9. 片道切符の行き先は(中編その1):出発

文字数 4,294文字



どんな後悔もいずれは過去に消えてゆく。
ただ、自分が捨てきれないと手元に置いた後悔が、
カバンの底に大事にしまった後悔だけが、
自分の旅路に同行し、
ずっと自分を苦しめることになるのだ。




カタン、カタンという音とともに風景が流れていく。先ほどまでビルが立ち並ぶ市街の中だったはずが、今車窓には市街とは程遠い開けた田園風景が広がっている。
手前には時々木々が横切り、少し奥には民家がポツリポツリと点在する。その奥には田んぼだろうか、だだっ広い平野が広がっている。夕陽でオレンジ色に染まったそのような風景が、延々と続いていく。
……この近所では、あまり見ない景色だ。

「なっ……なんでおじさんたちも乗ったの?」
続いて乗り込んだ僕たちに気がつき目を丸くした彼女に、僕は息を整えつつ笑いかけた。
「……何でだと思う?」
その笑顔に気圧されるように、彼女は少し眉を下げた。
「うっ……ごめんなさい。巻き込んじゃって、反省はしてる」

女子高生に続いて電車に乗り込んでしまった今回の仕事の相方Sと、それに続いて電車に飛び乗った僕……Lは、息を落ち着かせながらあたりの異様な景色を眺めた。

電車に乗った途端、視界いっぱいがオレンジ色の光で満ちた。窓の外が明るいのだ。
おかしい。駅のホームでは既に日が落ちて、あたりは暗くなっていたはずだ。電車の外では夕陽が登り、車内をオレンジに照らしている。
車両には壁際に沿うように設置された座席と前方と後方に二組ずつ設置されたボックス席がある。通常の車両と同じように、車両の中央には吊り革がいくつも並んでついている。
車内はどこかで見たような電車の車両……なのだが、窓の外の夕陽はいつまでも沈む気配がなかった。
まるで時間が戻ったかのようだ。いや、ここは時間が止まっているのだろうか。
今回対応する妖怪は黒い電車の都市伝説、と、分かってはいたけれど、まさか自分がその中に飛び込むことになるとは思わなかった。

「ほんとにごめんなさい…….。けど、乗ったことに後悔はしてないよ」
少し肩を落としていた女子高生は気を取り直すようにこちらに向き直る。
「だって、春華ちゃんに会える、そんな気がするから」
ハルカ……それがいなくなったという友達の名前だろうか。
本当は黒い電車になんて乗らず、ホームにその電車が来たという報告だけをすれば、今回の仕事は終わったところだったけれど……まあ、こうなってしまった以上仕方がないか。
「ったく」
Sくんが呆れたように頭をかく。あまり怒ってはいないようだ。
彼は案外優しい性格をしていると思う。
会うたびいつも髪はボサボサだし、彼の過去の事件のこともあるしで、粗暴な人の印象があったが、そうではないのかもしれない。当時ニュースで報道されていた人物像とはだいぶ異なるようだ。

しかし、この電車はどこに向かうのか。
窓の外の風景からして、すでに現実の世界とは異なる世界に迷い込んでしまったような気がするけど。
女子高生の彼女は少し不安そうにカバンを持ち直し、ふと、僕らの後方を目にすると目を見開く。
「3人も乗ってくるなんて、にぎやかになりますね」
背後から聞こえてき声に、僕たちは咄嗟に後ろを振り返った。
そこには背が曲がった、白髪混じりの高齢の女性が座っていた。手にはシンプルな形状の杖を持っており、持ち手の部分を両手で抱えている。
「おや、驚かせてごめんなさいね」
彼女はにこりと穏やかにこちらに笑いかけた。
「ばあちゃん……何者だ?」
Sくんが警戒するように尋ねる。
警戒するのも当然だ……と思う。全く気配を感じなかった。僕らが後方に注意を払っていなかったからと言うのもあるかもしれないけれど……まさか。
「まさか、妖怪?」
「よ、妖怪?」
僕がついこぼした言葉に、女子高生の彼女がぎょっとする。
今自分の身に起きている不可解な出来事と、妖怪……それを重ね合わせたのかもしれない。
「妖怪だなんて。
……まあ、そう言われてもおかしくないかもしれませんけどね。私はちゃんと人間ですよ」
高齢の女性は少し目を見開いた後、おかしそうに身体を震わせて笑う。
「私は別府(べっぷ)はつえと申します。あなた方は?」
「あっ……わたしは、川立(かわたち)(あずさ)
女子高生の梓は、おばあさんに聞かれてためらわず答える。本名だろう。あんまり正体不明のものに気安く名前を名乗らない方がいいのだけど……まあ仕方がないか。
「俺は須藤(すどう)
Sくんが続けて答えた。
へえ!須藤? ニュースで報道された、彼の子供の頃の苗字は(すめらぎ)だったはずだ。今はその名前で生活しているのだろうか。
つい彼を見ていたのに気づかれて、彼は鬱陶しそうな顔をした。
「んで、お前は」
「ん、ああ、僕は立野(りゅうの)って言います。立つ野原ね」
何かというと使う苗字だ。Lから始まるから使いやすい。
僕はおばあさんに話しかける。
「はつえおばあさん。この電車から降りる方法を知らないかな」
「えっ」
梓はいきなり何を言うのか、と言いたげな顔でこちらを見た。そりゃ、君には目的があるだろうけど、僕たちは帰ってこの電車の報告をしなきゃならないっていう仕事があるからね。
「僕たち、間違えてこの電車に乗っちゃったんだよね」
「……降りる方法ねぇ。残念だけれど私も知らないわ」
はつえおばあさんはかぶりを振った。
「だって、私も7日前にこの電車に乗ってからずっと……この電車に乗ったままなんですもの」
「え……! 7日間……ずっと?!」
梓が驚き声を上げる。僕も驚きだ。
「腹が減ったりはしねーのか」Sくんが問う。
「ええ、ありがたいことに。ゆっくりと窓の外を眺めています。
そして、あなた方のように時々外からやってきた人と話したりしていますよ」
そうして彼女は窓の外を眺めてみせる。先ほどから変わらない、延々と続く田園風景だ。
それを、彼女はどこか懐かしそうに眺める。
「外から……!」
はつえおばあさんの言葉に梓は息を呑む。
「おばあちゃん、春華って子知らない? 私の友達なの! この電車に乗っちゃったかもしれなくて……」
梓は乞うようにおばあさんに話しかける。はつえは梓の方を向いて少し驚いたような顔をした。
「ああ……春華ちゃんなら前の方にいますよ」
「ほ、ほんとに!」
「案内しましょうね」
そう言ってゆっくりと立ち上がった。
はつえは車両の進行方向、前の方へと歩いていく。そういえば、この電車は走っているはずなのにほとんどその揺れを感じない。カタン、カタン、という音はしているが、走っている乗り物に乗っている時に感じる少しの浮遊感というか、安定しない心地を感じることがない。立ち上がって歩くにも、ふらつくことは全くなかった。

おばあさんについて行くと前方のボックス席の中に、梓と同じ制服に身を包んだ女子高生がいた。彼女は座席に身を倒して目を閉じていた。
(かたわ)らには彼女のものと思われるカバンが置いてある。カバンの持ち手の端には梓が持っていたものと同じ鈴が赤い紐に繋がれてくくられていた。
彼女の顔を見る。それは、行方不明の捜索が出されていた写真と同じ顔だった。
「春華ちゃん!」
俺たちと一緒に乗ってきた方の女子高生、梓は、そこで寝ていた女子高生、春華を揺らすと、彼女は目を開ける。
「あ、れ? 梓ちゃん? 何でここに……夢?」
よかった。横になる様子を見た時は何かあったのかと心配してしまったが、寝ていただけのようで、特に問題はなさそうだ。
寝ぼけた様子で体を起こした春華に、梓は飛びついた。そしてようやく、と言った様子で、
「春華ちゃん! お誕生日、おめでとう!」
そう言った。
「……え?」
僕も、Sくんも呆気に取られていた。
確かに彼女は、明日以降では遅い、というようなことを言っていたけれど……まさか誕生日とは。
春華はというと、目をぱちくりさせ、梓を引き剥がす。
「え、ええ? まさか、それだけのために?」
「どうしても今日、言いたかったの!
だって、1年に1回しかない大事な日だし……春華ちゃん、最近少し元気なかったし。
その日じゃないと意味ないって思ったから」
照れ臭そうに笑う梓を見て、春華は呆れたように笑う。
「へ、へんなの…………でも、ありがとう」
梓はとても満足げで、春華もまんざらではなさそうなのだった。

「よう、ばあちゃん。なんだか騒がしいと思ったら、お客さまが3人も来てるじゃん」
その時、突然僕たちに……いや、一緒にいたはつえおばあさんに話しかけてくる人がいた。声のした車両の後方を向くと、そこには若い男性が気だるげに立っていた。
「一番後ろで寝てたのにさ、起きちまったよ。騒がしいのは勘弁してくれよな」
「ああ、大浦(おおうら)さん」
大浦と呼ばれた黒縁眼鏡をかけた彼は大きく欠伸をすると僕らの顔をみて、うっす、と小さく会釈する。髪は綺麗に切り揃えられ、黒縁眼鏡をかけている彼は、一見真面目そうな青年に見えるが、どこか口調や態度が軽々しい。
「ま、乗ってきちまったもんは仕方ねーよな。同じ電車に乗った縁と思って、しばらくはよろしく頼むわ」
そうして彼は踵を返すとまた車両の後方に戻っていった。

「さっきの人は何だ?」
Sくんがおばあさんに聞く。
「ああ、大浦さんですか? 良い方ですよ」
おばあさんはにこにこして答える。
……えーと。僕も続けて尋ねる。
「彼も同じ乗客ですか?」
「ええ、そうです。彼は3日前くらいにやってきましたね」
「……それから、ずっとここに?」
「ええ。この電車はどこに到着するわけでもありませんから」
「他の車両には誰かいるのか」
「いいえ。他の車両には行けませんよ。この車両だけです」
僕は車両の連結部分とつながるドアを見る。
ドアはある、けれど……。
「どうやっても開かないのです。ドアの先も濃い霧に包まれて見えません。だから、私たちがいられるのはこの車両だけです」
「もう一度聞くが……あんたは何者だ?」
「人間ですよ。ただのね」

おばあさんは話が終わると車両の中央あたりの座席に戻っていった。そこで景色を眺めるのが好きなのだそうだ。
僕は携帯を開き、通信状況を確認する。
圏外……まあ、なんとなくそうじゃないかとは思っていたけどね。
Mちゃんからも返信はない。電波が届かないのだから当たり前か。

少し時間が経ったはずなのに、窓の外の空には相変わらず夕陽がともり、あたりをオレンジ色に染めていた。
まったく、簡単な仕事だと思っていたら大変なことに巻き込まれてしまった。いつ元の世界に戻れるか……いや、無事に元の世界に戻れるかわかったもんじゃない。
……まあ、でもなんとかなるか。
たまたま、偶然、ゆくりなく、
こうなったことに意味がある。
これはとある人からの受け売りだけど、今は僕のポリシーだから。
まずは情報集めと行きますか。


つづく
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登場人物紹介

⭐︎バイト: S

どちらかというと背は低い方。

ガサツなところがある。

ファミレスハンバーグが好き。

⭐︎バイト: N

どちらかというと背は高い方。

慎重派。

仕事が終わったらすぐに寝たい。

⭐︎バイト: L

背が高く、細身。

髪の一房を金髪に染めている。

常に明るく振る舞う。

⭐︎バイト: M

背は小さめ。ボブカット。

常に冷静で無表情。

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