第13話:ソニー株買いと完成した小説が店頭に出る

文字数 2,055文字

「面白い話って何と、伊賀の奥さんが、常磐に聞いた」
「すると、実は、ソニーが、昨年、すごいCD-ROMを使ったゲーム機を作った」
「任天堂は、良いゲーム機を出されると市場を取られるかもしれないと危機感を持った」
そのため、突然、任天堂のゲーム機のCD-ROMを他社に委託することにすると発表」

「以前から続けていたソニーのOEM、CD-ROMを任天堂で使わないと言いだした」
「そのため、任天堂とソニーのCD-ROM装置の製造の交渉が、決裂した」
「このまま数十億円を投資し開発したゲーム機製造の技術を使わない事とはない」
「多分、1,2年のうちにソニーから超高性能ゲーム機が新発売されるよ」

「ただし、これは、僕の想像だがねと言い、でも何となく、そんな気がすると述べた」
「もし、ソニーから超高性能ゲーム機が、発売されたら、きっとソニーの株価は、急上昇」
「そのゲーム機の評判が良ければ、ソニーの株価は、数倍、いや10倍を超えるかもしれない」
「にわかに信じがたいが、伊賀俊二は、ソニー株を買う気になった」
「常磐は、自社、ソニー株を社内持ち株会で買っている」

「また、女房も証券会社でソニー株を購入してると言った」
「でも、俺、ソニーの社員なので、これ以上、話を大きくすると、まずい」
「そこで、ここだけの話にしてくれと言われた」
「もちろん黙っていると答えた」

 その後、22時過ぎ、店を出て喫茶店の勘定を伊賀が、全部支払い常盤と別れた。翌日、伊賀は、奥さんと話し合い先生からの遺産の1千万円を500万円を奥さんの証券口座に入金し、伊賀夫妻の証券口座の資金は、800万円ずつとした。1992年8月19日、8時、証券会社の担当者からソニー株、気配値3600円と安く買いと言わた。そこで、伊賀夫妻は、200株成り行き買いを指示した。

 その結果、720万円で買え残金80万円となった。1992年10月過ぎにエプソンのDOSV-互換機が安いと聞いた。そのエプソン製のパソコンを約30万円出して買い、さらに一太郎と言うワープロソフトを使い始めた。伊賀俊二は年末、貯めた預金から240万円を送金し残金800万円にした。妙子さんも預金から300万円を送金し残金を510万円にした。1993年に入るとープロソフトの一太郎の操作にも慣れた。

 1993年3月7日、伊賀の奥さんの妙子さんが、体調が悪いと言い食べたものを吐いた。そこで、もしやと思い近く産婦人科を受診すると、おめでたとわかり、出産予定日、1993年9月7日と告げられた。早速、伊賀と奥さんの実家に連絡すると喜んでくれた。伊賀は、また仕事に戻り倉木先生の書いた資料を分類し始め終了したのが3月末。

 そして、小説家を書き始めた。夏になっても思う様に構想の整理や小説の設計が、まとまらずに、いらいらする日を過ごした。1993年も9月に入り倉木先生の小説を3つの切り口で書きはじめた。3つの小説を書き始めて一番良い作品を完成させようと決めた。1993年9月4日、伊賀は、奥さんの妙子さんを近くの産婦人科病院に入院させた。

 その後、1993年9月7日、元気な泣き声の男の子が誕生、鉄の様に強い男に育てと、伊賀鉄男と名付けた。10月末に、再び、奥さんの妙子さんは、銀行業務に戻った。順調に進み年末、構想ができ、あらすじを書き始めた。そして、昼間は、伊賀俊二が、子供の面倒を見て、昼休みに、奥さんが銀行から戻り、おっぱいをあげるという日々が続いた。

 その後、最初に小説の骨組みを書いた。次に、骨組みに肉付けする方法で進めることにした。子供ができて責任感が芽生え始めたのか小説が進み始めた。それでも徹夜は、せず、体調管理をしながら続けた。それでも集中すると、0時過ぎる日が何日も続いた。すると不思議なもので小説の進行が早まった。

 伊賀俊二は、奥さんの妙子さんを12月24日から1月4日まで、奥さんの実家で面倒を見てもらう事にした。そのため、車で山梨県藤野の実家へ送りと届けた。1月4日に迎えに行った。1993年の年末、「軍医時代の経験」「帝銀事件」「下山事件」の3冊の本の粗原稿が完成した。会社に持ち込み、校正作業をしてもらうために粗原稿をコピーした。

 1994年4月初旬、校正が終わり会社からの許可をもらい亡き倉木先生の小説をまとめる完成させる事なった。その後、夏休み返上で小説を書き直し9月末、原稿が完成した。その話を聞いた以前からの仲間達が祝福してくれた。それをSE社の飯島編集長に見せると、最終チェックをすると言われた。数人の3冊あると言うと数人を呼びコピーを取った。

 そして、編集長の部下6人に、訂正箇所を赤ペンで直せと言った。これが、最終校正だから完璧に校正しろよと、厳しく申し渡した。その後、12月初旬に、最終校正と訂正箇所の修正を終えることができた。翌1994年1月、会社で契約している印刷所に行き500セットの印刷製本をお願いしてきた。それが終わると東京の多くの書店で,その本を置いてくれた。
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