猫の言い分

文字数 2,036文字


 真夜中に目を覚まし、様子がおかしいことに私は気がついた。
 確かに、ここは私の部屋の中だ。
 カーテンの透き間から差し込む薄明かりで見える家具も壁も天井も、いつもとまったく同じだ。
 部屋のすみにベッドがあり、私はその上にいた。
 しかし、同じベッドの中に何かがいるのだ。
 私と一緒に毛布にくるまっている。
 ザラメだろうか、とまず私は思った。
 ザラメとは、私が飼っている子猫の名だ。
 雑種のオスで、毛が綿菓子のようにふわふわだから、こう名づけた(ザラメは綿菓子の原料だ)。
 ザラメが私のベッドに入ってくるのは珍しくない。
 普段はベッドの下で丸くなるが、寒い夜には毛布に入ってくる。
 だが、これはザラメにしては大きすぎた。
 まるで人間と同じサイズがある。
 それが毛布の下に身を隠し、私を腕の中に包んで抱いているのだ。
 しなやかで暖かく、毛むくじゃらの腕だ。
「パパ」
 暗闇の中で声が聞こえ、毛布をはねのけて、そいつがシルエットを見せた。
 たてがみはないが、私は最初ライオンだと思った。
 逃げ出そうと手足を動かしかけたが、強い力で押さえつけられ、体を離すことさえできなかった。
「パパ、パパ。落ち着いて」
 再び声があり、そいつは私にのしかかった。
 それでも、まだ私にはわからない。
「世話が焼けるね」
 首を伸ばし、そいつが電気スタンドのスイッチを押したので、ついに明るい光が姿を照らし出した。
 私の上に乗ったまま、やわらかい表情でにっこりした。
「パパ、大好き」
 とザラメが言った。
 毛色や模様は元のままだが、ザラメの体はライオンのように大きくなっている。
 でも表情はいつもと同じで、私を見て目を細めた。
「ザラメなのかい?」
 私の声は、驚きでかすれた。
「そうだよ。猫ってね、一生のうち一度だけ魔法が使えるの。僕はいつもパパに抱っこしてもらうから、一度お返しをしようと思ったの」
 私は目を丸くし、呆然と見つめた。
「そんなに大切な魔法を、こんなことに使っていいのかい?」
「いいの。僕はパパが大好きだから」
 ザラメは私の鼻をなめた。
 ざらりと濡れた、特大の紙やすりだ。
 くすぐったくて、私は笑った。
 ザラメも機嫌良いが、次にこんなことを口にした。
「ねえパパ、明日の朝には魔法が解けて、僕は元の子猫に戻る。せめてそれまでお話をしようよ。何か言いたいことはない?」
 こういう時になぜ思いついたのか、私は以前からの疑問を口にした。
「お前は、なぜあんな下水で鳴いていたんだい?」
「うーん、わからないや。気がついたらあそこにいたの」
「お母さん猫はいないのかい?」
「いない。僕は一人で生まれてきたの」
 そんなはずなかろうと思ったが、言わないことにした。
 ザラメの真剣な顔に、思わず私は微笑んだ。
「下水の中は、どんな場所だった?」
「何もかもが濡れて、空気もジメジメして、遠い水音がゴウゴウ聞こえて、でも暖かい場所だった。
 あの日は雪が降ってたね。パパは道を歩き、ドブの格子の下に僕がいることに気がついた。
 傘を放り出し、体を雪まみれにして降りてきてくれたね。僕をコートのポケットに押し込んで、地上へ連れて上がった。
 初めて見た地上の景色が真っ白で、びっくりしたことを覚えているよ」
「あの夜は、猛烈に気温が下がると予想されていたからね。お前をほっておけなかった。家へ連れて帰って、きれいに洗うのが大変だった」
「あのシャンプーの匂いは今でも覚えてるよ。鼻の穴に入ったもん。くしゃみが何回も出た。鼻水もいっぱい出た」
「おしっこもしたよ」
「そうだっけ?」
「何日も匂いが残って大変だった」
 ザラメはウフフと笑った。
 私も笑い、話題はいろいろと移っていった。
 屋根裏のネズミのこと。
 昨日見かけたハトの死骸は、やはりザラメの仕業だったこと。
 でも、そのうちに私は疲れてしまった。
 私は大きく口を開けてアクビをした。
「眠い?」
 とザラメが言った。
 私は突然思いついた。
「ザラメ、これは夢だ。夢に違いないよ」
 毛布の下でザラメの尾が動く気配があった。
 立ち上がり、ザラメはベッドを出ていったのだ。
 何をするのだろうと、私は見送った。
 壁のそばへ行き、ザラメは器用に後ろ足で立ち上がった。
 前足を伸ばし、私でも手の届かない柱の高い位置に爪を押し付けた。
 ズリズリと音を立て、尖った爪が、平行した短い4本線を柱に残したのだ。
 ザラメは私を振り返り、にっこりした。
「さあパパ、お休み。明日また会おうね」
 私はそのまま眠ってしまった。
 目を覚ますと朝で、まわりは明るかった。
 おかしな夢を見たと思いながら立ち上がると、ザラメはいつものようにベッドの下から出て、私のそばへやってきた。
「おはよう」
 と私は言った。
 でもザラメはニャーとも答えず視線を動かし、部屋の中の一点を見上げるばかり。
 私はザラメの視線を追った。
 部屋のすみの柱だ。
 その上の方、私が背伸びをしても絶対に届かない場所に、短い4本線が刻まれているのがはっきりと見えた。

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