第18話

文字数 1,239文字





 牙野原が、
「幸福というものはたわいなくっていいものだ」
 と、詩をそらんじ始める。緋縅先生は、
「草野心平の『ごびらっふの独白』の〈日本語訳〉の部分かしら、ね」
 と、冒頭だけで言い当てる。牙野原は続ける。
「ああ、虹が。あたしの孤独に虹が見える。あたしの簡単な脳の組織は。いわば即ち天である。美しい虹だ。ぱらあら、ぱらあ」
 一人称をいつも通り自分と同じ〈あたし〉に変換するスタイルで、牙野原が口に出し終えると、緋縅先生は茶を飲み干して湯飲みをテーブルに置くと、
「〈若いひとは先輩みたいなものだ〉とは草野心平も言っていたわね。年齢による硬化の影もなく生きて詩作を続けていくには、若いひとを先輩にすることが必要ね。だからってきーちゃんや鯨瀬くんが先輩っていうのも心許ないわねぇ」
 と、クスクス笑う。それから続けて、
「もうすぐ始業のチャイムよ。学校の授業をおろそかにしないことが大切です」
 と言って、おれと牙野原を保健室から追い出す。

 なんて声をかければいいかわからなかったのでおれは保健室から出て牙野原に手を振り、階段を上がって教室に向かう。
「〈天〉の思想家、詩人である草野心平か。そんな奴がこのいわき市出身なんだもんな」
 草野心平の『ごびらっふの独白』は、〈カエル語〉と言える言葉で書かれている。それに、日本語訳がついている、という趣向。そしてその日本語訳には、さっき牙野原がそらんじた内容でわかる通り〈天〉についてのことが書かれている、というわけだ。つまり、カエルの詩人と一般的に思われている草野心平と、知る人ぞ知る〈天〉の思想家である草野心平のイメージが、この作品において、見事に重なり合っているのだ。それだけでこの作品は美しい。それこそ美しい虹だ。
 さらに言うと、『ごびらっふの独白』は、この前おれが行った草野心平記念文学館に、本人による朗読のテープがあり、再生機械でその架空異国言語の〈声〉を聴くことが出来る。これこそ〈天の声〉だ。

 廊下を歩きながら、おれは鞄から、緋縅先生からもらった草野心平・著『宮沢賢治覚書』を取り出し、右手にその文庫本を握りしめる。握りしめながら、歩く。詩の大海原が、そこには広がっているような気がする。席に着いて読み始めるまで待てないおれは、このもらった文庫本を手に持ち歩くのだ。それだけで、たったそれだけで、おれは自分が誇らしい気持ちでいっぱいになった。
 おれは自分が汚れている人間に思えて仕方がないが、それでも純粋な気持ちなんてものがおれのこころの一部にあったとしたら、それは今のこの気持ちを指すだろう。
 この高揚感!
 生きている実感が、フィジカルにも波及してくる。
 文庫本を持つ手に、力がこもる。
 おれは自分の教室のドアを開けると、大きく息を吸って、それから吐いた。
 ここから始まるのだ、きっと、なにかが。そうとしか思えない。もしも外見ではなにも起こらなかったとしても、変革は始まるのだ。誇らしい。誇らしい以外の言葉が、おれには見つからない。


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