校章

文字数 2,044文字


「お前の校章番号を見せておくれ」
 というセリフだけではさっぱり意味がわからず、説明が必要だろう。
 夕方の下校時、ある老女の口から突然でた言葉で、道路上で話しかけられた女生徒は1人や2人ではない。
 老女の身なりについて、目撃者によるバラつきはない。
「バサバサで真っ白な長い髪。破れた着物姿の気味の悪いおばあさん。しかも指の爪は、釘のように長いのよ」
 噂を聞き、教室で先生からも注意を受けていたが、実際に遭遇した時には、私もひどく驚いた。
 クラブ活動で遅くなり、電車を捕まえようと駅へ急ぐ目の前に、物陰から不意に現れたのだ。
 そしてお決まりのセリフ…。
「お前の校章番号を見せておくれ」
 ○○学園には変わった習慣があった。
 生徒全員が純金の校章を身につけるが、それにはすべて番号がつけてあり、同じ番号の校章はこの世に2つとない。
 見かけは小さいが、分厚くしっかりしたもので、それなりの重さもある。
 3年生は卒業する際、自分の校章を新入生に譲る。
 それゆえ校章は代々、生徒の手から手へと渡され、受け継がれてきた。
 過去の先輩と私たちだけでなく、この校章は後輩たちの胸を永遠に飾るのだ。
 入学式の日、気概と誇りで胸がいっぱいになったことを思い出す。
 もう100年間続く伝統なのだ。
「あんたの番号は何番だね?」 
 と老女は言った。
「44番だけど…」
 老女の目が光った。
「ではお寄越し」
 その言葉と共に伸びてきた手の恐ろしいこと。
 私をつかもうとするのだ。
 思わず後ずさり、私は逃げた。  
「違います」
「44番だろうが? なら違うはずはない」
 老女の力は強く、爪が腕に食い込むのを感じたほどだ。
 振りほどこうとするが、老女は放さない。
「44番なら間違いない。早くせい」
 恐ろしさのあまり、私はカバンで老女を叩いたのだ。
 相手がひるんだ一瞬を突き、全速力で駆け出した。
 あのあたりの道路は切り通しになっている。
 だから逃げるとしたら、車道の側へ進むしかない。
 もちろん老女も私を追ってくる。
 私はうまく自動車をよけることができた。
 だがお年寄りに、大型トラックをとっさによけることは期待できない。
 すぐに救急車が呼ばれたが、見るからに生命に関わる重傷と思われた。
 私の方はひざをほんの少し擦りむいただけだったが、念のためということで同じ病院へ向かった。
 老女はすぐに手術室へ入れられたが、その頃には警察官も姿を見せ、私は事情を聞かれた。
 ただ老婆の出没について、学校から警察へ向けて数日前に通報がされていたらしく、話はすぐに通じた。
 私を落ち着かせようという親切心からだろうけど、中年の看護士がそばにいて、盛んに話しかけてくれた。
「○○学園の制服は懐かしいわ。私も卒業生なのよ。ウン年前のことだけどね」
「はい」
 手術室のあたりの騒がしさが、なぜか不意に静かになったことに、このとき私は気が付いた。
 あらっ、と看護士も気づき、様子を見にいったが、やがて戻ってきた。
 だけど戻ってきながら、警察官と小声で何やら話していたことが気になった。もちろん話し声までは聞こえなかったが。
 看護士は私の前をいったん通り過ぎ、自動販売機のところで冷たい飲み物を買い、とうとう帰ってきた。
 飲み物の栓を抜き、私に手渡しながら、
「亡くなったわ」
 と言った。
「そうでしょうね」
「ショックじゃない?」
「別に…」
「ならいいわ」
 飲み物を口に運ぶようにうながし、看護士は説明してくれた。
「いまわの際に、やっとドクターが聞き出したことよ。あのおばあさんは、自分自身も○○学園の生徒だったそうよ。60年も昔のことだけどね」
「じゃあ当然、番号付きの金の校章を持っていたんですね」
「その番号が44番ですってよ」
「えっ?」
 あの老女、この時点ではまだ氏名も不明だったが、その父親というのが札付きの人物であったらしい。
 校章は純金製だが、それに目がくらんで、自分自身が細工職人だったこともあり、安価な金属に金メッキしたそっくりな偽校章を作り、嫌がる娘の校章とむりやり取り換えてしまったのだ。
 それを売却して得たカネも、酒代かバクチにあっという間に消えてしまったに違いない。
 どんなに精巧な作りだったのか、偽造品だと知られることは卒業までなく、それどころか60年後の現在でもバレていないことになる。
 だが女は、それが気になって仕方がない。
 なんとかカネをためてゴールドを買い入れ、秘密を守ってくれる腕のいい細工職人を見つけるのに、60年という時間がかかってしまったのだ。
「そんな事情があったの?」
 と私は目を丸くしたに違いない。
 看護士は言った。
「父親が犯した罪の清算に、あのおばあさんは半生を取られてしまったのね」
「そうですね。何も知らず、私もただの金メッキを誇らしく身につけていたんですね」
 ここで看護士がフッと笑いを見せたので、私は不審そうな顔をしたのだろう。
 看護士は説明してくれた。
「面白いのはね、かつて私の校章番号も44番だったことよ」
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