第8話 # カインとアベル(2)

文字数 2,131文字

渡り廊下を通り抜け、旧校舎へ向かう道すがら、砂久が慣れた足取りで奏音を先導してくれた。


旧校舎の窓に不規則にはめ込まれたステンドグラスは、朝の儚い神秘的な印象とはまた変わり、昼間の目映い太陽の光を反射して、奏音たちの足元にカラフルな影をつくっている。

それもまたうっとりするほど綺麗で、歩きながら思わず見とれていた。


砂久はすたすたと廊下をまっすぐに歩くと、突き当たりの教室のドアを開き、中に入った。

…………
…………
椅子に座り、適当な距離をおいて向かい合いながら、ふたりは無言で黙々と弁当を食べる。


沈黙の気まずさになにか口を挟もうとした瞬間、砂久はふいに奏音の方をじっと見た。

……藤白さん。俺さ……
うん
微かに震えているように見える砂久の唇に気づいて、奏音は膝の上で箸をぎゅっと握りしめた。

さっきの宗教の時間、ハッとしたんだ。俺、カインになりかけてたって、気づいて……。

あそこに書かれてたカインは俺そのものだ、って思った。

和久、あいつは、勉強も部活もすべてうまくいってて、俺はそうじゃなくて。


和久のことを憎む気持ちと嫉妬心でいっぱいになって、周りが全然、みえなくなってた。

でも、あいつはあいつで、自分にできる精一杯のことをやってたんじゃないかってさっき、気づいた。

もしこの感情にとらわれたままだったら、そのうち、もっとひどい暴力をふるうところだったかもしれない。


そう思ったら、自分が怖くてたまらなくて……手が、震えた。

そんな最低な人間にだけはなりたくないって、思った

砂久、くん……っ

自分のこと、客観的に見てなかったけど…俺、こんなんなんだって。


……和久が怖がるのも当然だよな。

殺されるかもしれないって思ったら、近づきたくもないよ、普通。


あいつは、優しかったんだな…こんな俺に対しても、無視したりしないでいつも普通に接してくれてて……ほんと、最低な兄だ、俺

そんなこと、ないよっ……!
えっ……?

誰にだって、間違いはあるよ。人間だもん……よくない感情が芽生えることだって。悔しかったり、悲しかったり、自分でもコントロールできないくらいに強い感情が生まれてしまうことだってある。


だけど……だけど、そこで、そのマイナスな感情に囚われて、行動に移さないようにすることが、大切なんじゃないかな?

砂久くんはカインみたいになる前に、こうやってちゃんと気づけたんだよ?


だから、大丈夫だよ、まだ間に合うよ……!

本心からの言葉を話しているのに、きちんと伝えたいと強く思っているのに、声は震えた。


砂久の悩みも思いも、他人事には思えなかった。

奏音自身がさっきの授業中からずっと、自問していたのだ。



――自分がカインにならないという保証なんて、どこにあるだろう?

俺……まだ、間に合うのかな。

あいつは……許してくれるかな

今ね、和久くんのところに真湖が行ってるんだ。連絡とってみるから、きちんと話そう?


わたしたちにもいてほしいなら、一緒にいるし、ふたりだけで話したいなら、そうするから……

さすがに、ふたりは気まずいかな……あんなことがあったあとに和久も、正直俺に会いたくないと思うし

砂久は自嘲気味に笑った。

奏音はうなずいて、スマホで真湖の連絡先を開き、ふたりの現在地と現状を軽く伝える。


真湖からもすぐに返事が来た。

真湖と和久くん、これからこっちに来るって
そっか……和久……
###



数分後、真湖と和久が並んで空き教室に入ってきた。



サク兄……
和久……俺……
ふたりが顔を合わせた瞬間、教室中が張り詰めた空気になり、奏音はハラハラとふたりの様子を見守る。
サク兄、あのさ、僕…

今までごめん、和久。俺……お前に、本当に悪いことしてた

砂久が、ばっと和久の前で深々と頭を下げる。和久が驚いたように眼前の兄を見つめた。

簡単に許してもらえるなんて、思ってない。俺がお前の立場だったら、そんなの無理だってわかるし……。


でも、もうお前に八つ当たりしたり、理不尽に怒ったりしないっていうことだけは、どうしても伝えたかった。

……本当に、悪かった

絞り出すような震える声で、砂久は懸命に謝罪の言葉を述べた。

サク兄、僕……そもそも、怒ってないよ。

サク兄と昔みたいに仲良くしたいって、ずっとそれだけで……でも、どうしたらいいのかわからなかった。

でも、もう大丈夫なんだよね? また、普通に話せるようになるんだよね?

和久……お前、許してくれるのか? こんな俺のこと……

だから、そもそも怒ってないって。

それに、サク兄の気に障るようなこと、僕もきっと無意識にしてたんだろうし……

そんなことない!

俺が…俺がただ、お前のことが羨ましくて、妬んで…掴みかかったりして……、一方的に、悪かったんだよ。お前は悪くないよ。なんにも

はい! ふたりとも、そこまで!

言いたいことは言えた? 仲直りってことで、いいんだよねっ?


はーいっ、握手!

お互いに謝りあう二人に埒があかないと感じたのか、真湖が強引に二人の間に入り、手と手を取って握らせた。

これからは、また一緒に、陸上頑張ろう? ランニング、付き合ってよ
……ああ! 俺ももっと、練習頑張るよ
(……よかったあ)

握手させられながら、和久が砂久に微笑みかけると、砂久もつられて笑った。

それは奏音が初めて見る、砂久の笑顔だった。

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登場人物紹介

藤白 奏音(ふじしろ かのん)。

聖ミルトス学院高等部一年。

引っ込み思案だが知的好奇心は旺盛。

趣味は読書とピアノを弾くこと。

四つ年上の兄がいる。運動は少し苦手。

若水 真湖(わかみず まこ)

聖ミルトス学院高等部一年。

天真爛漫。小柄だがスポーツ万能。陸上部。

一人っ子。

天野 聖(あまの しょう)

聖ミルトス学院高等部一年。

両親はクリスチャンだが、本人はあまり興味がない。

奏音との出会いですこしずつ心境の変化が……?

結城 海都(ゆうき かいと)

聖ミルトス学院高等部一年。

聖の幼馴染で親友。小中高と一緒。

中等部まではバスケ部。爽やかそうに見えて率直で時々毒舌。

桑原 翠(くわはら みどり)

奏音たちの担任教師。

担当科目は宗教。

性格は穏やかで豊富な聖書の知識をもっている。

聖書研究会の顧問で、奏音たちを誘う。

沢野  まどか (さわの まどか)

聖ミルトス学院高等部三年。

生徒会長兼、聖書研究会の部長。

美人だが男前でサバサバした性格。

和泉 砂久(いずみ さく)

聖ミルトス学院高等部一年。

陸上部。双子の弟がいる。

和泉 和久(いずみ わく)

聖ミルトス学院高等部一年。

砂久の弟。勉強も運動も得意だが性格は気弱。

向居 紗里奈(むかい さりな

聖ミルトス学院高等部一年。

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