第4話

文字数 13,403文字

 第三部 『龍の柩』
 これは大和武雄が五十歳から六十五歳。大和貴志の青年期。山口豊章が五歳から八十歳の頃の話です。
 それぞれの時代に、それぞれの想いで、それぞれの人生を生き、国を動かそうとした人間模様を絡めて、二之宮ハヤトを中心に人間社会に大切なものを考える物語です。


   龍の柩

 西の大陸にシンカ帝国が建国した。内戦が終結したとはいえ混乱は続き、周辺諸国は戦後の今の方が悲惨な目に遭っている。
 再生医療技術とレアメタルを輸入する目的で西の大陸へ渡る事になった。
 俺は西の大陸への渡航準備の為に大和貴志と面会した。
 レンガ造りの館に着くと、執事が出迎えて、応接間に案内された。応接間に鎮座するアンティークの柱時計。時を刻む音だけが響く。やがて、ガウンを着こんだ大和貴志が現れる。
「こんな夜中に申し訳ありません。夜が明けたら出航しなくてはなりません」
 大和貴志の表情は静かだ。全てを理解した語り部が物語りを紡ぐように、ゆっくりとした口調だった。
「そうですか。須賀さんが行かれますか」
「はい。少しでも役に立てれば良いのですが」
「須賀さんは優秀だから大丈夫でしょう。しかし、優しい。須賀さんは目の前の人間に優しすぎる」
 大和貴志が目を細め、言葉を飲み込む。
「はぁ、どういう事ですか」
「いえ。申し訳ない。そう、西の大陸のサポートでしたね。山口豊章に頼めばいい」
「山口さんって貴志さんの所に居た方ですか」
「そう。須賀さんには話しておいた方が良いでしょう。山口は二十歳まで西の大陸に住んでいました。彼はミマ国王家の末裔なんです。本名はコニキシ。西の大陸に渡ったらエイシという女性を訪ねてください。エイシはミマ国神官の孫娘。コニキシは、そこに居ます」
「どういう事ですか」
「今から数千年も昔の事です。キッシー国という国があり、ギシ郡やミマ地方、バッカイ地方などを広く統治していた。キッシー国は、ダンクン国王の時代にギシ郡で反乱が起き分裂した。ダンクン国王はミマ地方に逃れ、新たにミマ国を建国する。そして、今から百数十年程前。ギシ郡で経済力をつけた企業がミマ国に進出してきた。当時の流行り病を治療する為の薬を輸出してきたのですよ。だが、薬は偽りの物だった。ミマ国には借金だけが残り、数年後に国が滅亡した」
「コニキシがそのダンクン国王の末裔だというのですか」
「その通り。ミマ族の人々は、今でも王家の血を引く者が救世主として現れると信じている」
「だから代々、出生を隠してきたんですか」
「そう。ギシ郡に住む人達にとってはミマ国の復興の種を摘みたいんですよ。正統な王家の血を引く者は勿論、ミマ国の古い神や神官までもが根絶やしにされたんです」
「そのエイシとかいう娘がミマ国の神官の子孫なんですか」
「巫女です。真の王、ダンクンの血を受け継ぐコニキシと、(いにしえ)の神トヨに仕える巫女の末裔エイシがめぐり逢ったのは天の定めだったのでしょう」
「ミマ族の巫女は今も存在するんですか」
「いや。百数十年前、ミマ国が滅亡した時にトヨの神も葬られた。ミマ国の巫女達は虐殺されたと聞く。そして、忽然と現れたのが自らを預言者と呼ぶ集団だった。預言者達が西の大陸の人々に新しい神、シンノオオ神を信じ込ませたのです。エイシは古い神の巫女で最後の生き残りでしょう」

 ☆
 
 西の大陸は噂以上に荒廃していた。
 焼け跡にあるバラック小屋で妖しく光る赤色灯。肌を露出した薄着の女達。売春宿だ。まさか、エイシがここに。周りは見渡す限りの焼け野原。
 俺は売春宿の女衒らしい老婆に話を聞いた。
「知らないよ。帰っておくれ」
「エイシという女性なんだ」
「あの()なら死んだよ。国民軍の奴等さ。可哀想に無抵抗の娘を弄んで、なぶり殺しに。あの()は耳が聞こえないのさ。返事が出来ないの当たり前だろう」
 巨大な暴力が簡単に命を消し去る。弱者の悲しみは止まらない。
「エイシさんには息子が居たと思うんだけど、」
「連れたかれたよ。十代の子供達も皆。強制労働させられるんだろうよ」
 コニキシの消息も分かず仕舞いだった。
「ところでエイシの息子というのはコニキシの子供なんですか」
「そんな筈ないよ。あの男がエイシの面倒をみるようになったのは二年前からだよ。亮太は十六歳だからね」
「亮太って、エイシの息子の名前ですか」
 そうか。コニキシは幼い頃、母親と二人で極貧生活をしていたと聞く。もしかしたらエイシと自分の母親の姿を重ね合わせた想いだったのかも知れない。
 或いは、コニキシにとって初めての恋だったのだろうか。そして、最後の恋だったのかも知れない。
 結局俺は、西の大陸でコニキシに会う事は出来なかった。
 コニキシはエイシの息子を探しに行ったのだろうか。それとも東の島に帰ったのだろうか。少なくともコニキシが西の大陸に居るなら、目的は再生医療技術とレアメタルの筈。シンカ帝国の役人への接触を図るだろう。
 俺は独自のルートで活動を開始した。
 建国したばかりのシンカ帝国では政情不安が続き、デモやテロが頻繁に起きた。
 五月三十日、二万人のデモが起きる。デモの演説をメモしていた警官が殴られる。首謀者の八人は六月三日には有罪判決を受ける。その二週間後。六月十六日に全ての集会を禁止する通達が発表される。デモとは関係のないコンサートや結婚式、葬儀までも禁止になるという異常事態だった。
 公道に三人が集まれば逮捕される。そんな西の大陸にタツオと名乗る男が現れる。タツオは虐げられていたミマ族の民衆のリーダー的存在となり、デモやテロを扇動する要注意人物とみなされた。
 タツオの詳細は分からなかったが、痩せ型の長身、四十代半ばで冷静な男だという。
 俺の脳裏に山口豊章の姿が思い浮かんだが、そんな筈はない。山口は大和貴志の忠実な懐刀だ。

  ☆

 それから三十五年の歳月が流れ、西の大陸のシンカ帝国は滅亡した。
 世界の平和は保たれている。

 最近、二之宮ハヤトは市長室にこもる事が多くなった。
 二之宮ハヤトの市長室に置かれた器には、青竹のように鮮やかな色をした青龍が描かれている。龍の眼は鬼灯(ほおずき)のように真っ赤に燃え盛り、その(ひげ)火焔(かえん)の如く舞い乱れている。
「二之宮市長、その龍の絵には意味があるんですか」
 今年八十歳になる元秘書の山口豊章が器を見詰めながら呟いた。
「この青龍が持つ(たま)こそ、我々人類が手に入れた地上の太陽なんだよ。神のような無限の力を持った核融合エネルギーだ」
 二之宮ハヤトは満足気に器を見て微笑んだ。

 当初、器を眺めているだけで満足感があった。器が自分を守ってくれる守護神に思えた。そのうち二之宮ハヤトは昼も夜も器の事が気になって仕方ない。少しの時間があると器を眺めに立ち寄るようになる。
 器は静かに、そこにあるだけだった。
 やがて、二之宮ハヤトの心は乱れ、落ち着く島がない。
 (はた)から見れば気がふれたかのようにみられた。二之宮ハヤトは最愛の女性を抱くように器を抱きしめる。固く冷たい器を抱きしめ撫でるのだ。来る日も来る日も器に執着する二之宮ハヤト。
 その時、部屋の灯かりが点滅し、器が(ほの)かに温かく感じた。まるで血の通った生きもののように色づき、体温を感じる器。
 二之宮ハヤトには器の鼓動が聞こえた。
 もはや、二之宮ハヤトにとって器は、この世界で守るべき大切な生命体だった。

 何もしない器は、いつまでも、そこにある。

  ☆

 伯父の大和貴志の力添えもあり、私は二十三歳でカワウ国の市長になった。在任三十年になる。
 伯父の大和貴志は、若い時から眼光が鋭く、百年先の世界を知っているかのように、全てを見通しているようだった。
 その伯父が一番に望んだもの。それが地上の太陽だ。私は、その地上の太陽を手に入れたのだ。
 私は、私の持ちうる全てを注ぎ込み、器を手に入れた。
 この器の中には、とてつもなく強大で人類にとって多大な影響のあるものが入っている。
 十数年前にスワ国が開発した核融合エネルギーだ。
 物騒だと言う奴もいるが、なぁにぃ心配ない。大切に扱えば人類に無限の恵を与えてくれる。
 ただし粗末に扱えば、人類、いや、この地球が消滅するかも知れない。それだけの事だ。
 核融合エネルギーは長年、人類が夢に観てきた地上の太陽なのだ。これを利用しない選択肢はない。
 だが、最近の市民は欲望というものを忘れてしまったらしい。消費活動をしない。
 十数年前に我々はエネルギー、食糧、人材の地産地消を中心とし、エコロジー事業を展開してきた。シェア経済を追求し、新しい社会構造の構築に成功した。
 私の産まれ育った田舎町では家々に取り付けられた風車のような発電機で僅か数ワットの電力を作り事足りる。夕方になると暖炉の煙が立ち昇り、夕食の香りが漂う。車は一台も走っていない。子供達は小さな学び舎で生活に必要な事を教えてもらう。親達は昼過ぎに畑仕事を終え、太陽の傾く頃には家族全員で夕食を共にする。『足るを知る者は富む』という言葉がある。この島の人間達は、今を生きて、満ち足りて居るのかも知れない。
 しかし、このままでいいのだろうか。人間は欲望によって進化してきた。
 私は決心した。市民の欲望を掻き立てる為に永遠の命を与える事にした。かつて西の大陸の技術を使った再生医療は失敗した。今回は遺伝子組み換えの技術を使う。技術提携の為にエウロパの人間を招く事にした。

  ☆

 その男は真っ直ぐに歩いていた。背丈は二メートル近く。胸板は厚く、腕は丸太のように太い。青みがかった真っ白な顔立ちは彫刻のようで、黄金色(こがねいろ)の髪の毛は逆立っている。
 西の大陸でも、東の大陸でもない外国人の薫りが漂う。地球の裏側に住むというエウロパの男だ。
 初めて見るエウロパの人間。御伽噺(おとぎばなし)かと思っていた村人達は目を見張る。
 二十歳代前半の肉体を持つエウロパの男は九十歳を超えているという。人々は驚嘆した。そして目覚める。永遠の命が現実のものと感じられた。
 目に見える事実が欲望の扉を開いた。消費活動が活発になる。街は機械で溢れ、無限にエネルギーを消費し続ける。
 街角に点在する音の無い電子公告に目を向ける。ジッと見詰め、瞬きを二回するのがサインだ。電子公告が市民に語りかける。まるで、洗脳された羊のように商品に導かれる人々。もはや、家畜と化した人間達は羊飼いに逆らう事は出来ない。

  ☆

 私は核融合エネルギーを手に入れた時、山口豊章に相談した。いつもは的確なアドバイスをする山口が、その時は何も答えなかった。
 意外な所から提案があった。地球の裏側のエウロパだ。極秘機密である核融合エネルギーの事を何で知っていたのか。
 エウロパの男は遺伝子組み換えの技術提携を条件に、核融合エネルギーの共同利用を持ち掛けてきた。当初、私は迷っていたが合意する方向で返事をした。
 それが全人類の為になると信じていたからだ。
 エウロパの男が、この島にやって来た時、山口豊章から連絡があった。私は山口にエウロパの男の接待役を任せた。エウロパの男が信頼できるかどうか、山口の意見が聞きたかったのだ。

  ☆

 山口豊章はエウロパの男を連れてコシ国へ向かった。コシ国の翡翠原石の採掘場近くにある鍾乳洞を抜けると小川が流れている。小川の源泉を辿(たど)って歩くとブナの樹の茂る森に導かれる。小川の源泉はウルドと呼ばれる聖地。(いにしえ)の先人達が魂の交流を交わした場所らしい。
 昼と夜が互いを分かち合う日の午後にウルドの泉に辿り着いた。
 ウルドの泉。光の波が打ち寄せる岸辺に白鳥(しらとり)が舞い降りる。大きく伸びをした白鳥は、ゆっくりと羽ばたき、西の空に飛び立った。桃色だった西の空が真紅に染まる。炎のように真っ赤になった鳥は夕陽に溶けていく。
 コシ国の郷に戻ると、稚児(ちご)を囲み祭りが始まる。稚児に憑依した神が、幽世(かくりよ)の言の葉を童歌(わらべうた)で伝えている。
 村人達は東の方角に鎮座する山に向かって手を合わせ祈る。
 不思議な様子でエウロパの男が訊ねた。
「あの山が御神体と言うやつですか」
「分かりません。実体は無いんですよ。例えば私達の肉体は有限です。しかし、世界は無限です。時間も存在しない。初めも終わりもない。虚にして霊あり。それがトヨの神らしいです」
 郷の中心にある(やしろ)には天高く伸びる柱が突き出ている。エウロパの男が不思議そうに興味を示す。
「あれは何ですか」
心御柱(しんのみはしら)です」
「それは何ですか」
「目に見えない世界と目に見える世界を橋渡しするのが心御柱の役目です」
「ジグラットの事ですね」
「ジグラット。何ですか、それは」
「エウロパの東、シナルの地に住む優れたテクノロジーを持つ人々の支柱。その塔を中心にして、世界が一つになっているんです」
「それは目に見える価値観で結びついた幻想でしょう。心御柱とは違うものだと思います」
 エウロパの男の名前はグノーシス。グノーシスは世界の資本、価値観、思想を一つにしようとしたニムロデ社の出資者。かつての大株主だった人物だ。
「エウロパの伝承では神話の時代に人類がポムドイブと呼ばれる箱を開け、叡智(えいち)を手に入れた。その時から神に変わり、人間こそが世界を構築する存在なったんですよ」
 グノーシスの話は全ての人間達が理解する事の出来るような流暢な言葉だった。しかし、グノーシスの話を聞いた者は心が病む。山口豊章には直ぐに、その事が分かった。
 ウルドの泉から湧き出る水滴が小川となり滝を造り、霧がたちこめる。
 グゥォーッ、グゥォ―ッ。
 乾いた大地に雨が降り、小川は大河となる。
 水音(みずおと)がエウロパの男の声をかき消す。
 八雲立つ雲の切れ間から太陽の光が射しこむ。霧に反射する七色の虹が全てを語り、人々は沈黙する。
 磐座に閉ざされた山から太陽が昇り、(さと)高御座(たかみくら)を照らす。
 石舞台で太陽の巫女が神楽を始める。
 シャアッ、シャアッ、シャアッ、シャアッ。
 魂を鎮める鈴の()に羽衣が舞う。
 風は澄みわたり、清流が郷を潤す。目に沁みる緑の芽が実りとなり、村人の御霊(みたま)に宿る。子供達の笑い声が木霊(こだま)する。
 世界で失われた(いにしえ)の神が、この島には息衝(いきづ)いている。
 コニキシがこの島に来て六十年になる。今、初めてコニキシはこの島の人間になったと感じる。

  ☆

 今から七十五年前。西の大陸にシンカ帝国が建国する四十年前の話。スポーツ万能、頭脳明晰、将来を嘱望された期待の跡継ぎ、大和貴志が十五歳の頃の話だ。
 貴志の父親は東の島の企業、ソガ商事のオーナー社長である大和武雄。
 ソガ商事は、西の大陸から鉱物資源を輸入する事を生業(なりわい)としている。
 ソガ商事の発展は、東の島の国々が近代化、工業化する事を意味する。
 やがて、ソガ商事は大陸から輸入した鉱物資源を農耕器具に加工して、西の大陸にある少数民族のミマ族が暮らす村へ輸出しだした。
 ミマ族の村に隣接する地域には、バッカイ族が住んでいた。バッカイ族は大昔からの商人集団。急速に進化するテクノロジーや社会変化にも機敏に対応する人々だ。
 その頃、大和武雄は頻繁に西の大陸に出向いた。
 西の大陸は二十五の郡政府に分かれている。そのうちの一つ、ギシ郡政府の若い官僚、エンタツと大和武雄の密談が度々、行われた。
「エンタツさん、何とか鉱物資源の独占権をソガ商事に任せてもらえませんかね」
 高級クラブのソファー席。下座に座り、接待役をするのは大和武雄。二回りも年下のエンタツは上座の席で、ワイングラスを廻しながら答えた。
「大和さん、私もね、ソガ商事さんの事は信頼しています。このギシ郡が潤っているのもソガ商事さんの御蔭だと思っているんですよ。私はね。だけど、最近は市民がうるさくて。入札はしてもらわないと。バッカイ族の連中も鉱物資源には興味があるらしいですよ」
 ワインを飲みながら、口元だけニヤリと、薄気味悪い猥褻(わいせつ)な笑みを造るエンタツ。
 大和武雄が右手を挙げ、手招きをすると、五人の若い娘がやって来てエンタツを囲むように席に着いた。
 そのうちの一人。二十歳代前半、いかにも田舎娘らしいミマ族の女がいた。顔に火傷の痣がある女、名前はロジン。
 数か月後、ロジンと大和武雄の間に女の子が産まれる。名前はミカ。大和貴志の十六歳年下で腹違いの妹になる。ミカは二十歳の時に二之宮照彦の妻となり、二之宮ハヤトを産んだ。

  ☆

 大和貴志が三十歳の春、病に倒れた父親に呼び出された。病院で父、大和武雄に紹介された二十歳の青年。ミカの腹違いの兄だという。ロジンの連れ子だった。名前はコニキシ。この青年の存在は隠されてきた。
 大和武雄の話では、コニキシの父親は、百年前に滅亡したミマ国王族の末裔だという。少数民族で小さい国だったが、太古の昔から続く国王を奉ずるのがミマ国だった。百年前に隣接するギシ郡の企業から莫大な借金をしたのがキッカケで滅亡してしまった。
 「わしはミマ国が再興した時の為にコニキシを西の大陸で育てた。だが、今や東の大陸のロザール共和国は経済圏を西の大陸にまで広げた。危機感を持った西の大陸の二十五の郡政府は一つになり、超大国が誕生した。もはや、ミマ国の再興は不可能だ。コニキシ、いいか。今から、お前は山口豊章として、この島の人間になれ。そして、大和貴志の影となり、この島の舵をとるのだ。貴志、お前は、この島を一つにまとめて導け。それが天命だ」
 父、大和武雄の最後の言葉だった。

  ☆

 大和一族が代々、守り続けてきた森の奥深くにある聖地。磐座(いわくら)に囲まれた場所。普段は誰も立ち入る事のない神籬(ひもろぎ)の館と呼ばれる(やしろ)が佇んでいる。
 危篤状態の大和武雄が神籬の館に運ばれた。
 数千年の昔から、遠永(とおなが)に灯り続ける燈明(とうみょう)遠津御祖(とおつみおや)の先人が(おこ)した火を絶やす事なく、守り続ける一族が大和家だ。
 大和家の当主は永遠の火を受け継ぐ。

 新月の晩、息を引き取った大和武雄の遺体が柩に納められた。大和貴志が左右の手を合わせる。柏手(かしわで)の音が何もない(やかた)に響き、静寂が訪れる。生と死の合間で誕生した暗闇に燈される永遠の火。
 炎の揺らめきに大和貴志の姿が浮かびあがる。
 今、貴志の肉体を御霊代(みたましろ)にして、数千年前の魂が宿る。大和武雄をはじめとする代々の霊魂が貴志の肉体で息衝(いきづ)き、蘇った。
 絹と麻で織られた衣がある。代々、受け継がれた衣を身に(まと)った時、その男は魂を継ぐ者として、神威を発揮すると信じられている。

 二週間後。満月の夜。神籬の館の扉が開き、衣を身に纏った大和貴志が現れた。今まさに大和家当主として絶大な権力を手に入れた男が誕生した。
 大和貴志が最初に着手したのは、この島全体の資本を一つにする事を目的としたソガファンドの設立だ。
 買収の為の手段は(えら)ばない。貴志にとって、目的を達成する事が何よりも正しいという信念がある。
 ゆすり、たかりに近い事は日常茶飯事だ。スパイ行為は正当化される。山口豊章は優秀な工作員になった。
 豊章には四十歳になるまで戸籍を与えられなかった。幽霊のような存在。実体の無い影。

  ☆

 二之宮ハヤトは悩んでいた。山口豊章がエウロパの男との取引を中止するように言ってきた。
私は迷った。私の前に山口豊章が初めて現れた時、彼は五十歳だった。二十三歳の私がカワウ国の市長選に出馬した時だ。伯父の大和貴志の支援を受け、史上最年少で市長に当選した私は、二回り以上年上の山口豊章を私設秘書として雇った。伯父、大和貴志の意向だ。
 以来、全てを完璧にこなし、忠実に努めてくれた。この三十年間、プライベートな話をした事はない。その山口豊章にスワ国への旅行に誘われた。聞いた事もない村。彼が育った所だという。

  ☆

 寂れた村だった。三階建て以上の建物はない。路地で子供達が童歌(わらべうた)を唄っている。
『やーかたぁ、ふぅせぇーてぇ。やかたのなーかーの、とーりぃのー。はーねぇをぬーいて、かーざぁーるー。よーあけのばーんに、ふーじと、あおいをちーらしたぁー。うしろのしょーめーん、だぁーあれ』
「何だぁ、あの歌。歌詞を間違えてんじゃないのか。どういう歌なんだ」
「さぁ。ここいらの子供達は、みんな知っていますよ」
 表情を変えずに山口が答える。
 山口豊章は無口で真面目な男だ。何を考えているのか分からない時がある。山口豊章の出身地は誰も知らなかった。今回、山口自身から初めて郷里の話を聞いた。来てみて、思い出した。ここいら辺一帯は数十年前に亡命者の難民に対する移民政策として渡来人が大勢、居住した地域だ。

「二十歳の時から二十年間、この街で暮らしていました」
「子供の頃は何処に居たの」
「遠い場所です」
 山口は淡々と答える。

  ☆

 山口豊章の脳裏に浮かぶのは七十年以上前の母親の姿だった。

  ☆

 母さんの子供に産んでくれて、ありがとう。また、僕の母さんになってね。
 僕と母さんが過ごした幸せな時間は、遠い場所の昔話になった。
 
 五歳の頃の僕は西の大陸で暮らしていた。

 太陽の光がでガスの蜃気楼で揺らめく。
 死臭とヘドロのような腐敗臭で満たされたゴミ捨て場。
 ゴミの中に裸で死んでいる兵隊さん。光が映らない白い眼は人形のようだ。ここで暮らす人達は、普段と変わらない日常を過ごす。かつて、兵隊さんだった人のカタチの屍。その横でパンを拾う。
 ここが僕の育った場所だ。

 三日前にゴミの山が燃えた。母さんは大火傷を負い、顔の左半分に痣が残った。
 母さんは痣だらけの顔で、大きな口を開けて笑う。
 たった一つのパン切れを僕に差し出す。
「食べな」
「母さんは、」
「いいよ。食べな」
 僕がパンを受け取り、半分を母さんに返すと、黙って首を振る。僕がパンを食べると嬉しそうに目を細める母さん。夕陽で真っ赤に染まる母さんの横顔。
 ゴミの山が一瞬だけ光を放つと、太陽が沈んだ。紫色のキャンパスに墨汁を落とした夜空。満天の星がゴミ捨て場の夜空に煌めく。
「これ読みな」
 いつも沢山の本を拾ってきてくれる母さん。何の本だかは知らない。母さんは字が読めない。僕も字が読めないけど、本を読むふりをすると母さんは喜ぶ。
 母さんは、いつまでも僕の傍に居てくれると思っていた。
 翌朝、金ピカの黒い車がゴミ捨て場にやって来た。車から降りてきたのが大和のオジサンだった。商品棚を見るように僕と母さんを眺めると帰っていった。
 次の日から、僕と母さんは大和のオジサンの別荘で暮らす事になった。
 古い屋敷の応接間にある二つの時計の音が奇妙なメロディーを奏でている。お手伝いさんがやって来て、部屋に案内された。僕と母さんは別々の部屋をもらった。
 大勢の大人が、僕に勉強を教えてくれる。将来、役に立つ事を全て与えられた。丈夫な肉体を造る為の分厚い肉に新鮮な野菜。最新の情報も手に入る。世界に数冊しかない本も読める。
 大和のオジサンから僕は特別な存在だと聞かされた。いつか、東の島と西の大陸を繋ぐ、懸け橋になるんだという。
 一年後、母さんは僕の妹を産んだ。名前はミカ。母さんは一度もミカを抱く事なく亡くなった。
 普段、苦しそうな表情をしなかった母さんが「あ~あ~っ」と悲痛な声を漏らす。血圧が異常に上がったまま下がらない。薄目を開けるが意識は虚ろ。眼の奥の光が消えて逝く。
 心臓の出口が狭かったらしい。動脈瘤があったていう。肺には水が溜まっていたらしい。きっと、随分前から息苦しかったろうに黙っていたんだろうって、お医者さんが言う。
 亡くなった母さんは笑わなかった。表情のない母さんが横たわっている。
 大和のオジサンと僕の二人だけで母さんを埋葬した。オジサンが僕の手を握った。
「いいか、コニキシ。いつか、ここに、お前の手で大きな大きなロジンの墓を建てるんだ。ロジンは、お前の事をずっと観ているからな。どんな事があっても負けるな」
 その時の僕は大和のオジサンが何を言いたいのかが分からなかった。
 次の日。ハイハイも出来ない妹のミカは東の海の向こうにある島に連れて行かれた。
 月に一度、大和のオジサンがやって来る。そのほかの時間、僕は、この屋敷で過ごす。
 十四年の歳月が過ぎた。僕が二十歳になった歳に、東の海を渡った。
 時間が消滅した夜の海を船が進む。瑠璃色に煌めく島があるって聞いていたけど、僕の観た夜の島は黒い棺のように横たわっていた。朝が訪れる。海岸沿いに現れた漆黒の石の塊。それは太陽の光を反射して銀色に煌めく巨大な墳墓だった。
 東の島に着くと、大和のオジサンは病院のベットにいた。
 その時だ、貴志さんに会ったのは。貴志さんは大和のオジサンの息子さん。僕より十歳年上だという。スマートで優雅な立ち振る舞い。大和のオジサンより御洒落だ。スリーピースのスーツが様になっている。
 大和のオジサンは自分の寿命を悟っているかのように遺言めいた事を語った。
 「わしはミマ国が再興した時の為にコニキシを西の大陸で育てた。だが、今や東の大陸のロザール共和国は経済圏を西の大陸にまで広げた。危機感を持った西の大陸の二十五の郡政府は一つになり、超大国が誕生した。もはや、ミマ国の再興は不可能だ。コニキシ、いいか。今から、お前は山口豊章として、この島の人間になれ。そして、大和貴志の影となり、この島の舵をとるのだ。貴志、お前は、この島を一つにまとめて導け。それが天命だ」
 大和のオジサンの最後の言葉だった。
 オジサンが亡くなった時に、十四歳のミカを見かけた。僕の妹という実感はない。ミカは貴志さんの妹で御嬢様。そんな印象だ。事実、兄妹の名乗りをする事はない。僕は山口豊章として、貴志さんの言う通りに動くだけだった。
 やがて、ミカは二之宮照彦の妻となり、ハヤトを産んだ。つまり、二之宮ハヤト市長は僕の甥になる。三十年来、その事を明かした事はない。

  ☆

 山口豊章に案内される二之宮ハヤト。
 山口が二十歳から二十年近くを過ごしたという渡来人の居住地を抜けた所で車に乗り込む。乗車すると山口に資料を手渡された。それは数十年前の事故記録だった。
 昼下がりの木漏れ日に包まれ、心地好い風が時計の針を遅らせる。木立の煌めく陽の光が銀河の星のように降ってくる。
 眩しい白壁を進むと広大な野原が広がる。
 私は数十年前に核実験施設があった場所に案内された。
 空が何処までも高く、青く輝いている。目に沁みる草原が眩しい。
 数十年前に起きた事故の犠牲者は殆どが幼い子供だった。
 生命の息吹が溢れる広場の一角にある影。主を失った人形の山だった。数千個の人形が供養塔のように黙ったまま物語る哀しい想い。
 
 そこで初めて聞かされた、母ミカの出生の経緯(いきさつ)。しかも三十年来、私の(もと)で働いていた山口豊章が母の兄。つまり、私の伯父だったという事実。
 私自身にミマ族の血が流れている。
 核融合エネルギーの源は、かつて、西の大陸でミマ族が採掘したレアメタルが原材料になっている。レアメタルの採掘には、多くのミマ族の血が流されたと伝え聞く。
 
 気持ちの整理がつかない私は一人になりたくて、山口豊章には先にホテルに帰ってもらった。

陽が傾く頃、小雪がチラつき始めた。
 日暮れ時に海岸沿いの食堂に立ち寄る。
 夜の食堂は音もなく静かだ。
 遠い道を歩いてきた老人は冷めたコーヒーをゆっくりと味合う。
 ネオンの光に疲れた女は化粧を落とすのに忙しい。
 男達は気の抜けたビールと脂まみれのポテトを何時(いつ)までも眺めている。
 窓際の席は私を独りにしてくれる。
 曇りガラスの外で降り続く雪は漆黒の天空から落ちてくる罪人(つみびと)のようだ。街はなす術もなく埋もれてゆく。

 海の波が引いてゆく。真冬の黒い海に雪が降る。
 積もるはずのない雪で世界が溶けてゆく。
 冥界の扉があいたのだろうか。
 明け方でもなく、夜でもない光。冷たい子宮のように青白い灯かりの中、逝ってしまったものたちが(あら)われる。
 母親を残して逝った乳飲み子は静かに佇む。
 夫に会う事なく逝った女房は目を伏せたまま寄り添う。
 赤子の産声を聞く前に逝った母は哀しい眼差しで見守り続ける。
 母になる前の女がするように紅をさしている。生々しい肉感的な匂いも体温も無い朱色は、現世(うつしよ)幽世(かくりよ)の隔たりを浮き彫りにする。

 降り積もる雪が過去を消していく。道が無くなり、色が無くなり、やがて時間も無くなる。
 私の記憶が小さくなってゆく。
 寒くはなかった。だが五感が消えてゆく。私の肉体が薄れてゆく中、目の前の吹雪は風に舞う桜花になる。
 食堂を出て海岸線を歩く。

 昼間の賑わいが幻だったかのように、誰も居なくなった夜の浜辺。
 幾人もの人達の影法師が砂の中に沁み込んでゆく。まるで、時を洗い流すかのように打ち寄せる波。暗い沖の彼方へ消えて逝く想い。
 岬の向こうに滲む、遠い街灯かり。一人一人の営みが小さな燈火(ともしび)に宿り、音のないメロディーを奏でる。
 ズゥワァーバァ、ズゥワァーバァ、ズゥワァーバァ、ズゥワァーバァ、、、。
 いつまでも波の音だけを感じていた。気づくと満天の星屑が降ってくる。私は、既に冥界に辿り着いたのだろうか。
 母や顔も知らない祖母のロジン。そして、理不尽に死んで逝った人達の姿が観えた。

  ☆
 
 山口豊章には忘れられない過去がある。
 現実の世界は綺麗事では済まなかった。
 三十五年前。僕は、この手で人間を殺した。
 赤黒い血の匂いを今でも思い出す。腐った肉を手で掴んだ感触が蘇る。
 だが、もし、もう一度同じ場面に出くわしたら僕はまた、人を殺すだろう。

 あの日は妙に生温かい風が纏わりつく晩だった。

 僕がエイシに出逢ったのは寂れた売春宿だった。
 思春期の息子と売春宿で暮らさなければならない現状を目の当たりにして耐えられなかった。毎月の生活費を彼女に渡すしか出来ない自分が情けなかった。

 その日、エイシの部屋を訪れた時、既に彼女は瞬きもせず、笑う事もなく、傷だらけの人形のように投げ捨てられていた。
 隣の部屋で武装した軍人が力づくで女を犯している。僕は石の塊で軍人の後頭部を何度も殴った。

「アンタぁ、どうすんだよ。国民軍の軍人を殺しちまって」
 女衒の御婆さんが叫んでいる。
「そうですね。僕が死体を始末します。それより亮太は何処ですか」
「亮太は中学校のフスミ先生と逃げたよ。アンタも早く出てってくれよ」

 僕はエイシの埋葬を済ませると、軍人の屍を車に積んだ。
 もう、目を背ける事が出来なかった。

 シンカ帝国の首都。坂の下の裏通りは奴隷の村だった。傷つき、捨てられ、飢え死にしていった子供や老人の遺体が転がっている。ウジ虫やハエがたかる屍から疫病が蔓延し村が死んで逝く。割れた窓ガラス。荒廃した村。
 見上げると、星の無い夜空に帝国の街灯かりが霞んでいる。
 悪臭と汚物にまみれ這いつくばる村人。
 強大な力に支配され押し潰されているミマ族の人々。
 僕はタツオという偽名を使ってミマ族の人達を組織し反乱を起こした。街を停電させ、エネルギー施設を破壊する。街に火をつけ、警察署を占拠した。
 しかし、翌日にはミマ族が大虐殺される結果になってしまった。
 反乱者、男、女、子供、老人に関係なく、ミマ族を殺戮していく。二千人のミマ族を道路沿いに(はりつけ)にして殺した。おぞましい道が四キロメートルにも及んだ。街を流れるブラックドラゴン川は一万人のミマ族の血で赤黒く染まった。
 国民軍はミマ族の村を襲う。村の隅々まで、悲鳴と呻き声と銃声が地響きのように鳴り止まなかった。
 ミマ族の八割の人間が殺される。
 自分の無力さに絶望した。生きる気力も失ったが、僕は東の島に帰る決意をする。少なくとも東の島なら巨大な力を動かすチャンスがあるかも知れない。
 その時の僕は、そう信じるしか生きる術がなかった。
 東の島に着くとエイシの息子が難民として生き延びた事を知る。僕に生きる為の希望の灯が点った。
 今、言えるのは永遠の命と無限のエネルギーという欲望が、国家という強大な力となり、人々の幸せを消してゆくという事だ。その事実を声に出して伝える事が、僕の犯した罪への贖罪(しょくざい)になるだろうか。

  ☆

 カワウ国の市長室。
 私は考えていた。
 何もしない器は静かに、そこにあるだけだ。しかし、確実に存在する。一度、燈した火は消える事なく永遠に燃え続ける。

 私は伯父の大和貴志から聞いた話を思い出していた。
 誰も立ち入る事のない森の奥深くに神籬(ひもろぎ)の館という聖地がある。その裏地にある底なし沼。その沼は地底深くに通じ、地下水脈から大海原の海溝に繋がっているという。
 数億年かけて水脈は循環し、地球のエネルギーによって浄化されるらしい。
 大和一族の伝承では、(いにしえ)の先人が龍の柩を沼に沈めたという。
 龍の屍は朽ち果て土塊(つちくれ)に還り、その土地に棲みついた狼が命を宿した。その時、神の精霊が降り立ってトヨの神となり、この地に鎮座したという。
 それが伝説の夢物語なのか、本当の事なのか。
 科学的根拠のないものには誰も答えを出せない。

 私は器から逃れる事が出来なかった。

 大和一族とミマ族の血を受け継ぐ私に龍の柩が託されたのは天命だろう。

 器を持って、一人、伝説の沼に向かう。

  ☆

 エウロパの男との取り引きは破談になった。

 核融合エネルギーの存在を確認できなかったグノーシスはエウロパに帰るしかなかった。

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  • 序章  胞衣の森

  • 第1話
  •  第一部 『空蝉の国《うつせみのくに》』

  • 第2話
  •  第二部 『迦楼羅の森《かるらのもり》』

  • 第3話
  •  第三部 『龍の柩』

  • 第4話
  •  第四部 『ビードロの街』

  • 第5話
  •  第五部 『国家の戒律』

  • 第6話
  •   最終章『迷宮の防人』

  • 第7話
  •  番外編 『崩れかけの塔の下で』

  • 第8話

登場人物紹介

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