第1話 1/4

文字数 1,220文字

「博士、山科研究所からのスクリーニング依頼を受けたプノンペン衛生研究所の論文ですが、その中に面白い論文を発見しました。λ(ラムダ)型covidの変異型で、従来の2.3倍の伝播率を持つ新たな変異ウィルスが発見されたようです。マウスによる測定のデータが載っています」
 2年前の4月に修士課程を修了したポスドクの浜田がいつもと違い大きな声でチーフ研究員の野口博士に報告した。

 ここは東京都小平市の駅前にある、早慶医学研究所である。医学研究所といっても、試験管も電子顕微鏡もなく、スタッフも野口博士を筆頭にポスドクの浜田および浜田と同い年で26歳になったばかりの女子事務員の小日向の3人だけの小さな研究室である。両脇壁一面に本棚があり医学の専門書が並んでいることと、博士とポスドクの浜田が白衣を着ているのを除けば、普通の会社のオフィスと何ら変わらない。5階建て雑居ビルの中の3Fワンフロアーを利用している。

夕方5時前だというのに、ブラインドの隙間から夏の太陽が研究室全体を明るく照らしている。

 臨床や実験・観察は行わず、大学や地方自治体が運営する衛生研究所から論文の査定の依頼を受けて評価をする研究所である。covid感染症だけで毎日数百の論文が世界中からネット上に上がってくる、大学や公的研究所あるいは製薬会社だけでは、全てのAランクの論文を精査する余裕はない、一時スクリーニングを行い依頼のあった研究機関に情報を整理して返すのが我々の仕事だ。ちなみにAランクの論文とは発信者を除いて5件以上の引用論文がでているということである。

 浜田にとって野口博士は大学で言う主任教官にあたる、野口は部下でもあり教え子でもある浜田を、最近は上から目線でなく共同研究者としてみなして研究業務を進める、二年間の研究生活で身に着けた浜田の研究対象に対する分析力・検証能力は博士課程を終える最終段階に近づいている、論文が完成すれば近いうちに博士に昇格する。古巣の帝都大学の教授会で審査が行われるが、一回でパスするだろう。

「そろそろ来たか、殆どの感染症はウィルス、細菌問わず、一年から一年半で感染力が強くて弱毒化した株あるいは個体に変化する、そろそろパンデミックも終わりに近づいてきているようだな」
 そう言うと博士は浜田の背後からPCの画面をのぞき込んだ。
 英文で書かれたイントロの下に実験データの解析が載っている、博士は一目見ただけで浜田が言っていることが正しいことを理解した。
「スクロールしてくれ」
 PDFファイルを一ページ分進めると博士が「え!」と驚いた声で言ったので浜田と浜田の向かい合わせに座っている小日向は博士の顔を見上げた。博士の顔色が見る見る青ざめていくのがわかる。

 浜田はPC画面に目を移すと全身に電気が走ったような衝撃が走った。

 【実験に使用した新規ウィルス株毒性、南アメリカλ株の2700パーセント増。ラットの720時間以内致死率23パーセント】





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登場人物紹介

浜田

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