は公共交通機関と緊急車両、各自治体に必要分のみとし、自家用車は使えなくなると思われます。今よりさらに自然エネルギーを活用します。富を全世界でわけあうと、生活レベルは現在の水準以下となり、不便さを感じることが多くなるでしょう。けれど、潤沢とはいえませんが衣食住は保証します」
不便は、不幸ではない。
「学校教育は、大学まですべて学費を無料とします。教育は必要です」
たとえ、未来がないとしても。人としてのなりたちに知識と教養は必要だ。
「時間に追われることなく、過ごせる社会を実現していきたいと思っております」
ああ、個人の財産の処遇についてはまた別日に説明だ。
原稿はこれで終わりだ。でも一つ伝えたいことがあった。わたしはいちど下げた視線をあげ正面のカメラを見つめた。
「悲しいことに、毎朝列車の事故をテレビのテロップで知ります。その片付けにあたる方々は、疲労困憊しています。電車が時間どおりに来ることを前提に、人は予定を組みます。電車に乗る人には果たすべき約束や予定があって、ほんの少し先の未来へいくために乗るのです。終わらせるために乗っているんじゃない。その方たちの邪魔をしてはいけない。みんなの時間をあなたの都合で奪ってはならないのです。どうかご配慮ください。そして、できればあなたも、少しだけ未来へ行ってみてください」
ふかぶかと頭を下げてわたしは画面からフェードアウトした。
電車、きみと乗った。
車を持たない若いころ、どこへ行くにも電車だった。海へ、山へ、買い物へ……産婦人科の定期検診へは必ず付き添った。
お腹の大きなきみは、学生さんに席を譲られて、二人でお礼を言った。
あの日々を忘れない。
ふたりで未来の話しをした。
学校に近い場所に、もう少し広い部屋を借りよう。子どもが通学しやすいように、すぐに迎えに行けるように。
ばら色に頬をそめ、大事そうにお腹に手をあてるきみが、まぶしいほど輝いて見えた。
「お疲れ様でした! これどうぞ」
思い出に浸っていたわたしをオトラの声が現実に引き戻す。ついでに顔の真ん前につき出されたモノを受けとる。
ストロベリーチョコレート……。
「ありがとう」
う、生暖かい。きっと半溶け状態だ。男の肌で温められたチョコレートか。
「疲れがとれますよ」
早く食べろと言わんばかりの顔でわたしを見ている。タスケテ! 建部を探すと誰かと通話中だ。食べるしかないと観念してパッケージの紙を破いた。
と、建部が髪を振り乱して駆け寄ってきた。
「チョコなんか食べている場合じゃありません!」
建部女史は頬がひきつり、携帯端末を胸に握りしめた。
「佐和子ちゃんが、暴漢に襲われて怪我をしたと連絡が」
「な……!」
「今は女性警官と官邸に戻ったそうです」
「帰るぞ」
うかつだった。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、将を射んと欲せばまず馬より射よ? なのか。
早足でテレビ局内を駐車場へと急ぐ。
とちゅう、二十歳前後のアイドルとすれ違った。大きな花束と紙袋を抱えたマネージャーらしき男性の後を、ヒールの細い靴で歩く。
いまの子くらいになっていた。きっと、きみによく似た目の大きな可愛らしい子だったろう。
いつか家を建てよう、車を買おう。
わたしはそんな夢を見ていた。
きみは、子どもの歳をずっとかぞえていた。
家も車も手に入れたけれど、わたしたちの子どもは生まれなかった。
「国民のみなさん、こんばんは。中川です」
ここでいちど微笑む。自然な笑顔には定評ありだ。
「今日は今後五年間の変更点について、お知らせします。まず、いちばんの関心事でありましょう、貨幣のことから」
貨幣は廃止、かわりにクーポンが発行される。だれもが飢えないよう、きちんと配慮する。
「貨幣廃止後は、共に働く『共働』と『配給』が基本となります。衣食住をととのえること、つまり生産や、インフラを維持することは国民のみなさんに、当番制でしていただくことになります」
ここで、おそらくは画面の向こうで声が挙がっていることだろう。じっさい目の前のテレビ関係者も半口を開けている。
「各企業は今後、活動をされるかどうか現在討議調整中です」
勤めに出なくてもよい、ただし公な労働は発生する。けれど、それは交代制で行い、それ以外は自由に過ごしてほしい。
「もちろん、そうなると交通網や流通等が今よりも、かなり鈍くなります。石油の割り当てが全世界で制限される関係上、車両は公共交通機関と緊急車両、各自治体に必要分のみとし、自家用車は使えなくなると思われます。今よりさらに自然エネルギーを活用します。富を全世界でわけあうと、生活レベルは現在の水準以下となり、不便さを感じることが多くなるでしょう。けれど、潤沢とはいえませんが衣食住は保証します」
不便は、不幸ではない。
「学校教育は、大学まですべて学費を無料とします。教育は必要です」
たとえ、未来がないとしても。人としてのなりたちに知識と教養は必要だ。
「時間に追われることなく、過ごせる社会を実現していきたいと思っております」
ああ、個人の財産の処遇についてはまた別日に説明だ。
原稿はこれで終わりだ。でも一つ伝えたいことがあった。わたしはいちど下げた視線をあげ正面のカメラを見つめた。
「悲しいことに、毎朝列車の事故をテレビのテロップで知ります。その片付けにあたる方々は、疲労困憊しています。電車が時間どおりに来ることを前提に、人は予定を組みます。電車に乗る人には果たすべき約束や予定があって、ほんの少し先の未来へいくために乗るのです。終わらせるために乗っているんじゃない。その方たちの邪魔をしてはいけない。みんなの時間をあなたの都合で奪ってはならないのです。どうかご配慮ください。そして、できればあなたも、少しだけ未来へ行ってみてください」
ふかぶかと頭を下げてわたしは画面からフェードアウトした。
電車、きみと乗った。
車を持たない若いころ、どこへ行くにも電車だった。海へ、山へ、買い物へ……産婦人科の定期検診へは必ず付き添った。
お腹の大きなきみは、学生さんに席を譲られて、二人でお礼を言った。
あの日々を忘れない。
ふたりで未来の話しをした。
学校に近い場所に、もう少し広い部屋を借りよう。子どもが通学しやすいように、すぐに迎えに行けるように。
ばら色に頬をそめ、大事そうにお腹に手をあてるきみが、まぶしいほど輝いて見えた。
「お疲れ様でした! これどうぞ」
思い出に浸っていたわたしをオトラの声が現実に引き戻す。ついでに顔の真ん前につき出されたモノを受けとる。
ストロベリーチョコレート……。
「ありがとう」
う、生暖かい。きっと半溶け状態だ。男の肌で温められたチョコレートか。
「疲れがとれますよ」
早く食べろと言わんばかりの顔でわたしを見ている。タスケテ! 建部を探すと誰かと通話中だ。食べるしかないと観念してパッケージの紙を破いた。
と、建部が髪を振り乱して駆け寄ってきた。
「チョコなんか食べている場合じゃありません!」
建部女史は頬がひきつり、携帯端末を胸に握りしめた。
「佐和子ちゃんが、暴漢に襲われて怪我をしたと連絡が」
「な……!」
「今は女性警官と官邸に戻ったそうです」
「帰るぞ」
うかつだった。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、将を射んと欲せばまず馬より射よ? なのか。
早足でテレビ局内を駐車場へと急ぐ。
とちゅう、二十歳前後のアイドルとすれ違った。大きな花束と紙袋を抱えたマネージャーらしき男性の後を、ヒールの細い靴で歩く。
いまの子くらいになっていた。きっと、きみによく似た目の大きな可愛らしい子だったろう。
いつか家を建てよう、車を買おう。
わたしはそんな夢を見ていた。
きみは、子どもの歳をずっとかぞえていた。
家も車も手に入れたけれど、わたしたちの子どもは生まれなかった。