第7話 密かな企て

文字数 2,518文字

 自分の、為すべきことが明確になった。どんなことでも、やり遂げると決めたら、目標になる。目標達成には、行動を起こすことが肝要だ。
 私は、運転免許を取ることにした。地方では、車がないと不便だ。それに今回の件には、必要不可欠だ。大学の講義の傍ら、教習所に通い、正月明けには、免許証を手にすることができた。せっかく免許を取ったのだから、と父が自分の乗っていた軽自動車を譲ってくれた。そして、自分は新車を買った。
 春が来た。四年生になった。就活と卒論で忙しいから、と親を説得して、大学の側にアパートを借りて、一人暮らしを始めた。あまりに近くだと、すぐに気づかれてしまう。だから、わざと少し離れた場所にした。だからなのかもしれないが、アパートの住人に、同じ大学の学生は、あまりいなかった。サークルの部員には、絶対知られないようにした。何かのきっかけで、あいつに知られたら、大変だから。どっちにしろ、サークルにはほとんど顔を出さなくなった。でも、彼に関する情報は欲しかった。
 彼の結婚式の後、二度ほど、奴に呼び出された。もちろん、奴の目的は一つ。こちらは、彼の情報が欲しい。ギブ&テイクだ。
 何度抱かれても、痛くて辛いだけ。じっと我慢して、終わるのを待つ。

「お前、何も感じないんだな」
 欲望を放った後、奴が白けたように言う。
「バカじゃないの!感じるわけないだろ、あんたなんかに!」
 吐き捨てるように言う。
「つまらないなら、やめればいいのに、何で呼び出すの」
 切長の目で、私を見据える。
「お前が、何をするかわからないから。相変わらず、物騒な目をしてる」
 思わず、顔を背ける。
「もう、ほっといて。顔も見たくない」
 奴が、私の顎をぐいっと掴む。顔を近づけてくる。
「だったら、なぜ、来るんだ。俺に何か期待してるんだろ?」
 口を利くのも嫌だ。
「なあ、もう四年だろ。自分の将来のこと、考えろよ」
 そして、ポツリと言った。
「今度、転勤になる」
 かなり離れた都市の名を告げる。
「忙しくなるし、遠いから滅多に帰省できない」
 私を、見る。
「これで、最後かもな」
 肩を掴んで、押さえ付ける。再び、挑みかかってくる。
 私は、内心ほっとしていた。これでこいつに邪魔をされないで済む。

 就活は、うまく行かなかった。公務員試験に軒並み落ちた。当たり前だった。男に振り回されて、自分の先のことを、何も考えていなかった。やりたい仕事なんて、何も浮かばなかった。ただ、人並みに就職活動をしている振りをしているだけだ。
 心は別の所にあった。ひたすら最後の学祭を待っていた。学祭の中日に、OBを招待しての親睦会がある。前回、私は学祭に足を向けなかった。新婚の彼を見るのは、辛すぎた。今年は、参加するつもりだ。彼はまた絶対に来るだろう。そして、転勤になった奴は、来ない。祝日に当たっているが、日帰りできる距離ではないからだ。私には、一つの思惑があった。

 晩秋のキャンパスは、年に一度のお祭り騒ぎに、浮き立っていた。私にとって、最後になる。賑わう学内を歩きながら、自分はここで、何を学んだのだろう、と考えた。卒業できる見通しはついたが、それだけだ。これをやり遂げたという充実感はない。もっと、違う道もあったと思う。自分の可能性を伸ばすチャンスもあったかもしれない。それを全部、自身で潰した。馬鹿な女だと自分でも思う。でも、これが私だ。今更変えられない。
 深呼吸を一つして、会場になってる学内の講義室のドアを開けた。

 まだ夕方だと言うのに、学生とOB達は、和やかに酒を酌み交わし、盛り上がっていた。さほど広くない講義室なので、これだけの人数が入ると、渾然一体となっている。
 私は、ひたすら彼の姿を探した。さりげなく見回す。すると、窓際の一角に、私の視線が釘付けになった。彼がいた。一年半ぶりに彼を見た。以前より、スーツがしっくりと板に付いてきた。私の同期生たちに囲まれて、自身の近況を語っているようだ。気付かれないように、そっと近づいて頃合いを図る。彼の声が聞こえてくる。
 話によると、年明けに子供が生まれると言う。周りから歓声が上がる。さらに、来春からこの大学の附属高校に転職するとのことだ。再び、歓声が上がった。
「前途洋々ですね。将来は、大学教授ってとこですね」
 彼も満更ではない様子だ。本当にそう考えているに違いない。
 そのタイミングで、彼の同期達が話の輪に加わって、座が乱れた。
 この機会を逃さなかった。
「先輩、ご無沙汰しています」
 静かに声を掛けた。振り向いた彼の目が見開かれた。動揺の色が浮かんでいる。必死に平静を保とうとしているのが分かる。
「…ああ、元気だった?」
「おかげさまで」
 いくつかの視線が、張り付いてくる。皆んな修羅場でも期待しているのだろうか。今更、そんな醜態は演じない。
 どうでもいいような会話を、いくつか交わした。少しずつ彼の警戒心がほぐれてきた。アルコールの酔いも手伝って、口調が砕けてくる。
「今日は、お車ではないんですか?私の帰り道の途中ですから、お送りしますよ」
 彼の勤め先を考えると、あの街に今も住んでいるはずだ。ここからは、バスと電車二本の乗り換えが必要だ。明日も仕事のはずだから、帰らなければならない。
「ああ、そうしてもらえると有り難いな」
 一時間後に駐車場で落ち合う約束をして、私だけ、会場を離れた。

 駐車場で、彼が来るのを待っていた。学内の外れにあり、木々に囲まれた人気のない場所だ。夜一人でいるようなところではない。半分の月が晩秋の風に震えている。だが、ちっとも寒さを感じなかった。
 やがて彼が姿を現した。薄暗い中でも、それと分かる輝きを纏っているように映った。細身のスーツで、襟元を緩め、ネクタイを外していた。粋で颯爽とした様子だ。整えられた髪が、一筋乱れて、顔にかかっている。知性と野心を宿した美しい瞳に吸い寄せられる。目が離せない。ああ…私は、こんなにも彼に魅かれている。まだこんなにも彼を愛している。乾くことのない傷口からは、ドクドクと血が噴き出している。全ての想いを、押し隠して、静かに微笑んだ。

「どうぞ」

助手席のドアを開けた。
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