3、楽園の扉、漏れ来る光-6

文字数 1,504文字

「あんた幾つ。学生さんかい」
 野太い声で「ママ」が尋ねた。派手な柄の和装に負けないど派手なメイクと髪飾り。真志穂の作る「透明な妖精」と違い、これでもかの過剰さに郁也は圧倒されそうになる。
「女のコの格好、出来ます」と必死の覚悟で郁也は店に売り込んだ。キレイさには自信がある。確かに自分の美しさのピークは過ぎたが、女のコの姿で買い物に出ても、誰に気付かれたこともない。
 店の奥の狭い事務室で、郁也はママと差し向かいで尋問されていた。
「二十一です」
 郁也が大学名を言うとママは「そんなエリートさんが、何でまた」とじろりと睨んだ。
 郁也は素直に本当のことを話した。金が要ること。だが自分は研究の都合で、長時間のアルバイトが出来ないこと。どうしようと困っていたときに表の張り紙が目に入ったこと。
「何でそんなに金が要るんだい」
 そんな若いうちに、しかも学生が、金に困るなんてロクなもんじゃない。そう思われても仕方がないと郁也も思った。郁也は顔を真っ赤にして正直に言った。
「『彼』が」
「ええ?」
「彼が、自動車免許を取らなきゃいけないんです。来春からの就職が決まってるのに免許持ってなくて。仕事上、絶対要るのに。だから、その費用を」
 郁也は泣きそうになって来た。こんなこと、ひとに言ったことはない。初対面のひとになら尚更だ。郁也が目許に指を遣ると、ママは大きく唸って腕を組んだ。 
「ただキレイに着飾ってればいいってもんじゃないんだよ、この仕事は。酔っぱらいに酒呑ましてナンボの商売なんだ。あんたにそれが出来るのかい」
 郁也はただ「頑張ります」としか言えなかった。俯く郁也にママはふんっと鼻を鳴らして、店から女のコをひとり呼んだ。
「ちょっと、ナナちゃん」
 ナナと呼ばれた女のコが顔を出すと、「あんた、このコに化粧道具を貸して遣って。それから衣装は、先月辞めたクララのがそのままあるから。そっから一枚出して来て」と言い付けた。
「さ、ナナは店に戻んな。誰も手出しすんじゃないよ。これは試験なんだからね」
 最後に郁也に厳しい目をくれて、ママは店に戻って行った。
 こんなことになるなら、自分の道具を持って出直すんだったかな。
 郁也は貸して貰ったメイクボックスを開けた。きっちりひと通りのものは揃っている。当たり前だ。これで商売しているひとの道具なのだ。遠慮がちに郁也は箱の中へ指を伸ばした。
「ほうっ。なかなかのもんじゃないか」
 ママは低い声でそれだけ言って、郁也の姿を上から下まで何度も検分した。店のほかのコの目も気になる。郁也は縮こまって震えた。
 店の向こうでお客を囲む集団がどっと沸く。下品なジョークに付きものの下卑た笑い。
「よし。採用だ」
 ママの後ろで、ほかのコたちより年嵩の、派手なドレスのお姐さんが「ちょっと、ママ」と心配そうな声を出した。
「こんな気の利かなそうなお嬢さま、ウチの店には向かないんじゃないの」
「いいんだよ。出来なきゃ出来ないでそのときさ。ね、あんた。金が要るんだろ。あんたの大事な『彼氏』のためにさ」
 郁也はその場から消えたくなった。「彼氏」と聞いて、周囲のお姐さんたちの視線が一斉に郁也に突き刺さった。更に身体を小さくして、やっと言った「はい」という返事は店内の喧噪に紛れて消えた。
 ママは何やら大きく頷いて郁也に言い渡した。
「よし。あんたはカウンターの中で、笑って水割りを作ってりゃいいよ。それと洗いものとね。その代わり時給は二千円だ。もっと稼ぎたきゃあとは自分で算段しな。どうだい」
 不服そうにざわめくお姐さんたちを制して、ママは郁也をぐっと睨み付けた。
 郁也は「お願いします」と震えながら頭を下げた。
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