第32話

文字数 1,514文字





「牙野原は昨日、おれと深夜通話してたじゃんか。話し相手いただろう。気に病むなよ」
「だが、孤独感は、薄れちゃくれねーなぁ」
 おれは、『宮沢賢治覚書』のなかから取り出して牙野原に向けて言う。
「〈くらかけ山の雪。友一人なく〉と宮沢賢治は言っている。もともと孤独からしかどんな文学も生まれやしない。けれども賢治が生きていた環境のなかで、彼と外部の落差があんまり酷すぎたことも事実である。その孤独が彼の文学を燃やすエネルギー源になっていた。より正しくはその天稟それ自体を孤独に堕としたのである。モラリスト賢治の観念は共生でありアンチ孤独である。理想は内部に満ちあふれていたが、精神生活のまんなかがひどく孤独だった。その孤独こそが普遍の詩や童話を生んだのである。……って、草野心平は宮沢賢治について書いてるぜ」
「言うようになってきたじゃねーか、鯨瀬」
 と、牙野原。
「孤独も大切だよな」
 と、おれが背中を押してみると、
「ま、あたしにはねーちゃんや鯨瀬が、今はいるけどな」
 と、笑って返した。

 さて。さきほど名前が出たパルプマガジンとはなにか。説明を入れておこう。
 ウィキペディアによるとパルプマガジン(英: pulp magazine, the pulps)とは、低質な紙を使用した、安価な大衆向け雑誌の総称。『タイム』など、光沢紙を使った「slick」雑誌と対称をなす。
 パルプ誌、パルプフィクションなどともいう。『パルプマガジン』という名称の雑誌があるわけではない。
 歴史的、公平性的、な観点から「安価な大衆向け雑誌の総称」がパルプ・マガジンだ、とウィキでは書かれているが、高級な紙を使った『タイム』誌なんかと比べて、当時、パルプ・マガジンは低俗な読み物、という認識があった。
 とにかく量で勝負する世界がパルプマガジンの世界で、参戦した作家は、参入障壁が「スリック」雑誌と違い薄く、たくさんの作家が大量の物語を紡ぎ、その多くは敗散し、死屍累々となった。だが、そのなかから綺羅星のように輝く作家たちが多数、生まれた。
 ……と、まあ、そういう土壌の話が、パルプマガジンの周辺の話だ。

 もうひとつのキーワード。グランジとカート・コバーン。
 グランジ (grunge) とは、ロック音楽のジャンルのひとつ。「汚れた」、「薄汚い」という意味の形容詞「grungy」が名詞化した「grunge」が語源。1989年頃からアメリカのシアトルを中心に興った潮流であり、オルタナティヴ・ロックの一つ。
 1991年にニルヴァーナの『ネヴァーマインド』、パール・ジャムの『テン』、そしてサウンドガーデンの『バッドモーターフィンガー』が発表されたことで、グランジはロックの潮流を変えた。グランジ・ムーヴメントのピークは1994年にニルヴァーナのカート・コバーンが自殺したことによって過ぎる。
 カート・コバーンもまた、統合失調症を発症したこともあり、何度も入退院を繰り返しており、最後は銃で自らの頭を撃ち抜き死んでしまった。

 統合失調症であるアントナン・アルトーにしてもカート・コバーンにしても、それからここにいる牙野原にしても、ずいぶんと身を削りながらアートを作り出していたのだな、とおれは思う。

 そしてそれは〈聖〉と〈穢〉が反転することそれ自体の一例だ。
 パルプフィクションという粗悪な紙の低級な読み物が文学になるように、汚れた・薄汚い、という単語から転じて名付けられたジャンルであるグランジから時代を牽引する音楽が生まれたように。
 それは〈聖〉と〈穢〉が反転した実例なのだ。
 これこそ、アルトーも、それにトリスタン・ツァラも求めていたものではなかったろうか。


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