9. 片道切符の行き先は(前編):乗車

文字数 6,447文字

「鳴らない鈴はありますか」
私は思い切って聞いた。
こんなのほとんど信じていない。
それでも私はやけになっていたから、もう何でもいいやと思っていた。英語の授業のディベート大会の発表だってやってやるし、吹奏楽部のソロパートの演奏だって引き受ける。今ならなんだってできると思った。
その神社のお守り売り場は不思議な作りで、売り子の顔が見えない。それというのも客と売り子の間に板があるからだ。こちらからは手元と足元だけが見えていて、そこに水色の袴を着た売り子がいることは分かるのだけれど、その人の顔は全く見えず、それが女か男かすらも分からなかった。そして多分それは相手からも同じで、私の顔は売り子には見えていないはずだった。
私が声をかけた後、その人は少しの間微動だにしなかった。一瞬、声が聞こえていなかったのか、と思ったが、次の瞬間にはくるりと後ろを向き、“それ”を取り出した。
そして私の方に差し出す。
「300円です」
その声は低いしわがれ声で、この人はおじいさんだったのか、と私は思う。よく見るとこちらに差し出す手には皺が目立つ。
目の前の台の上に、お金を置くトレイが置かれる。
そうしてそれは私の目の前に置かれた。
“それ”は……全く音のしない、直径2センチほどの鈴は、頭の上にくくりつけられた赤い紐と共に、台の上に寝そべっていた。



「君はSとLって聞いて、何を思い浮かべる?」
隣の運転席に座った男は、そんなことを聞く。
俺はその男の、洒落た服屋のような香りが気になりつつも考える。
先ほど食べ切ってしまったバーガーの香ばしい香りが恋しくすらある。
「……服のサイズか?」
俺、Sは少し考えた後にそう答えた。
その問いを投げかけてきた男……Lの考えが読めない。
「それを言うならS、M、Lだろ? Mちゃんもいなきゃね。
答えはSL! つまり?」
「……つまり?」
「Steam Locomotive……蒸気機関車だよ!」
「……はあ」
はあ。
「そして、今回担当するのが電車の妖怪。
運命的なものを感じないかい」
俺は眉をひそめる。
確かに今回俺たちが担当するのは電車に関係する妖怪だとは聞いたが。
「なんだい、その意味がわからないって顔は」
「全く意味がわからないんだよ」
SとLでSLで蒸気機関車って……押し付けにも程がある。
そもそも蒸気機関車って電車じゃねーし。
「いいじゃないか。どちらも線路上で走ることは同じなんだし、だいたい同じだろう」
そんなことを言ったら方々から反論が上がりそうだが。
そう思っていると、Lはこちらを向いて笑う。
「それにさ、面白いだろ?
偶然、君と僕、SとLの初仕事が電車の任務なんだよ」
「はあ」
Lはにこにこと笑顔のまま続ける。
「たまたま。偶然。ゆくりなく。
そうなったことに、意味がある。
ほんの少しでもそういうことを見つけて、それに楽しみを見出していけば、人生は楽しめる」
「……簡単なやつだな」
「僕の教訓でね。ポリシーと言うべきかな」
Lは依然にこにこと笑顔のまま、そう言う。
「あ、そろそろ着くよ」



俺たちの乗るワンボックスカーは目的の駅近くの駐車場に入った。
多くの業種が仕事終わりとなるこの時間は人通りも多くなり、駐車場も空きが少ない。Lは空いているところを探してきょろきょろと辺りを見回す。
「しかし、電車の妖怪がいるとはな」
「ああ、まあなんでもいるさ」
「そもそも妖怪ってなんなんだよ」
「あ、そこからかい?」
俺の言葉にLは少し面食らった顔をした後、うーん、と左手を顎に当て、考える仕草をする。
「君は妖怪って言われて、どんなものを想像する?」
「えー……喋る目玉の親父とか……赤い猫の地縛霊とか?」
「ずいぶん現代的だね。でもそれももちろん妖怪だろう。
そして河童とか天狗とか、多くの人が共通して想像するそれも、正しく妖怪」
Lは駐車場に一つ空いている箇所を見つけると、バックでそこに車を入れていく。手慣れた様子でハンドルを操作していく。
「これは僕の個人的な考えなんだけどさ。
人間がいるからこそ、妖怪が生まれる。
人間の強い想いや、それに影響されたものたちが、妖怪を生み出す。
そしてその結果、人間の理解を超えたものが生まれる」
「つまり、どういうことだ?」
ガチャ、とギアを変える音がする。車が停止した。Lはこちらを向いて笑う。
「人間にとってよくわからないもの。それが妖怪」
「……まあ、つまりなんでもありってことか」
「そうとも言うね。さあ、いこうか」
Lは運転席側のドアを開け、外に出る。
俺も助手席側のドアを開けた。



目的地の駐車場に車を停めないのは、このバイトの人間にとってもはや癖のようなものだ。
不審な車が停まっていた、という目撃証言を少しでも減らすために、目的地から少し離れたところに車を停める。もっともそれが必要なのは、もっぱら民家が目的地となる悪戯ミラーの対処の際などで、今はさほど必要ないのかもしれないが。
駅までは歩いて向かうことになる。
「それで、今回の妖怪については詳しいのか?」
「いや、全然。Seaさんも言ってたけどさ、不確定要素が多いんだよね」

そのSeaから聞いた概要は、こんな話だ。
最近、この辺りの高校を中心に流行っている話があるらしい。
この駅のホームの待合室で待っていると、『黒い電車』が迎えに来る。
異世界へ通じる電車が。

「黒い電車の都市伝説、か」
「Sくんが高校生の時は、そういう都市伝説みたいなのはあった?」
「……なんで俺の話になるんだ?」
「そりゃ、ただの興味だよ。世間話ってやつさ」
「……はあ。いや、特になかったと思うけどな。そんな前のこと覚えてねーよ」
「まあ、確かにね」
「18歳の時だろ? もう……5年前だ」
俺が指を折り数えてそう返すと、Lは何故か驚いたような顔をしてこちらを見る。
「え……てことは君、23?」
「……そうだけど?」
「君、そんなに若かったのかい?!」
何をおおげさな。
「僕、18歳なんて11年前なんだけど!」
「あのニュースを知ってたあんたなら、俺があの時小3だったってことも知ってるだろ」
「嘘だろ……」
「なんでそんなにショック受けてるんだよ」
「君もN君も同年代とばかり。Mちゃんは同年代なんだけど」
「Nはもうちょい上だと思うけどな」
「はあ……アラサー仲間はN君だけか……」
何故だか相当ショックだったらしいLを、よくわからんなと眺めつつ、俺は話題を戻す。
「……つーか、たかが都市伝説だろ? まさか、本当にその都市伝説みたいなことが起こったとでもいうのか」
「……そのまさかだよ。まさに昨日、女子高生が行方不明になったんだ」

Lが携帯の画面を見せてくる。
「昨日の夜、警察に捜索願が出されてる」
「これ、警察のサイトか」
そこには眼鏡をかけたおとなしそうな印象の女子高生が写っている。
「だからといって、これが都市伝説と関係あるかはわからないだろ」
「ま、それはそうなんだけどね。でも、気になるだろ? 偶然、都市伝説の流行っているこの辺りの高校生がいなくなった。センター側からはそうとは言われなかったけれど、僕らに仕事を振られたのは、この子がきっかけってこともあるかもね」
まあ、それも一理ある。
「もちろん、センターだって僕らに原因究明をさせようとは思ってないと思うよ。
ただ、被害の出るのを防ぐだけ。
そこに同じ状況の人間がいないか、確認するだけさ」
Lはそう言って肩をすくめる。
「まあ、そういうわけだから、僕らの任務は簡単な方さ。Mちゃんたちの仕事がどんな内容であれ、ね。
だって、もしそういう人がいたとしたって、ただ声をかけるだけだからね」
「……ああ、影喰いの時と同じ感じか」
俺は少し前にNと一緒に対応したとある妖怪を思い出す。一人の人間に声をかける。あれもそんな業務内容だった。
「影喰い……ね。君はソレと話したことがあるの?」
「影喰いか? 俺はねーよ、Nがな」
「そう、僕はやったことがなくてね」
「まあ、あの時と同じってんなら簡単だな」
声をかけて対象者を帰らせる。
俺たちは電車に乗ることだってない、と。
「というか、もしそれを確認したとしても、絶対に乗ったらダメだよ」
Lは念を押すように言う。
「何が起こるかわからない。……無事に帰ってこられるかもわからないんだから」



都市の中心から少し離れたところにある駅。
夕方の帰宅者でごった返す駅の中、一人の女子高生がそのホームの待合室の端っこに座っていた。
少しよれた制服に、中身が少なく凹んだカバンを抱えて、ロングヘアを背中に垂らしている。
ちょうど電車が到着し、同じく待合室で待っていたほかの人間は次々席を立って電車の中へ流れていく。しかし彼女はその電車を見て少し残念そうに眉を下げた後、手に持った携帯へとまた視線を落とした。
シャツを少し着崩した、背の高い男が近寄り、声をかける。
「君、ずっとここにいるけど、どうしたの?」
突然見知らぬ男性に話しかけられたことに、彼女は驚いたように肩を跳ねさせた。
無理もない。やっていることが不審者に近いのは、俺から見てもわかる。俺、Sは声をかけたLの後方から彼らに近づく。
本当は車掌の格好とかができたら説得力もあってよかったんだが(なんならその服装のセットも車の中にあったが)、まだ夕方の時間帯、人の多い中で大っぴらに偽装を行うのは危険だと判断して、仕事帰りの会社員を装った。
「……おじさんたち、だれ?」
「お、おじさん?」
怪訝な顔をした彼女の言葉にLが素っ頓狂な声を上げる。
「おじさんって言った?? 僕はお兄さんだよね??」
「いや、年齢的にはおじさんだろ。俺はぎりぎりお兄さんだけど」
「認めないぞ……僕がおじさんなら君もおじさんだろ」
何を気にしているのだか。
女子高生はますます怪訝な顔をする。
「おじさんたちには関係ないでしょ」
「お兄さんね。お兄さんだよね?」
「話が進まねーから。……あんたは、黒い電車を待ってるのか」
ここで、何それ、と言われたらそれでおしまいなのだが。
「……! 知ってるんだ!」
どうやらそうはならなかった。
「なら、おじさん…………じゃなくて、おにいさんたちも黒い電車を待ってるの?」
おじさんと言いかけたところでLの視線の圧に、彼女は言い直す。少し同情してしまう。
「いや、俺たちは違う」
「……そっか。鈴を持ってないもんね」
「鈴?」
見ると、彼女はカバンの上に鈴を載せている。直径2センチほどで銀色のそれは、水色の紐でカバンの取っ手に付けられている。
彼女がそれを取り上げたが、予想した鈴の音は鳴らなかった。
「そうだよ。音の鳴らない鈴。それを持ってると、ここで黒い電車が来るって言われてるの」
「……あんたはそんなの本当に信じてるのか」
「もちろん……信じてなかったよ。でも、来たかもしれないんだ」
「どういうこと?」
「私の友達が、その電車に乗っちゃったかもしれないの」
彼女は手に持った携帯を見つめる。
「その友達から連絡が来たんだ。『本当に黒い電車が来た』って」



「だからといって本当に乗ったかはわからないだろう」
「でも、それから今まで何の連絡もないのはおかしいよ。それに」
「それに?」
Lが促すと彼女は少しうつむく。
「……私のせいなの」
彼女はそう言うと黙りこんでしまい、頑として動かない様子だ。
「……うーん、わかった。それじゃあ、1時間だけ」
「……え?」
「1時間だけ、電車が来ないか待ってみる。僕たちも1時間だけ付き合う。それで、来なかったら帰る。どうだい?」
Lは俺に相談もなしで決めてしまう。
まあ、それで片付くのなら異論はないが。
「お兄さんたちは……なんなの?」
「えっ、あー……そうだな……」
Lが返答に困っているので、俺は肩をすくめた。
「……ただのお節介焼きのおじさんだよ」
今はこの子を家に帰すことが優先だ。

俺たちは女子高生の隣に座ってただ待ち続ける。
ホームに電車が来ても立ち上がらず、ただ座って線路を見る女子高生1人と男性2人。はたから見たら異様な光景だろうと思う。
「……私がこの都市伝説のことを教えたりしたから。黒い電車に乗っちゃったんだと思うの」
「なるほどね。君がそれを教えたから、ちょっと責任感じちゃってるわけだ」
「うん」
彼女はまた携帯を見つめてうつむいた。

そうやって俺たちは待合室でその電車を待っていたが、全くといってその電車が来る気配はなかった。
来るのは見慣れた電車のみ。それに乗る人、降りる人。次々と人が流れていく。
ふと隣を見るとLが携帯を操作していた。
俺の視線に気がついてLは俺に笑顔を向ける。
「これ? Mちゃんに連絡! 今のところ順調だよってね」
「そんな報告必要か?」
「いるいる! こまめに連絡取らないとね。Mちゃんはちょっと危なっかしいところあるんだから」
「はあ……。それで、返信は返ってきたか?」
「いや。向こうも忙しいのかな」
Lはまた目を細めて笑顔を作る。その顔が怖いんだっつーの。
「そうかよ」
俺は興味なさげに顔をふいと前に向けた。



そして、1時間が経った。
「来なかったね」
黒い電車は来なかった。
俺が立ち上がると、Lも立ち上がる。
「ほら、約束だ。もう君は帰るんだ」
彼女は少し諦めきれない表情で線路を見ていたが……。
ふと、息を吐き出して肩を落とす。
「……わかったよ」
そして彼女は立ち上がった。

そうして俺たちは待合室から外に出た。
その時、チリン、と鈴の音がした。
「え?」
俺たちが思わず足を止めた瞬間、アナウンスが流れ始める。
『2番線に……列車が……参ります』
ガガ……というノイズの入ったそれはひどく聞き取りにくい。
俺はホームの電光掲示板を見上げる。しかし不思議なことに、2番線には今列車が来るという表示は出ていない。
何せついさっき電車が出発し、次の電車の表示に変わったところだ。
そう、それは確かに非日常の入り口だったのだ。

ゴウ、と空気が震える様な音がして、ふと瞬きをした次の瞬間、目の前にゆっくりと電車が停車した。
それは、黒い電車だ。
真っ黒の車体に、暗い窓。
よくある在来線のような風貌ではあるが、黒い。
さらに、ひどく長い列車だ。先頭車両と後方車両は霧が濃くなったように視界が晴れず、どこまで続いているかわからない。窓越しの車内はぼやけてよく確認することができなかった。
そんな異様な電車が目の前に停車している。
周りの人々はこの電車が見えていないかのように、携帯を眺め、世間話をしている。
俺たちのいるここだけが異世界になってしまったかのようだ。

これが、黒い電車。
本当に、きた。
プシュー、と音を立てて俺たちの前で扉が開く。
目の前の車両が誘い込むようにこちらに扉を開いている。
思わず呆然としていた俺たちをよそに、彼女はハッとしたようにその扉へと一歩を踏み出した。
その腕を俺は咄嗟に掴む。
「何? 離して!」
「乗るつもりか? ダメに決まってるだろ!」
彼女はキッとこちらを見据える。
「どうして?!」
「何が起こるかわからないだろう! ここは僕らに任せるんだ」
Lも彼女に言い聞かせるように言う。
すると彼女は少し考えるようにうつむいた。
「それじゃあ遅すぎるのよ」
ぼそり、と彼女がそう呟いたのが聞こえた瞬間、彼女はいきなりぱっと顔をあげた。
そして、空を指して叫んだ。
「あっ! 見て! 空飛ぶおじさん!」
「「え?」」
なんでこの時2人してそっちを向いてしまったんだか。
そしてなんで俺は手を緩めてしまったんだか。
あの一瞬の判断を今更悔やんでも仕方がない。
当然彼女の指差す方向には何もなく、彼女は俺の手をすり抜けて、黒い電車へ飛び乗った。
「あっ!」
「おいっ! 何やってる!」
Lと俺の言葉も聞かず、彼女は電車の扉の中へ消えていった。
そしてその瞬間、電車はゆっくりと動き始めた。
扉を開けたままで。
「くそっ、行くしかない!」
「えっ、Sくん、何を」
俺はLの答えも聞かず、開いている扉からゆっくりと動いている電車に飛び乗った。
「ええ! ああ、もう!」

俺に続いて、Lも電車に飛び乗る。
そのLの背後で扉が閉まった。
俺たちを乗せた電車は徐々にスピードを上げ、走り出した。



つづく

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登場人物紹介

⭐︎バイト: S

どちらかというと背は低い方。

ガサツなところがある。

ファミレスハンバーグが好き。

⭐︎バイト: N

どちらかというと背は高い方。

慎重派。

仕事が終わったらすぐに寝たい。

⭐︎バイト: L

背が高く、細身。

髪の一房を金髪に染めている。

常に明るく振る舞う。

⭐︎バイト: M

背は小さめ。ボブカット。

常に冷静で無表情。

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