第5話 夜よ、明けないで(テーマ「夢」2022年5月)

文字数 1,848文字

 僕は気付いてしまった。弟の修二が夢に出て来た日の朝、僕の頭は修二の枕の上にある。そして必ず、修二の頭は僕の枕に載っていた。修二が目を覚まして、嬉しそうに教えてくれる。「にいちゃん、夢で僕にお菓子くれたね」

 並んで寝ているはずの二人が、朝起きたら入れ替わっている。一緒の部屋で寝ていて寝相の悪い兄弟だからこそ、起こってしまう現象だ。そうは言っても、しっかり枕ごと入れ替わるのはそれほど多くない。でも、そうに違いない。僕は確信していた。なので寝る前に修二と枕を交換して試してみた。やっぱりそうだった。このペアの枕は、お互いを夢に登場させることができる不思議な力を持っているんだ。見かけはどこにでもありそうな、平べったい枕にそんな力があるなんて、信じられないが。

 他の人でもやってみたいが、お父さんやお母さんだと、夢でまで怒られてしまう可能性があってちょっと気乗りしない。そう、夢に出ては来るのだけど、その人が僕に何を言い、どんなことをするかまでは分からないのだ。夢の中の修二も、滅茶苦茶いい子の時もあれば、僕を困らせることもある。目が覚めている時と一緒なのだ。

 となると、夢で会いたい人物はただ一人。今年中学生になってしまった、近所の沙耶ちゃんだ。「ちゃん」なんて言っているけど、直接そう呼べたのは僕が四年生の頃まで。僕が五年生になって、沙耶ちゃんが六年生になった時、登校班で言われたのだ。「もう、馴れ馴れしく沙耶ちゃんなんて呼ばないで」ショックを受ける、というのはこういう時に使う言葉なんだと思った。それから僕は、沙耶ちゃんを「岡崎さん」と呼ぶことになった。でもなかなか使いづらい。それで今までのように何も考えずに沙耶ちゃんと話ができなくなった。そして六年生の沙耶ちゃんは卒業した。県庁所在地にある私立の女子中学に通うことになった。何回かテニスラケットを持って自転車に乗る後ろ姿を見かけたくらいだ。ポニーテールが規則的に揺れる。制服の沙耶ちゃん、かわいいだろうな。

 つまり僕は、このペアの枕を沙耶ちゃんと一緒に使おうと考えた。夢ではっきりフラれるかもしれないが、とにかく会いたいと思った。だからどうやってこの枕を沙耶ちゃんに使ってもらうかを考えなければならない。

 誰かが使った枕をプレゼントされて、喜んで使うとは考えにくい。ましてや中学生の女の子だ。まだ小学二年とは言え男子の使っている枕を、無条件に受け取ってくれることは絶対にないだろう、と思った。

 おやつを多めに分けてあげたところ、修二は簡単に納得した。次の段階は、沙耶ちゃんの弟である裕翔を使うしかない。裕翔は僕の一つ下で一緒にソフトボールをやっている。沙耶ちゃんも五年生の始めまでは練習に来ていたが、夏休みに辞めてしまった。思えばチームに僕が入ったのは、沙耶ちゃんがいたからだったかもしれない。それはともかく、裕翔なら命令すればやってくれそうに思った。修二の枕を裕翔に託す。沙耶ちゃんの部屋に侵入して枕を入れ替えてくれ。裕翔は、「健一君の頼みだからやってみるけど、多分お姉ちゃんにバレたら怒られる。それに何か、ちょっと気持ち悪いよね」正直な後輩だ。今度練習のあとジュースを奢ると固く約束し、頼み込んだ。

 お互いがこの枕でしっかり寝たときだけ、夢で会える。僕はその日以来、枕から離れないように意識して眠った。一緒に寝たがる修二を追い出した。あいつが僕の枕を使ってしまったらだめなのだ。タイミングもあるし、気長に待つ必要があるのは分かっていた。でも、毎晩眠るのが楽しみになった。そして朝が来て、がっかりする。そんな毎日だった。

 そしてちょうど一週間が過ぎたこの日。そろそろ待ちくたびれた僕の夢に、沙耶ちゃんが出て来た。使ってくれたんだ、という事実も嬉しかったし、上手く仕向けた裕翔も誉めてやろうと思った。沙耶ちゃんは後ろ姿。髪型が変わっているようだ。女子校の制服。きっとますますかわいいに違いない。僕は近付き、肩に手を置いた。こういうことも夢でなら、堂々とできる。


 振り向いた沙耶ちゃん。えっ、何か違う?


 裕翔だった。姉の制服を着て、僕に微笑む裕翔。さすが姉弟。分からなかった。でもさすがに、顔を見ればわかる。そうだ、裕翔は声変わりが始まっている。おい、しゃべるんじゃねえぞ。うわぁ。

 目が覚めた。まだ時計は一時。僕は枕を放り投げ、布団に潜りこんだ。眠るのも怖い。そして夜が明けないように願った。裕翔に会うのも怖い。初めての経験だった。

【了】
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