4. あの子へ手向けを

文字数 5,463文字

「犬が鳴いてる?」
助手席で少し背の低い男が不遜な態度で話す。
「野良犬じゃないのか?」
「この辺りで野良犬は確認されていないらしい」
運転席の少し背の高い男はワンボックスカーを出すためエンジンをかける。車のエアコンが音を立てる。隣の男に、つい先ほどまで確認していたタブレットを手渡した。
「でも、夜中にうるさいって苦情があるんだろ?」
「そこで俺たちの出番ってわけだ」
二人はシートベルトをつける。
ガチャ、という音が無造作に響き、すぐにエアコンの音にかき消された。助手席の男はタブレットを粗雑に操作しながらどこか投げやりに返す。
「慈善事業だねぇ」
「知らなかったか?」
冗談めいて運転席の男がそう言うと、助手席の男は肩をすくめた。



犬探しの業務は俺もNも初めてだ。
Nというのは、運転席に座っている俺より少しだけ背の高い男のことだ。バイト上でペアを組んでいる相手で、便宜上コードで呼び合っている。俺はSと呼ばれている。
本名も素性も生い立ちもお互い知らない。
まぁ、ほんの数ヶ月前に会ったばかりなのだから当たり前だ。
それで、犬探しだが。
街のどこかから犬の鳴き声がするらしい。
どこからしているのか、少し追ったぐらいでは探しだせない。しかし確かに鳴き声は響いている。それが街の飼い犬のデータとも一致せず、野良犬とも思われない場合は、『迷い犬』が鳴いているのだという。
対処方法は、迷い犬を見つけて捕まえること。捕まえるための道具は支給のワンボックスカーの中に入っている、という指示だったので確認したところ、安そうなドッグフードが後部座席の後ろに置かれているのを発見した。こんなもので捕まえられるのか不明だが、やってみるしかない。まずは犬を探すことからだ。
今どき監視カメラが街の至る所に設置されていることなんて当たり前だが、その監視カメラのいくつかには音声検知マイクも併設されている。このマイクを使って、犬の鳴き声を検知する。支給のタブレットでその結果を監視し、犬の声がしたところに向かう。
ただ、もちろん通常の犬の鳴き声も検知してしまうため、通常の犬と迷い犬とを見分けるには、実際見に行ってみるしかない。もし普通の飼い犬だったりした場合は、また監視のし直しだ。この繰り返しで、迷い犬の場所を探るのだ。
そういうわけで、俺たち二人は車に乗って音の報告があるところを巡って移動をしている。早速鳴き声が検知され、簡単に終わるかに思えたが、検知する声は飼い犬や散歩中の犬ばかり。やっとそれらしき鳴き声を検知したが、すぐに鳴き声が消えてしまい、追跡できなくなってしまう始末だった。
こりゃ長期戦かもな、と最初にNが漏らした言葉はその通りになり、かれこれニ、三時間は車を走らせている。


先ほど検知した音の主が飼い犬だったことを確認した後、俺たちはまたワンボックスカーに乗り込み車を走らせる。
音の反応がない間は街を周回する。そうしておくと偶然近くに音の反応があったときに、すぐに向かうことができる。
時間は既に12時を越えていた。
車が大通りに出る。

「昔、実家で犬を飼ってた。ラブラドール・レトリバー」
急にNがそんなことを話し始めたので、俺は少し面食らった。
「でっかいやつか」
白色の、耳の垂れた大型犬を想像する。
そういえば、さっきの飼い犬も白い大型犬だった。
「もう結構な爺さんでさ、俺が中学の時に死んじゃったよ」
「そーか。……今は飼ってねーの?」
「まぁ、そんな余裕ないしな」
「ふーん……そういや、Nの実家ってこの近所なのか?」
「いや、違う。……Sこそどうなんだ」
「俺だって違うよ。とっくの昔に出てきてる」
「だろ」
車が左にカーブしていく。俺はタブレットに目を落とす。今は音の反応はない。車内に少しの間、沈黙が落ちる。
普段仕事の前後や仕事中にNと喋ることはほんの世間話程度で、特に個人的なことについてはあまり喋ったことはなかった。だからそういった話題についてあまり喋りたがらないNが、自分から話を振ったことに俺は驚いていた。今まで気になっていたことを聞いてみようと思い立つ。
「聞いたことなかったけど、Nは何でこんな仕事やってんだ? 普通の仕事だってできそうだ」
俺の問いに、Nは少し躊躇する様子を見せたが、その後は思い切ったように話し出す。
「……最初は普通に就職したんだが、限界を感じてな。転職活動してたんだ。そしたら、手紙が届いた」
「手紙?」
「『貴殿の能力を十分に審査した結果、内定が決まりましたので通達申し上げます』……とな。その下に場所と日にちだけ書いてあった」
「面接があったのか」
「いや、記憶にない」
「怪しすぎるだろ。行かないほうがいいぜ」
「でも行った」
「行くのかよ!」
「藁にもすがる思いだったんだよ。いい転職先も見つかってなかったし」
そこでNはこちらをちらりと見やる。
「行ったら、お前がいた」
「……ああ、なるほどね?」
その時のことを俺も思い出していた。
「お前は少し遅れて来たよな」
とある貸しビルの一室に呼び出された俺たちは、二人してタブレットを眺めることになる。そこには労働契約の書類が映し出されていた。
「労働時間に対して給料も桁違いだったし、確かにやべえ仕事かもなとは思ったが」
「元の仕事も辞めることが条件だったろ」
「あの時の俺は判断基準が少し狂ってた」
そう言うNは、そのことに関しては微塵も後悔はしていなさそうだった。
俺はその時のことを思い出している。その部屋に入ると、机の上に置かれたタブレットと、目の下のひどいクマで顔色の悪い男がいた。男はこちらを見てあからさまにびっくりした表情を見せたが、二つ用意されたタブレットを見て、同じ境遇なのだろうと理解したようだった。
それから、俺たちはタブレットに表示された承諾ボタンを押し、初めの仕事を受けたのだ。
「お前は、どうしてあそこに来たんだよ」
「……俺は少しこの仕事について知ってたんだよ」
返ってきた問いに、俺も正直に返すことにする。車はゆっくりと進んでゆく。
まだ音のセンサーは反応していない。
「こういう仕事をやってるんだって話してきた奴がいてさ。
お前は向いてると思う、お前だけに教えるから一緒にやろうぜなんて言われたけど、正直信じてなかったし話半分に聞いてた。
そしたらそいつ、行方不明になってさ」
「……は?」
Nがこちらを見るが、俺は気にせず話し続ける。
「その頃に連絡が来て。メールでさ、あなたは採用されましたので以下にお越しくださいって。場所と時間が書いてあった。
……そういや、差出人のメールアドレスが行方不明になったそいつのだったな。
正直行きたくなかったけど、流石に気になるから様子を見に行ったら、同じとこに入ってく奴がいるからさ。俺も中まで入ってみたって訳」
「やべえじゃねえか」
「だよな。まぁ、俺たちが契約通り誰にも他言せず働いてりゃ何も問題は……」
「いや、それもそうだが、その行方不明の奴は? それから見つかったのか」
「え? ああ、いや、どうだろーな……。
まぁバイト先でちょっと知り合った程度の奴だったし。もしかしたらどこかで生きてるかもしれねーけど」
「まじでやべーな、この仕事……」
「知らなかったか?」
おどけてそう言ってみせると、Nは何とも言えない顔をした後、呆れ顔でため息をついた。

**

「お、反応あったぞ。この近くだ」
やっと検知された反応は街の繁華街から少し離れた箇所だった。
到着したところは高速道路がすぐ上を走る、大通りの交差点の一角だ。周囲には大きめの公園らしき広場や商業施設があり、住宅街からは少し離れている。
昼間ならばとめどなく車が行き交っている大通りだがこの時間には流石に人影はなく、時折車が通ってはゴウと音を立てる。Nが車を交差点のすぐそばに停車させる。俺は助手席の窓を開けた。
ワン、ワン
交差点の端からは歩道がのび、街灯が地面を円くぽつぽつと規則的に照らしている。街灯の光を免れ暗くなっているところ。そこから、犬の鳴き声が聞こえる。ワン、ワンという声が時々聞こえ、時折通る車の音にかき消されていく。
開けたところだから、犬がいればその姿が見えてもおかしくない。しかし、そこにはその姿はない。
これは当たりだろう。
俺たちは車を降りた。
こういった場所なだけに、声を聞きつけて住人が探しにこなさそうなのはラッキーだった。しかし、あまり時間をかけてもいられない。
通りがかった人間に不審に思われてはいけないし、犬がどこかに行ってしまえばまた振り出しに戻ってしまう。
ウー、と唸る声を聞く。
たしかにそこにいる。
少し近づくと、その犬の息づかいまで聞こえた。犬自体は全く見えないのだが、確かにそこに、犬がいるのだ。
「で、ドッグフードを使えばあっという間に捕獲できるって話だろ?」
「そのはずだが」
Nはドッグフードを持ってくると、一緒に置いてあった金属製の皿にザラザラと少量開け、道路に置く。
しかし、一向に気配は近づいてこない。むしろ警戒しているふうに、こちらの様子を伺っている。
「全然効いてないぜ」
「おかしいな。指示ではこのドッグフードならどんな迷い犬でも飛びつくって書いてあったが」
「そりゃ指示がおかしいんだ。どんなやつでも飛びつくものなんて存在しない」
俺はファミレスの食事が好きだが、そのメニューの中で唯一、ピザだけは自分から注文しようとは思わない。食べろと言われたらもちろん食べるが。
逆に、ファミレスピザが大好物って奴もいるだろう。そして俺のこよなく愛するファミレスハンバーグを食べないって奴もいるだろう。好みってのは人それぞれだ。
そんなことをNに語って聞かせると、呆れた顔で、それで、と言われる。
「どうすればいいんだよ」
「あいつの興味を引くことを考えなきゃな」
「興味を引くこと、か……」
Nは少し考えてボソリと口にする。
「こういう時、犬ならなにか投げると持って帰ってきてくれたりするんだがな」
「お、それ採用!」
俺は声を上げる。
「フリスビーみたいなものってなかったか?」
「ある訳ないだろ?」
Nの声を気にせず俺は車に戻り、後部座席の後ろの荷物をあさる。
「お、じゃあこれでいいんじゃないか?」
見つけたのは作業員に変装するときに使う、鍔付きのキャップだ。
「これをフリスビー代わりに投げてみようぜ」
「え、まじでやる気か? まてよ。そういう対処をしていいとは書いてなかったぞ」
「でもドッグフードには目もくれないじゃないか」
音のセンサーは反応していた。
犬はそこにいる。
まるで俺たちを待っているかのように。
Nは諦めたように俺の少し離れた隣で俺の動きを見守っている。
安心しろ、俺がちゃんと任務を遂行してやるから。
俺はそこにいるなにかと向き合った。
「よーし、とってこい!」
そして俺はそいつに向かって、勢いよくキャップを投げた。
キャップはくるくる、と軌道を描き、空に舞う。それは俺も、Nも届かないような遠くにゆき、そしてそのまま地面へと落下するかと思われたその瞬間。
キャップが空中で動きを止めた。そして、緩やかな動きで地面へと降りたかと思うと、こちらへと地面をスライドするように移動してきた。
まるで、何かがジャンプして帽子をキャッチし、こちらに持ってきたようだった。
すぐ近くで犬のハッ、ハッという息の音が聞こえる。それはこちらにキャップを差し出した。
俺はキャップを受け取ると、自分の頭に被る。それを見て、そこにいた犬は嬉しそうに一声、ワン!と鳴いた。
俺はその犬を撫でようと手を伸ばしたが、そこには何もなかった。もう、犬の息づかいは消えてしまった。
「……ほら、うまくいったろ」
俺が少し得意げにNの方を向くと、彼はタブレット画面を確認しているところだった。
「『捕獲もしくは対象の存在を認識できなくなれば任務終了』……だな。全く、何だったんだ」
「遊んで欲しかったんじゃないのか。
もしくは褒められたかったとか」
「そんなものかね」
そう呟くNの顔は少し寂しげで、らしくないなと思う。
俺はなんとなくキャップを被り直した。



「しかし、これは怒られるぞ。
あんな動きをする帽子を誰かに見られていたら」
俺たちはいつもの駐車場で待機している。
Nは先ほどの一件の報告書を書くためタブレットを操作している。俺は座席を倒して寝転んでいる。
「誰も見てやしないさ。見てたとしても、ブーメランの投げ練習をしてたってことにすればいい。
人間てのは自分の見たもの全部純粋に信じる訳じゃないぜ」
「センターの管理者がそれを許してくれるか? 報告書をごまかしたってすぐにバレるだろうから、正直に書くが」
「なんとかなるさ。……いやぁ、いいことをしたよ」
俺は最後に聞いた犬の嬉しそうな鳴き声をもう一度思い出す。
「この仕事はやべーけど、なんだかんだ何かのためになってるよな」
どんなに身を削っても、それが誰かのためになるなら、ある程度は報われる。
「これだけはこの仕事やってていいことだよ」
そう言うと、Nはわざわざ報告書を確認する手を止めた。
「まぁ、それは俺も同感だよ」
「だろ?」












⭐︎妖怪: 迷い犬
姿のない犬。どこからか響く正体不明の犬の鳴き声は迷い犬のものだ。
捕獲した犬はご飯をやったり遊んでやったりするといつのまにか消えているという。犬の幽霊か、生霊か、残留思念か、正体は不明だが、構ってほしがっていることは確か。


⭐︎バイト:S
子供の頃に友達の家で犬と遊んだ記憶はある。
動物に好かれやすい方。


⭐︎バイト:N
白い大型犬を見かけると昔飼っていた犬を思い出す。昔飼ってた犬の名前はアイビー。
動物は好きな方。
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登場人物紹介

⭐︎バイト: S

どちらかというと背は低い方。

ガサツなところがある。

ファミレスハンバーグが好き。

⭐︎バイト: N

どちらかというと背は高い方。

慎重派。

仕事が終わったらすぐに寝たい。

⭐︎バイト: L

背が高く、細身。

髪の一房を金髪に染めている。

常に明るく振る舞う。

⭐︎バイト: M

背は小さめ。ボブカット。

常に冷静で無表情。

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