第29話『メルという妖精』

文字数 2,801文字

 “カレには名前がなかった。
 カレは一介の〈創作の精(レプラホーン)〉だった。“
 そんなカレの前に、ひとりの少女が現れた。

 「あら、ごめんなさい」
 カレの巣の天井を持った少女は、驚くカレにそう言った。
「あなたの お家だとは思わなかったの! 」
 彼女のことは知っていた。ウール・ロス。集落に住む、妖精が見える少女だ。
 そんな彼女が、どうして こんな森の奥に?
 〈創作の精(レプラホーン)〉は考えて、すぐに、疑問が浮かんだ自分を恥じた。彼女の周囲に、〈迷子の精(ウィル・ウィズ・ウィスプ)〉が浮いていたからだ。きっとカレらが、〈創作の精(レプラホーン)〉へ いたずらするために、ここへ彼女を運んで来たのだろう。
「天井を、戻してくれないかね? 」
 〈創作の精(レプラホーン)〉は、なるべく冷静に振舞った。
「ごめんなさい! すぐに戻すわ! 」
 これが、カレらの出逢いだ。

 天井を壊してしまって以来、ウール・ロスは〈創作の精(レプラホーン)〉の家に通うようになった。パンやビスケットの入ったカゴを手に持って、天井をノックするのだ。
「こんにちは! きょうも いい天気ね」
 口の おおきな、かわいらしい笑顔を浮かべて、ウール・ロスは言う。しかし、〈創作の精(レプラホーン)〉は出てこない。でもウール・ロスは すこしも しょげずに、穴の側に座ると、話を はじめる。
「きょうはね、ピクシーさんたちと遊んだわ。領主様がね、私みたいな“特別な子“は、“普通の子”と遊んじゃいけないって言うのよ。妖精の声を聞き、妖精と遊んでいればいいって言うの。でも私、納得できないわ。私も、他の子と一緒に遊びたいもの! 」
 私はね、妖精と両親と領主様としかお話しちゃいけないのよ。
「アナタたちとお話するのは大好きよ。アナタたちは とっても親切だもの。でもね、私は、私と同じ、人間の子と仲良くなりたいのよ。たくさんお話したい。わかるでしょ? 」
 ウール・ロスは穴を(のぞ)く。真っ暗な洞窟は、なにも答えてくれなかった。
 それでも、ウール・ロスは やさしく微笑む。
「きょうの お話、他の妖精()たちには内緒ね。いい思いしないでしょうから。あなたにだけ。黙って、私の おしゃべりを聞いてくれる あなただから、お話しちゃったの。じゃあ、あしたも来るわね」
 言って、カゴの中のものを穴の前に並べると、ウール・ロスは帰って行った。
 ウール・ロスが遠のく足音を聞いて、穴の住人は スルスル と、抜け出してきた。穴の前に置かれた食べ物を穴の中に投げ入れると、去りゆく背中を見つめた。
 ()せっぽちで、すこし猫背で。さびしい少女の背中だ。
 ひとりぽっちなんだ。〈創作の精(レプラホーン)〉は思った。
 ジブンと同じ、ひとりぽっちなんだ。

 つぎの日も、つぎの日も。晴でも雨でも、曇りでも。ウール・ロスは来た。
「私ね、いいこと考えたのよ! いつまでも、アナタのこと“アナタ”って呼んでるのも変でしょ? ピクシーたちにさえ お名前があるのに。だからね、私、考えたの」
 いい、今日からあなたの名前は。
「“メル”よ。違う お名前だったら ごめんなさい。でもアナタ、答えてくれないんだもの。だから呼ばせて。メル。私はアナタを、そう呼ぶことにしたわ」
 足音が遠ざかるまで、じっとしていた。出てきて、食べ物を穴へ放る。
「メル。メル……そうか。それが、ワタシの名なのか」
 こうして、名のなき〈創作の精(レプラホーン)〉は、メルになった。

 またつぎの日も、やはり、ウール・ロスは来た。
「きょうは あいにくの お天気ね。だから林檎よ。まあ、おいしそうな林檎(ウール)! なんちゃってね」
 ひとりで ケラケラ 笑って、穴の前に林檎を3つ、並べた。
「この林檎はね、姉妹なのよ。ほら、おおきいの、ちゅうくらいの、ちいさいの! 長女、次女、三女って。私の お家と一緒。私はね、長女なの。うちは女しかいないでしょう? だからね、私は嫁には行かないんですって。“婿(むこ)入り”って言うのよ。私、女の子は みんな お嫁さんに行くものだと思っていたから。不思議だわ。私は ずっと、ウール・ロスなの。ウール・ムルトにも、ウール・マーフィーにもならないのよ」
 メルは その日、林檎の種で指輪を作った。

「メル! これ、あなたが作ったの? 」
 穴の前に置かれた指輪を見つけて、ウール・ロスは歓喜の声を上げた。
「素敵! とっても素敵だわ! 大切にするわ……ああ、いつかメルと話せる日が来るのかしら……」
 それでも、メルは出てこなかった。
 それが、彼女が“特別な子”として過ごした、最後の1日だった。

 翌日、彼女は泣いていた。
「ニオイが消えたのよ」
 彼女は言った。
「私、もう見えなくなっちゃった。メル。私、もう、アナタたちのこと、見えなくなっちゃったの」
 “見えなくなった”。その言葉を聞いて、メルは、目を見開いた。話を聞くために穴に向かって伸ばしていた耳は折れ、ゆっくりと、地面に腰を落とした。
 “見えなくなった”。その言葉は、彼女と、妖精界との終わりを示していた。
 妖精たちは、やさしくも残酷だ。妖精たちの おおくは、人間と妖精、世界を真っ二つに分けたがる。決して、交わることなんて無いのだ。“見える者”と“見えない者”、それは、人間が思う以上に、重大なことだった。
「そんな──」
 メルは、つぶやいて、すぐに、はっとなった。
「指輪。そうだ、指輪は? 」
 穴の出口に向かって声を掛けた。
 妖精が見えない人間でも、見ることができるようになる方法が ふたつある。それは、〈妖精の輪(フェアリーリング)〉という、とある特殊な石でつくられた輪っかを覗いて見る方法と、もうひとつは、“妖精の創ったものを、身につけること”。つまり、きのうメルが作った指輪をすれば、彼女は、ニオイを感じることはできずとも、ふたたび妖精を見ることができるのだ。
「指輪はしていないのか」
 と問う声に、返事はなかった。
 メルは穴を上って、地上に顔を出した。
 涙で濡れた顔が、そこにあった。
「指輪──」
 “大切にする”……言った彼女は、言葉通り、大切に箱の中に仕舞っていたのだ。その指には、指輪はされていなかった。

 その日からメルは、毎日 彼女の枕元に現れた。大切にしてくれた、名前をくれた彼女のために、毎日、苦手で苦手でたまらない地上を歩いたのだ。
 彼女のために服をこしらえて。いずれ彼女が着てくれるのを信じて。
 しかし彼女は、一度も服を着なかった。それはそのはず。穴の中で暮らすメル⁼ファブリの作る服と言ったら、布切れや落ち葉を集めてできたもので、とても着れるようなものではなかったからだ。
「いつか、メルと お話がしたい」
 その祈りは、代々、子から孫へ、孫から曾孫へ、受け継がれてゆくことになった。

 「そう言う訳で、僕たちは、祖母の意思を継ぎ、この穴に毎日来ている、という訳なんです」
「そんな長い間。凄いですね」
 レアがジェスチュア交じりに言うと、ロス氏は笑った。
「誰よりも やさしくて純粋で、自慢の祖母でしたから。夢を、叶えてやりたいんですよ」
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