第14話:朝永の同棲と伊賀の子供誕生

文字数 2,092文字

 4月には、製本を終えて神田や東京駅周辺の書店の店頭の50冊ずつ置いた。1994年6月1日、突然、朝永安男と杵渕聡美から今週の土日、4、5日に相談事があるから会いたいと連絡が入り6月4日、午後15時、新宿の小田急デパートの食堂前で待ち合わせた。15時、朝永と杵渕さんが来ていて、すぐに伊賀夫妻と面会できた。その後、個室のある喫茶店に向かった。

 そして、そこで、朝永が、突然、杵渕さんと2年前から同棲を始めたと告白した。妙子さんが、思わず、えーと驚くと、杵渕も認めた。杵渕が、私は、大学院を出たが福祉事務所で精神的に困ってると人のカウンセリングをしたりしているが、給料は少ない。そこで、以前から好きだった、朝永君のマンションに転がりこんだって訳と言うと、妙子さんが理知的な聡美が、そんな大胆な行動を取るとは信じられないと言った。

 すると、聡美が、これは、理性じゃない感情の問題よと笑いながら語った。冬の夜なんか、どうしようもなく寂しい。そこで、朝永君の所に、もぐり込んだのと告げた。そこで、近いうちに結婚しようと思っていると言った。ただ、私が、定職に就いて働きたい。若い神経内科の先生の先生は、何人も知っているが東京で開業するには、金がかかり、できないと言うのだ。

 7月に朝永から電話が入り、自分の実家で、杵渕聡美との結婚に反対されて困ったが、結婚式をせずに、役所に婚姻届を出そうと思っていると話すした。そこで、杵渕さんの実家では、どう言ってるのかと聞くと、反対は、しないが、賛成もできないので結婚するという事だけは聞いておくと言う冷たい反応だと語った。まー、反対されたわけではないから、まずまずじゃないかと励ました。

 8月、新宿のビアホールで伊賀が企画して朝永と杵渕の結婚祝賀パーティーを開いた。伊賀の奥さんは、乳飲み子いるので来られないが、全員で乾杯して結婚を祝うと、いつも冷静な杵渕が号泣した。みんなのやさしさに感激したのよと語った。飲んで杵渕が、伊賀に、私、精神科の先生と共に頑張るから開業の時に投資してねと言うとわかったと答えると抱き着いた。

 伊賀が、抱き着く相手が違うぞと言い朝永に代わってもらった。とにかく朝永も杵渕も憂さを晴らす様に飲んで楽しんだ。そして言いたいことを言い機嫌を直してくれたようだ。そうして、夜遅くまで、楽しく元気に歓談して、酔っ払った朝永と杵渕をタクシーで伊賀が送って帰った。しかし、9月になったが、歴史関連の難しい本は、敬遠される傾向にあるらしく完売までには、至ってなかった。

 この時代、恋愛、映画のようなドラマ仕立ての本、ミステリーが、はやっていた。そのため思ったほどの売れ行きでは、なかったらしく、すぐに増刷するには、リスクが大きすぎると言われた。10月20日、伊賀が書き終えた。「軍医時代の経験」「帝銀事件」「下山事件」の3冊の本のうち、昔からしばしば、話題になった帝銀事件に新事実という見出しの新聞が出されてコラム欄に載った。

 それがきっかけで、伊賀の書いた帝銀事件編が話題になり完売した。それを聞き編集長がチャンスだと見込んで「帝銀事件」の本を千冊を作らせ、首都圏の大型書店に置いた。すると「下山事件」も売りきれ、これも1千冊、印刷して首都圏の大型書店に置いた。すると1994年中に完売した。これが呼び水になった様に、遅れて「軍医時代の経験」も年内に完売した。

 それが、きっかけとなり「帝銀事件」の本も千冊が年内に完売。1995年が明けても勢いは、止まらず1995年3月には「下山事件」も完売して増刷した。その後3月15日、奥さんが体調を崩し、産婦人科に行くと、おめでたですと言われ、予定日は、1995年9月18日と言われた。4月中旬、伊賀が、会社に出ると編集長から昼食を食べに行こうと言われよく頑張ったなと握手した。

 しかし早乙女課長の顔が見えなかった。そこで以前の仲間に聞くと君の事で編集長の逆鱗に触れ、倉庫管理課長に左遷されたと告げた。その1ケ月後、耐えきれず退職したと教えてくれた。この話を聞いて、伊賀が、胸騒ぎを起こした。帰り際、編集長が、ご苦労さん今年中に、ゆっくり休んで良いぞ伊賀に言った。その後、伊賀は、息子の鉄男の面倒を見ていた。

 やがて夏が終わり9月を迎え、9月15日、以前、世話になった産婦人科病院に、伊賀の奥さんが入院した。その後、9月18日、可愛い泣き声の女の赤ちゃんを出産し、伊賀仁美と名付けた。奥さんは出産後10月25日から銀行のに復帰して働きだした。伊賀が書いた「下山事件」「帝銀事件」が評判になっているのには、何か裏があると週刊誌の記者が調査を開始し始めた。

 そこで倉木先生のお手伝いさんから多くの事を聞き出した様だ。1992年1月26日に亡くなった高齢の医師で小説家の倉木先生の遺作の陰に出版社の新人社員が原稿づくり。こんな感じで美談として取り上げられた。その週刊誌には1992年1月の厳寒期の早朝、散歩で、脳卒中で倒れる倉木先生を命がけで救助。「自分の怪我もいとわず命がけの救出劇」と文章だけが踊った。
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