第14話 宝石(テーマ「家」2022年12月)

文字数 1,945文字

「わたしの宝石な、どこにいったんかねえ」
 最近認知症の進行が顕著な祖母は、事あるごとに宝石を探す。指輪やネックレスなどの装飾品は確かに、いつの間にかなくなってしまうことがある。私もいくつかなくしたことは白状しよう。が、祖母のこのセリフ。どこまで信じていいものやら。

 祖母が今の施設に移ったのは、三年前。それまでは伯父の家に住んでいた。伯父は私の母の兄だが、その妻である伯母とは折り合いが悪かった。認知症の兆しが見えてすぐに施設行きになった。私の母は、実の母を見に行きやすくなったことは素直に喜んでいた。はずだ。今となってはそれを確かめる術はない。というのも、私の母は去年、ウイルス感染症で突然世を去ってしまったから。面会もできず、遺言らしいものも聞かなかった。祖母への面会は私が引き継いでいる。施設の費用はきっと伯父一家が負担してくれているので、文句は言えないか。

 祖母と触れ合う時間と、宝石の所在を問われる機会とは比例関係にあった。認知症は怖いな、と思いながら、伯母を疑う自分もいた。

 母が亡くなって一年半が過ぎたころ、「M市役所住宅課」と書いた水色の封筒が私の自宅に届いた。母宛のものが転送されてきた格好だ。M市は母の故郷だが、実のところ彼女は若いころに飛び出してしまったのだ。母の兄と妹もやがてM市を離れたが、祖父が亡くなったのを機に、祖母は伯父の家にやって来た。生前の母はM市に寄り付かなかったので、私には全く縁のない土地だった。

 嶋田長伍郎名義で地上権登記のある家屋が危険な状態であるため、現在の権利者は早急に修繕もしくは解体をせよ、とM市役所住宅課は宣っている。訳が分からないので伯父の嶋田康雄に問い合わせた。嶋田長伍郎とは私の曽祖父にあたる人物らしい。話題の物件は長伍郎戦死後に息子の勇蔵が相続し、その勇蔵が遺言で若くして家を出た娘に残すと決めていたのだという。その娘というのが、私の母、美佐子だ。建物の登記が長伍郎名義のままであることから想像できる通り、勇蔵の遺言は書面になっていない。勇蔵の死後まもなく祖母も東京に来てしまったので、M市には空き家が放置されている。これ、地主への地代や固定資産税はどうなっているのだろう。来春から銀行で働くことになっている大学四年生の私は、身内のいい加減さや無責任さに腹が立ち、激しく恥ずかしさがこみあげて来た。

 未払いの債務を一度に背負わされる恐怖を感じつつ、私は飛行機とレンタカーを使ってM市の空き家を訪ねた。目的地に到着したことを告げる無機質なカーナビの音とともに、辺りを見回す。人の気配がない古い住宅が数軒集まっているようだ。私は地番の入った住宅地図を見ながら、目的の建物を特定する。道路に接して横開きの扉。その右上にかろうじて判読できる「嶋田」の二文字。間違いない。ここに祖母と母が住んでいたのだ。事前に調べていた地主の邸宅は、大根畑の先だ。

 地主の岩切さんは、私の顔を見て若いころの芳美さんにそっくりだと言った。芳美とは祖母の名だ。勇蔵さんが急に亡くなって、地代を受け取るのを遠慮しているうちに時間が経ってしまったと仰る。もう請求するつもりもないが、今の時代空き家は放置しておけないのだとむしろ申し訳なさそうに言われてしまう。固定資産税のことは触れられなかったが、これは避けられないだろう。

 岩切さんは建物の所有者ではないないので、その鍵は持っていない。どうせ解体するのだからと私は玄関の扉をバールでこじ開け、建物に侵入した。土足のまま三和土から廊下に上がると、埃が舞った。軍手、マスク、ゴーグルという装備で良かった、と安心するのも束の間、床の軋みが尋常ではない。祖母や母の歴史に浸るのも難しいかと思った時、祖母の「宝石」が頭をよぎった。もしかして、ここにあると? 使ったことがないはずの九州訛で独り言ち、祖母が使っていたであろう部屋や棚を探すことにした。

 廊下の隅に三面鏡があったが、中身は空っぽだった。横の和室が祖父母夫婦の部屋に思えたが、箪笥の中にもめぼしいものは見当たらなかった。廊下の向こうが台所になっていて、黴まみれの流し台があった。もう全部まとめて解体だ! と叫びたくなりながら、小ぶりな冷蔵庫が目に入った。開けると異臭がしそうなので触らずに、目を隣に移す。コップやお皿の並べられた食器棚がある。何故かきれいに整頓されている。もしや、と思い下方にある引き出しをゆっくりと開けた。

 私は目を疑った。クレヨンで書いたカラフルな絵。幼い子の文字で「ママのほうせき」とある。これはもしや、と思い画用紙を裏返す。黄ばんだその面に、ひらがなで「しまだみさこ」と母の名が見える。私はそっとその絵を取り出し、優しく抱いた。 

【了】
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