屋敷の秘密
文字数 1,356文字
ある市が、町内の区画整理を行うことになった。
戦前から続く古い町並みだが、自動車が増えた現代ではいささか手狭になり、特に火災時に消防車が走行することを考えるとやむをえないことで、地元からも反対の声は出ず、むしろ歓迎ムードだった。
すぐに工事が始まり、急ピッチで進んだ。
必要な立ち退き交渉もスムーズに進みかけたが、例外もいた。
田中という一人暮らしの老女で、大きな屋敷を構え、この女だけはどうしても立ち退こうとしなかったのだ。
それどころか、市の担当者と交渉のテーブルにつくことさえ拒んだ。
それでも工事はどんどん進み、とうとう田中の屋敷を残して、他の部分はすべて完成してしまった。
新しい近代的な建物が立ち並ぶ中に、古めかしい屋敷が一軒だけポツンと残る形になったが、ばあさんは気にしない。
気丈なばあさんで、その後も15年間、特にめげる様子もなく元気だった。
一人暮らしだから、ばあさんが死んでいるのが発見されたのは、ほんの偶然からだった。
あるとき学校帰りの子供がふざけていて、ボールを派手に転がしてしまった。
転がった先がばあさんの屋敷の庭で、子供は門をたたいたが、返事がないので勝手に入っていった。
そして、たまたま家の中をのぞき見て発見したのだ
すぐに警察が呼ばれたが、年齢が年齢であり、なんということのない自然死だった。
その後、屋敷は相続人の手に渡り、売りに出された。
もちろん市が買い取り、道路を広げる工事に取り掛かったのは言うまでもない。
だから今では、あそこに屋敷があったことさえ知る人は少ない。
それにしても、ばあさんはなぜ立ち退きを嫌ったのだろう?
後に判明したことだが、ばあさんの亭主は昔、動物園で飼育係をしていた。
担当は象だったそうだ。
それを聞き、市民はそろってヒザをたたいた。
戦争中は食料がなく、人間が飢えるぐらいだったから、動物にやるエサなどとても確保できない。
空襲もあって、万一オリが破れ、動物が町へ逃げ出したら大変なことになる。
だから軍の命令で、動物園の動物はみな毒殺されることになった。
しかし飼育係には、これが耐えられなかった。
どうやったのかは誰も知らないが、小さな小象だけはうまく別の場所にかくまうことに成功したらしい。
大人の象はみな殺されたが、軍の目をうまくごまかし、小象がいないことに気づかれることはなかったのだ。
子供のいない田中夫婦は、戦後も密かに小象を飼い続けた。
屋敷の地下に部屋を作り、きちんとエサをやり、本当にかわいがった。
それが屋敷の秘密だったのだ。
ばあさんの死体を運び出すために足を踏み入れた警察官たちは、地下から聞こえてくる象の鳴き声に腰を抜かしたそうだ。
ばあさんが死んでから幸い日数はたっておらず、象に異常はなかった。
もうすっかり年寄り象になっていたが、まだ元気だった。
この秘密がバレることを恐れ、ばあさんは立ち退きに応じなかったのだ。
その後、象はどうなったか。
小象だった頃はともかく、こう大きくなっては、屋敷を壊さない限り外へ出すことはできなかった。
人の言うことをよくきくおとなしい象で、トラックに乗せられて、動物園へ運ばれていった。
その後もオリの中で生きてい
たが、去年の冬に死んだ。
死因は老衰だったそうだ。