第11話 新しき世界 ― さよならストロベリー ― 7
文字数 1,931文字
一緒にいってもいいだろうか。
冷たくなり始めた手をにぎり、ただ泣くしかできない。
「幸せにしてあげて」
誰を?
「みんなを。あなたを」
約束を果たせたなら、いいだろうか。
「ゆっくりでいいの。次に会ったら、あなたのお土産話をたくさん聞きたいから……」
きみの最後の声が、今も耳に残っているよ。
「五ヵ年計画の半分が過ぎ、皆さんの協力のお陰で他地域にくらべ、大きな混乱もなく移行していることを感謝します」
わたしは死ななかった。
治療が間に合い、命は保たれた。
「アンドロイドが皆さんの生活の手助けをいたします。すでに実用化していることはご存知かと思います」
今日も、わたしの後ろには建部女史が控えている。
「皆さんの人生が豊かでありますよう、政界引退後もお祈り申し上げます」
わたしの演説はこれが最後だ。丁寧にお辞儀をする。議事堂の会見場から拍手が起こった。
まあ、何とか役目は果たせただろうか。渡された花束からの甘い香りに安堵する。
「ありがたいことだね、無事役目が果たせた」
「無事でもなかったでしょうが」
眉間にしわが出来てしまった建部女史へ花束を渡し、代わりに大判の封筒を受け取る。
「迎えは?」
「もうすぐ来ます」
「あいつに車の運転は任せられるのか?」
「まえより性能は上がっていますから」
車寄せに行くと、ミニバンが入ってきた。ひと目見て膝から力が抜けそうになった。
「ドアが……」
停車した車は、助手席のドアが盛大にへこみ、長い傷がついていた。
「オトラ!!」
「はいっ」
呼ばれてオトラが元気よく運転席のドアを開けて出てきた。
「おまえは……」
小言の一つも言ってやろうと車に近寄ると、後部座席の窓が開いて、小さな女の子が二人ぴょこんと顔を出した。
「そーり!」
可愛い二重奏に、たちまち怒りは消え去る。
「美和子ちゃん、希和子ちゃん、そーりは終わりだ」
さらさら髪の頭を両手でなでる。
「佐和子ちゃん、執行猶予は満期を迎えたよ。今日からきみたちは、わたしの娘だ」
封筒には養子縁組の書類が入っている。縁あって、わたしは佐和子姉妹を娘に迎え入れることにした。
「わ、私なんかが……」
「過ぎたことだ。それにきみのメモのおかげで、被害は最小限に防げたんだ。それとも、わたしの娘になるのはイヤかい?」
佐和子嬢はさかんに顔の前で手をふった。
自殺を図った佐和子嬢は警備員に発見され、救急搬送さたれ先で息を吹き返した。脅されたとはいえ、殺害計画に手を貸したことには変わりなく、けれど情状酌量で執行猶予がついた判決が下されたのは三年前だ。
「オトラは作り直して性能が上がったし」
えへん、とオトラが胸をはる。今日のネクタイはサイの柄だ。どこから見つけてくるんだか、このへんは改善 されていない。
あの時、オトラはネットワークに潜り込み、佐和子嬢が襲われたとき前後の防犯カメラの膨大な画像データをソートし、来場者の中から犯人を探しだした。
「高性能アンドロイドの、はずなんだが」
佐和子嬢の淡い恋心を散らしてしまったのは申し訳ないが、当時アンドロイドの存在は極秘だったのだ。
わたしは助手席に座り、女性陣は後部座席に収まる。
「これ、退任のお祝いです」
美佐子嬢から小さな紙包みを渡された。香りからすぐに分かった。ストロベリーチョコレートだ。
「最近はめったに見かけないのに。ありがとう」
「ずいぶん様変わりしましたね」
前よりも人の歩くスピードが、ゆっくりになったような気がする。教会の炊き出しは見かけなくなった。
ラジオから流行りの歌が聞こえる。
わたしたちは
黄昏をゆく葦の小舟で肩をよせ合い
なつかしい歌を口ずさむ
終わる世界でも、わたしたちは手を取り合えるはずだ。
「オトラ、おまえは世界の終わりを見届けるんだ」
「イエッサー!」
……ほんとに性能は向上しているのか?
「あの、たまには遊びに行ってもよろしいですか?」
なぜか遠慮ぎみに建部女史が、最後部からわたしに尋ねた。
「建部さん、そういうときには『あなたが好きです』って言えばいいんですよー」
キャーっと建部女史が悲鳴をあげた。おお、確かに性能アップだ。
「オトラ!!」
見たこともないくらい、取り乱した建部女史がルームミラーに映り、なんだかみんなで笑ってしまった。
こんなときでも、わたしたちは笑う。わたしは笑えるようになった。
それに事件以来、自然に涙が流れることはなくなった。
ねえ、きみ。
わたしは誰かを幸せにしてあげられただろうか。
カカオ農場の子どもたちにチョコレートは届いただろうか。
……佐和子たちを幸せにしてあげられるだろうか。
もし、それができるなら、ストロベリーチョコレートは諦められるんだ。
新しく始まる、この世界で。
冷たくなり始めた手をにぎり、ただ泣くしかできない。
「幸せにしてあげて」
誰を?
「みんなを。あなたを」
約束を果たせたなら、いいだろうか。
「ゆっくりでいいの。次に会ったら、あなたのお土産話をたくさん聞きたいから……」
きみの最後の声が、今も耳に残っているよ。
「五ヵ年計画の半分が過ぎ、皆さんの協力のお陰で他地域にくらべ、大きな混乱もなく移行していることを感謝します」
わたしは死ななかった。
治療が間に合い、命は保たれた。
「アンドロイドが皆さんの生活の手助けをいたします。すでに実用化していることはご存知かと思います」
今日も、わたしの後ろには建部女史が控えている。
「皆さんの人生が豊かでありますよう、政界引退後もお祈り申し上げます」
わたしの演説はこれが最後だ。丁寧にお辞儀をする。議事堂の会見場から拍手が起こった。
まあ、何とか役目は果たせただろうか。渡された花束からの甘い香りに安堵する。
「ありがたいことだね、無事役目が果たせた」
「無事でもなかったでしょうが」
眉間にしわが出来てしまった建部女史へ花束を渡し、代わりに大判の封筒を受け取る。
「迎えは?」
「もうすぐ来ます」
「あいつに車の運転は任せられるのか?」
「まえより性能は上がっていますから」
車寄せに行くと、ミニバンが入ってきた。ひと目見て膝から力が抜けそうになった。
「ドアが……」
停車した車は、助手席のドアが盛大にへこみ、長い傷がついていた。
「オトラ!!」
「はいっ」
呼ばれてオトラが元気よく運転席のドアを開けて出てきた。
「おまえは……」
小言の一つも言ってやろうと車に近寄ると、後部座席の窓が開いて、小さな女の子が二人ぴょこんと顔を出した。
「そーり!」
可愛い二重奏に、たちまち怒りは消え去る。
「美和子ちゃん、希和子ちゃん、そーりは終わりだ」
さらさら髪の頭を両手でなでる。
「佐和子ちゃん、執行猶予は満期を迎えたよ。今日からきみたちは、わたしの娘だ」
封筒には養子縁組の書類が入っている。縁あって、わたしは佐和子姉妹を娘に迎え入れることにした。
「わ、私なんかが……」
「過ぎたことだ。それにきみのメモのおかげで、被害は最小限に防げたんだ。それとも、わたしの娘になるのはイヤかい?」
佐和子嬢はさかんに顔の前で手をふった。
自殺を図った佐和子嬢は警備員に発見され、救急搬送さたれ先で息を吹き返した。脅されたとはいえ、殺害計画に手を貸したことには変わりなく、けれど情状酌量で執行猶予がついた判決が下されたのは三年前だ。
「オトラは作り直して性能が上がったし」
えへん、とオトラが胸をはる。今日のネクタイはサイの柄だ。どこから見つけてくるんだか、このへんは
あの時、オトラはネットワークに潜り込み、佐和子嬢が襲われたとき前後の防犯カメラの膨大な画像データをソートし、来場者の中から犯人を探しだした。
「高性能アンドロイドの、はずなんだが」
佐和子嬢の淡い恋心を散らしてしまったのは申し訳ないが、当時アンドロイドの存在は極秘だったのだ。
わたしは助手席に座り、女性陣は後部座席に収まる。
「これ、退任のお祝いです」
美佐子嬢から小さな紙包みを渡された。香りからすぐに分かった。ストロベリーチョコレートだ。
「最近はめったに見かけないのに。ありがとう」
「ずいぶん様変わりしましたね」
前よりも人の歩くスピードが、ゆっくりになったような気がする。教会の炊き出しは見かけなくなった。
ラジオから流行りの歌が聞こえる。
わたしたちは
黄昏をゆく葦の小舟で肩をよせ合い
なつかしい歌を口ずさむ
終わる世界でも、わたしたちは手を取り合えるはずだ。
「オトラ、おまえは世界の終わりを見届けるんだ」
「イエッサー!」
……ほんとに性能は向上しているのか?
「あの、たまには遊びに行ってもよろしいですか?」
なぜか遠慮ぎみに建部女史が、最後部からわたしに尋ねた。
「建部さん、そういうときには『あなたが好きです』って言えばいいんですよー」
キャーっと建部女史が悲鳴をあげた。おお、確かに性能アップだ。
「オトラ!!」
見たこともないくらい、取り乱した建部女史がルームミラーに映り、なんだかみんなで笑ってしまった。
こんなときでも、わたしたちは笑う。わたしは笑えるようになった。
それに事件以来、自然に涙が流れることはなくなった。
ねえ、きみ。
わたしは誰かを幸せにしてあげられただろうか。
カカオ農場の子どもたちにチョコレートは届いただろうか。
……佐和子たちを幸せにしてあげられるだろうか。
もし、それができるなら、ストロベリーチョコレートは諦められるんだ。
新しく始まる、この世界で。