9. 片道切符の行き先は(後編その1):降車

文字数 6,647文字

***

夜中の1時15分。
さほど強くもないが、一向に止まない雨が降り続ける深夜。
二人の警察官を乗せたパトカーが、夜の街を走っている。

「こんな時間に、資料館の中に人がいるたぁ……不法侵入か?」
助手席に座った、くたびれた上着を羽織った中年の男が口を開いた。
「違いますよ九藤(くどう)さん。資料館の『展示物』の中ですよ」
対して制服をかっちりと着こなした運転席の若い男が返事をする。
「同じだろ」
「ぜんぜん違いますよ! 普段は入れない、展示用の電車の車両の中なんですよ。意外性がまったく違います」
助手席の男は呆れた顔で、手に持ったタバコを箱から1本出しては入れ、出しては入れを手癖のように繰り返す。
「はいはい……それで? その侵入者の対応ってことか」
「あ、はい。確かに不法侵入の疑い有りなんですが、外から呼んでも応答がないらしく……彼らの安否も確認してほしいということです」
「彼ら? 一人じゃないのか」
「ええ、6人です」

*Q*

110番を受けて駆けつけたのは、管轄内にある電車資料館だった。個人所有の、小規模な資料館だ。
鉄道会社の元役員が開いたもので、自身のコレクションをもとに、一部展示品は鉄道会社から委託を受けて展示をしているという。
110番をしてきたのもその元役員で、今はこの資料館の館長だ。

俺たちを資料館の入り口で出迎えた館長は、恰幅が良く、口髭を蓄えた男で、まさに上役というべき風体だった。しかし、少し酒が入っているのか、頬が赤くなっているのは少し間が抜けて見えた。
ビニール傘を閉じて資料館の中に入る。
資料館の屋根にパタパタと雨の当たる音が聞こえていた。


「確認していただけましたか。人が乗っているところを」
「ええ。確かに6人乗ってますね」
館長は不安げに体を揺らしつつ、俺たちに聞いてくる。
到着するなり、俺はバディの六原(ろくはら)と、問題の車両の中を確認した。
それは資料館の正面入口を入った奥の中庭にあった。車体が黒く塗られている、年季の入った電車車両だ。その隣には、黒塗りの蒸気機関車や、貨物車など展示用の車両が他にも並んでいる。これらの車両の上には、雨よけの屋根が設置されていた。
まったくの展示用で、乗るようには設計していないと言うから、中を見るのには足場が必要だった。館長が用意してくれた脚立を使いながら、懐中電灯を中に向かって照らす。展示用のライトが照らしてはいるものの、辺りは暗く、さらにガラスの反射で中が見えにくいために、顔まではっきりとは見えない。
大人らしき影が3名に、少し小さい影が3名いることは把握できた。全員、眠ったように座席に座っていた。
これで、呼んでも応答がないとくれば、確かに心配にもなるか。

「しかし、なんでまたこんな時間に」
俺はいまだ心配そうに車両を眺める館長に聞く。
夜の1時だ。通常の人間なら寝ている時間だ。
「さっきまで、古い友人と飲んでいたんです。
その会話の中で、うちの資料館の車両の中に人がいるのを見たって噂を聞いて……。この車両は展示用なんですよ、入れるわけないじゃないですか」
館長の説明の言葉に力が入ってゆくのを感じる。まあそりゃ驚きもするか。
「それでおかしいと思って、心配になって念のため確認に。まさか本当だとは思いませんでしたけど」
「人がいるのを見たって噂を聞いた……ってことですけど、以前からそんな話が?」
「いえ? 私は聞いたことがありませんでしたよ。聞いたことがあればすぐに確かめますとも。噂を聞いて来てみたら、本当に人が中にいて、しかも扉は開かないと」
館長はハァ、とため息をつく。
さっきまで中の人を心配していたように思ったが、どちらかというとこの資料館の評判を心配しているんじゃないか、と俺は思い始める。
「……ちなみに、その噂はどなたから聞いたんですか?」
「それはですね……ううん?」
館長は言葉に詰まり、首を捻る。
「どうしました?」
「いや、先程の呑み屋で誰かに聞いたのは覚えているのですが、誰に聞いたかまでは……」
「忘れてしまったと」
先ほどまで飲んでいたというし、アルコールが入っていれば記憶が曖昧になってもおかしくはないか。
その噂というのはどこから出てきたものか良くわからないが、実際にここに人がいるのは確かなのだ。事件性がある場合、その噂を知っていた人物を追っていきたいところだが、首を捻る館長の様子を見る限り、あまり期待できそうにない。

「ともかく、なんとかしてください。あの方々は無事なんでしょうか」
「まあ、少し調べてみますから、待っていてください」
確かに、まずは車両の中に立てこもっている6人の方をどうにかする方が先だ。



館長が言うには、ここの経営は館長が大体を取り仕切っていて、受付や事務作業のためにアルバイトで何人か雇っているらしい。
問題の車両がある中庭には、エントランスを通らないと行けないため、おそらく電車に乗っているのは来館者だという。そして、今日来館した人がなんらかの方法で乗り込み、閉館後も残っているのではないか……と館長は話す。

館長は彼らの安否を確認するために電車の扉を開けようとしたが、開かなかったらしい。
そもそも、展示用に設置されたものであり、ここ最近扉を開けることがなかったという。
たしかに、開きそうな車両中腹の扉は、手で開けようとしてもびくともしない。
しかし、中に乗っているのなら、どこかから乗り込んだのだろう。俺と六原は車両の周りを回って、車体の壁をドンドンと叩きながら確認する。
館長が顔をしかめるのは、見ないふりをした。

「でも、本当にあったんですね、黒い電車」
車両の周りをうろつきながら確認していると、六原が話しかけてきた。
六原は脚立を車両の後方に設置すると、慎重に登る。
「そりゃ、電車だっていろんな色があるだろーよ」
「ああ、いえ。都市伝説ですよ。知らないですか?」
「都市伝説? 知らねえな」
「最近、この辺りだと中高生を中心に有名ですよ。なんでも、黒い電車に乗ると異世界に連れて行ってくれるとか……」
「そんなの眉唾もんだろ」
六原がそういうことに詳しいのは意外だった。
「それが、ついこの前それで女子高生がいなくなったらしいんですよ。ほら、捜索願が出てたじゃないですか」
「憶えてねえな」
「ええっ、ダメですよ九藤さん、ちゃんと捜索願は確認しとかないと。パトロール中にひょっこりその人が出てくることもあるんですから」
六原はそれなりに優秀だが、たまに鼻につく言い方をする。
「お前が確認してるんだったら、それでいいだろ」
「ちゃんと仕事してくださいよ。タバコばっかり吸ってるから、忘れっぽくなるんじゃないですか」
「へえへえ……それで、開いたか?」
先ほどから六原は車両後方の連結部分の扉が開くかどうか試していた。
「いえ、びくともしませんね」
「……入口をもう一度試してみるか」

資料館の入り口に近い方の、車両中腹の扉の前へ、もう一度脚立を設置する。
「何か変化があったりはしないか」
「いえ、今のところは、なにも……」
脚立を登った六原が、再度懐中電灯を窓の中に向けて覗いた。
「あ、あれ……あの子。すみません、九藤さん」
六原がふと、声を上げた。
「どうした?」
「さっきは気が付かなかったんですけど、あの子。さっき言った、捜索願の出されてた女子高生ですよ。ほら、間違いない」
そう言って、六原は脚立を降りてスマホ画面を見せてくる。
画面には眼鏡をかけた大人しそうな女の子が映っていた。
条野(じょうの)春華(はるか)
確かに、そうらしい。
しかしなんでまたこんなところに……。
その時、捜索願の出された日付に目が留まる。昨日の夜中。
行方不明になったのはその夕方か。
もしその時から監禁されていて、帰れない状況にあるのなら……一刻も早く救出しなければならない。
「六原、本部に連絡を頼む」
「了解しました」
残った俺は、館長に話しかける。
「館長さん。なにかこの扉をこじ開けられるものはありませんか」
「こじ開ける?」
「たとえば、バールとか……チェーンソーとか」
「チェ、チェーンソー?! そんな、大切な展示品なんですよ!」
大袈裟に驚く館長に、俺は頭をかく。
「モノよりも人命優先でしょう」
機材がないのならば仕方がない、連絡をして持ってきてもらうしかないか。
「ま、待ってください、せめてもう一度開くかどうか確認してから……」
「さんざん試してみたじゃないですか、変わらないと思いますけどね」
館長の言葉に、俺は半分呆れつつも、再度脚立を登って車両中腹の扉に手をかけた。

扉がガタ、と動いた。


*S*


どこからか遠くの方で、ガタ、ガタタ、と何かが動く音がする。俺たちは電車の中で白い光に包まれて微睡(まどろ)んでいた。
突然、一際(ひときわ)大きく鳴った、ガタ! という音で目を覚ます。

そうして気がついた時には、俺たちは暗い……電車の車両の中にいた。





遠くから、水が天井に当たるパタパタという音、そして雨樋(あまどい)から流れ落ちるバシャバシャという音が聞こえる。
扉の隙間から差し込んだ冷たい空気と、頬に感じる湿気で、外は雨が降っているのだとようやく気がついた。

さっきまで夕焼け色に染まっていた車内が嘘のように、辺りは暗闇に包まれている。
窓からの光に外を眺めれば、白いライトに照らされて、大きな建物が辺りを取り囲んでいるのが見えた。
なるほど、ここが電車の資料館というわけか。

近くにも照明があるのか、窓の外は明るいが、車内はなんとか互いの顔が把握できる程度だ。
見ると、女子高生の(あずさ)と春華、大浦(おおうら)と、別府(べっぷ)のばあちゃんも、座席で目を覚ましていた。
眠っていたのだろうか。あの車掌が居なくなって、電車が白い光に包まれて……その後の記憶が曖昧だ。

「戻ってきたみたいだな」
誰にともなく口に出す。
「……ああ、帰ってきちまったみたいだな」
大浦が窓の外を眺めながらつぶやく。
俺は近くにいるはずのLの顔を見た。
「……どうした?」
「え?」
「なんか、ぼーっとしてたろ」
「いや、なんだか……。夢を見ていた気がするんだ」
視線を彷徨わせるLは、心ここに在らず、といった様子だ。
「夢……?」
「君は、見なかったかい」
「……いや」
「そうか」
Lは分かりやすい作り笑いをした。


ガタッ
先ほどガタガタと音を立てていた扉が、再び音を立てて開き始める。どうにか人が通れるまで開いたかと思うと、扉の向こうから、目つきの悪い中年男性がこちらを覗き込んだ。


*Q*


先ほどまでびくともしなかった扉が動いた。
しかし立て付けの悪い引き戸のように、スムーズに開いてはくれない。
隙間から中を覗くが、中は暗く、ろくに状況は見えない。
本部へ連絡をとるため離れていた六原を呼び戻し、交代で扉を開けにかかる。

ようやく人が入れそうなぐらいの隙間が開き、俺は改めて中を覗いた。
展示用ライトの光が扉から差し込み、中の様子が分かりやすくなっている。
そして、座席の方に視線をやって……そこにいる男と、目があった。

思わず、うわっ、と声が出そうになるのを必死で抑えた。
……おいおい、勘弁してくれよ。
下手なホラーじゃねーんだから。
起きてるなら起きてると言ってくれよな。

流石にこんなことで驚いていては、後輩の六原に示しがつかない。拳銃へと伸びそうになった手を強靭な精神力で抑えつつ、懐中電灯を片手に車両へと乗り込んだ。彼らはどう見ても一般人だ。無闇に拳銃を取り出して怖がらせるのは得策ではない。
もう一度辺りを見回して、車両の前方に捜索願の出されていた『条野春華』がいることを確認した。俺は目の前の座席に座っている男……大学生くらいの若い男だ……に声をかけようとしたが、その前に、相手が口を開いた。
「あんたたちは?」
正直、聞きたいのはこっちの方なのだが、答える。情報を得るには情報を与えることだ。
俺は手帳を開いて見せる。
「あー、警察です。……この資料館の館長に呼ばれましてね。あなたたちのことを聞かせてくれます?」


*S*


驚いた。
まさかこんなところで警察に出くわすとは。
厄介なことになった。どうやってこの場を切り抜けるべきか、俺は考える。
……すると、Lが立ち上がって刑事の目の前に立つ。
「ああ、すみません。僕が対応します。彼、そういうのに慣れてないんで」
Lの勝手な言い分に……いや、急な助け舟に、驚いてそのシャツの裾を引く。
「おい」
「え、ああ、須藤(すどう)くん。気にしないでくれよ。電車から降りられたのは君のおかげみたいなものだし、お礼ってことで」
なんて、ウインクをする。
「そうじゃない。大丈夫なのか」
警察署に連れて行かれて事情聴取、なんてことになったら、全員みっちり事情を吐かされるに決まっている。
大体、妖怪なんて信じてもらえるわけがない。なんと言って事情を説明する気なのだ。
「え? 大丈夫大丈夫。問題ないよ」
Lはにこにこと笑顔を浮かべると刑事の方に向き直った。


*Q*


目の前に出てきた背の高い、やけに笑顔の男は、名刺を取り出すとこちらに差し出す。
黒髪に金髪が一房混じっていて、チャラそうな見た目だが言葉遣いはやけに丁寧だった。

「僕はこういうものですが……、実はですね、ここに集まっていたのはネットを通じて集まった仲間でして……刑事さんは都市伝説、知ってますか。そうなんです、この黒い電車の。それで、一度乗ってみたいという話になって。皆で集まって乗ったはいいものの、扉がどういうわけか開かなくなってしまって。それはもう、うんともすんとも言わなくて。どうしたものかと困っていたら、全員で寝過ごしてしまったようで……ほんとうに申し訳ない」

急にペラペラと喋り出した男に、少々胡散臭さを感じつつ、渡された名刺を眺める。
『立野 充嗣』……
氏名と、電話番号だけ記された名刺だ。
シンプルすぎる。
どういう奴なのかまったくわからん。
所属の名前も書いてないのは、名刺の役割を果たしていないんじゃないか?
むしろ怪しいな、と思ったところで、名刺の端にマークが印刷されているのに気がついた。



小さな二重の円を中心に、葉っぱのような形が2つクロスして重なっている。
会社のシンボルマークのように添えられたそれを見て、俺は…………息を呑んだ。

俺はそれを知っていた。

つい目の前の男に目線をやると、にこりと良い笑顔で返される。俺は背筋が冷える心地がして、顔をしかめた。
「………………あー。分かりました。
じゃあ、皆さんネットで知り合って、ここに集っていたと……」
「ええ、そうです」
「つまり家出ってことですかね」
「まあ……そうなりますかね」
「分かりました。とりあえず署で事情をお聞きしますので、ご同行願えますか」
「……ああ、実は長い時間ここに居た人もいるんです。念のため全員、病院に行ってもいいですか」
「……分かりました。ひとまず病院で検査を受けた後、ご同行願います」
まったく、厄介な件にぶち当たった。

「ああ、館長さんにも、また後日ご連絡しますよ」
車両入口近くで聞いていた館長にも声をかけつつ、俺は電車を降りる。



車両から降りた俺は、タバコを取り出そうとして、中庭といえ資料館の中だということに気がついてやめる。六原がついてきて俺に話しかけた。
「九藤さん、今後ですが、念のため皆さんに病院に行ってもらって、その後、署で事情聴取を……」
「いや、いい」
「え?」
「病院に行かせたら後は家に帰せ。……俺たちの仕事はない」
「え?! で、でも、さっき九藤さんが」
俺は預かった名刺を放るようにして渡す。
「『センター』だ」
「え? せんたーって……なんですか?」
「右下のマークを見てみろ」
「えっと……葉っぱみたいなマークが丸を中心に十字に重なってますね。……いや、これは二つの立体的な円……ですかね」
「……それは、センターの印だ。だから、俺たちは何もやることはない」
「え?! ど、どういう事ですか?」
「帰ったら、他の奴に聞いてみろ。知ってる奴は知ってるだろうよ」
俺もそうだった。俺も同じぐらいの若手の頃、先輩にそう言われたのだ。何も分からないまま、その事件の捜査は打ち切り……いや、打ち切りではない。そもそも開始もされなかった。そして、その事件が明るみに出ることはなかった。
その件について、警察内部で噂になっている『センター』の案件だと知ったのは後になってからだ。

『『センター』の案件からは手をひけ』

俺だって、ずっと噂程度のものだと思っていた。
いずれ、それが噂でないと理解する時が来る。
俺たちの知らない何かが、世間一般常識から外れたところで動いている何かが、確かにいる。

それは、葉っぱでも、円でもない。
こちらを見つめる二重の目玉だ。



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登場人物紹介

⭐︎バイト: S

どちらかというと背は低い方。

ガサツなところがある。

ファミレスハンバーグが好き。

⭐︎バイト: N

どちらかというと背は高い方。

慎重派。

仕事が終わったらすぐに寝たい。

⭐︎バイト: L

背が高く、細身。

髪の一房を金髪に染めている。

常に明るく振る舞う。

⭐︎バイト: M

背は小さめ。ボブカット。

常に冷静で無表情。

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