第7話

文字数 3,445文字

「あのう」

 不意に、まったく別の声が聞こえた。
 顔を振り向けたが、誰もいない。

 いや、人がいないだけだ。バイクは沢山いる。

「あなた、タカユキさん、ですか?」

 ずらりと並んだバイクの群れを見回していると、すぐ近くに停めてあったスクーターが、こっちこっちとハンドルを左右に振った。
 前輪に三つ、後輪に一つ、太いチェーンロックがかけてある。大型スクーターだ。

「お預かりしている物があるんです」
 スクーターが言った。
「……お預かり?」
「奥にいらした、ブルーのバイクさんから。あなたのバイクさんですよね?」

 よくわからないまま頷くと、受け取ってください、とスクーターはぱかりと座席のシートを開いた。
 中は大きめの荷物入れになっている。スクータータイプだからか、容量が大きい。こいつの主人のものだろう、剥げ欠けたヘルメットや錆取りシンナーの缶が詰められている。

 一番上に、見覚えのある包みが乗っていた。メンテナンス用の説明書や、任意や自賠責の保険証書一式を、雨に濡れないようにビニルの包みに入れて、バイクの座席の下に仕舞っておいたものだ。

「これ……?」

 包みを持ったまま、戸惑ってスクーターを見下ろした。
 スクーターはぱたんと座席のシートを閉めると、確かに渡しましたからね、と慎重に元の姿勢に戻った。

「言っておきますが」
 とまたこちらに前輪を向けた。
「U字ロック掛けてなかったら駄目ですよ」
「……は?」
「大抵、盗難保障は、ハンドルロックとホイールロックが両方されていたときじゃないと認められないんです。U字掛けてなかったら、注意が足りませんでしたね、で終わりです。それだけ私達、盗難多いんですから」
「家出特約はねぇしなあ」蜘蛛が口を挟んだ。「それにもともと、盗難保障は付けてなかったんじゃねぇのかあ」
「そうですか。まだ綺麗なバイクさんだったから、付けているかなと思いましたが。買ったばかりのバイクには、付ける人多いですし」
「買ったばかりってんではないぜ。綺麗なのは、単に乗ってやってないからよう」
「なるほど、そうですか。まあ私なんかはもう型落ちの老バイクですし、このとおりガリガリと傷だらけなので盗難保障なんて付けられてませんが。代わりに、盗まれないようワイヤーロックの数が凄いことに。拘束されすぎです。まるでマゾのよう」
「ちょ、ちょっと待って」

 孝之が制止すると、スクーターは、はい? と生真面目に応えた。
 蜘蛛と顔を見合わせるようにして、ああ、と言った。前輪が小さくぐりぐりと動いた。

「つまり、バイクの家出というのはたまにあることなんですが、人間の皆さんは盗難されたと認識されることが多いんですよね。で、そういうとき、保険に盗難保障が付いていればお金が下りることもあるんですが、保険会社の方も商売ですから、条件があってなかなか難しいですね、と、まあそういう話で」
「そういう話で、じゃねぇよ。なんだよ。わけわかんねぇよ。どっからそういう話が出てきたんだよ」
「訊かれたんですよ。僕がいなくなったら、盗難と思われて、持ち主にお金が入るんだよね、って。あなたのバイクさんに」
「…………」
「それで、タカユキは座席の下に保険証書入れてるから、それごといなくなったら保険会社に連絡もできなくなるっておっしゃいまして。証書をタカユキに渡してと、そう言われたわけです。ユーシー?」

 思わず、手に持った包みを見下ろした。

 ……保険金をオレに残そうとして?

「でも、それって」
「もちろん私も、これは良くないぞ、と思いましたよ。彼、思いつめているようでしたしね。引き止めようと、件のロックの条件などお話したり、そもそも盗難保障が付けられていないかもしれない、と諭したりしてみまして。どうやら彼、自分が車両保険に入れられていることは知っていたようなんですが、それで盗難も保障されるものと思っていたようです。事故のときに壊れた車の代金が補償されるのが車両保険で、盗まれたときに代金が補償されるのが盗難保障。四輪さんたちの場合、車両保険に盗難保障が一緒に含まれていることが多いんですけどね。私たちバイクに関しては、車両保険と盗難保障が別々になっていることが多いんです。盗難が多くて、保険会社も元が取れないのでしょう」

 孝之はビニルの口を開けて、保険証書を引っ張り出した。
 車両保険には加入している。初めてのバイクだったし、運転に自信もなかったから、事故が怖くてかけておこうと思ったのだ。だが盗難保障については、一気に値段が跳ね上がるのでつけなかった。
 ビニルを探るうちに、ふと気付いた。

「自賠責の証書がない」
「車検証もないはずです。盗難保障が駄目だと知って、今度はたぶん、売りに行ったんでしょう」
「売りにって、何を」
「自分を」
「自分をって」
 頭がくらくらした。
「……バイクの中古屋に?」
「ほとんど走っていないようだし、結構な値段にはなると思うんですが……向こうも商売ですからねぇ、買い叩かれないといいんですが。無理でしょうねぇ。気弱そうでしたからねぇ」
「自己主張の苦手な奴だったからなぁ」蜘蛛が唸った。
「おまえら、そんな呑気なこと言ってる場合じゃねぇだろ。何処のバイク屋だ?」
「さあ、そこまでは」
「知らね」
「なんだよ蜘蛛。おまえあいつの友達なんだろ? どうしてそんなに冷たいんだよ」
「おまえこそどうしてそんなに焦ってるんだ」
「どうしてって、そりゃあ――」
「いいじゃねぇか別に。どうせ売るつもりだったんだろ? ポケットの中に、中古買取の折り込みチラシだって入ってたじゃねぇか。自分で売られようっていってんだから、構わないんじゃねぇのか」
「…………」

 口を開けたが、喉の奥に上った言葉が、ぴたっと動きを止めたまま出てこなかった。

「なんだよ? 気付いてねぇとでも思ってたのかよ、おめでたい奴だな。半年も放っておいたのに突然出して、どうしたんだって思うの当然だろうがよ。自活の資金に困ってることと合わせれば、それくらい気が付いて当たり前なんだよ」
「……あいつは?」
「もちろん気付いてたよ」
「…………」
「確かにあいつは乗り物で、おまえにとっちゃただの道具だ。でもあいつにはおまえしかいなかったからな。いっつもおまえのこと窺って、顔色見て、それしかできねぇ奴だったんだ。売られるときには高く売られなくちゃって、エンストしねぇように気張ってたんだよ。薄汚れたままだと高く売れないからって、でも洗車したときにオイル垂らして泣いてたの、おまえ気付かなかったじゃねぇか。なんで俺が気付いておまえが気付かねぇんだ。なあ、今頃心配してどうするってんだよ。遅ぇんだよ」

 ジャンパーのポケットから、チラシをそっと抜き出した。
 折り畳まれたのを広げると、高価買取の白抜き文字と電話番号が覗いた。

〈ああ、あんたのバイク? 来たよ、ついさっき。買い取ってもらえないかって〉
 電話越しに、店員の声は面倒くさそうに答えた。
〈でも悪いけど、お断りさせて頂いたよ。書類は揃ってたんだが、ライダー同伴でない場合の売却は、あとあとトラブルになることが多いんで断ってるんだ。やっぱり、知らされてなかったわけか。困るんだよね。身内の問題は身内で解決してもらわないと〉
「あいつ、何処行きました? 何か言ってなかったですか?」
〈さあ、何処行ったかまでは知りませんね。ああ、何か言ってたってことなら、自分に車両保険がきちんとかかってるかどうかって、訊かれたけどね〉
「車両保険……」
〈知らないって言ったら、有効期日と一緒に調べてくれないかときた。困ったんだけど、教えないと帰ってくれそうもないから、ええ、調べましたよ。あと半年くらい有効になってたけど――〉

「いけない」
 聞き耳を立てていたスクーターがウィンカーをカチカチさせた。
「あんのバカヤロウ、思いつめやがって……」
 蜘蛛がぎりぎりと呟く。
 孝之は目をしばたたいた。
 馬鹿らしい考えが頭の中を駆け回ったが、それ以外思いつかない。人間での話だったら珍しくもないニュースだが、まさか。
 ぽつりと、口にした。

「車両保険金目当てに、わざと……?」
「事故を起こすんです」
「あいつ、死ぬつもりだ」

 スクーターと蜘蛛が、一緒に答えた。
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