店
文字数 3,510文字
某新聞があるとき掲載した記事が、世間で大きく話題になったことがある。
匿名の読者から送られてきた写真だったが、大スクープではあるけれど、編集部も実は半信半疑で、下調べやら何やらで掲載までに時間を要した。
「広島県内の山中に、第二次世界大戦中のアメリカ軍機の残骸が人知れず、今も手を触れられないままに眠っている」
というのだ。
それを撮影した数枚の写真なのだが、山の持ち主に迷惑がかかることを恐れて、詳しい場所については撮影者も口を閉ざしていた。
写真そのものはピントもよく合い、しっかりと鮮明なものだった。
機体の形状も塗装も、第二次世界大戦のものとして矛盾はない。
F6F・ヘルキャットという戦闘機で、当時の日本人は、メーカー名からグラマンと呼んでいた。
写真は、その墜落機体を数方向から撮影している。
いかにも昭和20年当時からそこにあるらしい雰囲気で、機体には一カ所、大きな穴が開いているのだが、その穴を通り抜けるように生えている樹木ももうそれなりに大きい。
紙面掲載までに時間を要したのは、合成写真ではないかという疑念がぬぐい切れなかったからだ、と編集部は釈明している。
しかし専門家に依頼していくら調べても、合成写真らしいところがなく、それならばと紙面を飾ったわけだった。
その直後から、真実だ、フェイクだと世間はしばらくの間、騒がしかったが、やがて忘れ去られ、誰も口にしなくなっていった。
実際に山中を歩いて機体を捜索する者も現れたが、広島県は大きい。
何の成果も上がらなかった。
「この箱は何だろう?」
物置の整理をしていて、思いがけず慎一がその段ボール箱を発見したのは父親の死後、1年ほど過ぎた頃のことだった。
慎一の父親は、広島市内で模型店を長く営んでいた。
模型店というのは、要するにプラモデルの店のことで、客層は小学生から大人まで幅広い。
商品のプラモデルも、テレビ番組に登場するメカや怪獣のようなキャラクター物から、リアルな自動車や戦闘機、戦車、軍艦などとバラエティーがある。
母親を早くに亡くし、慎一は父親と二人暮らしだったが、父親は人当たりの悪い、気難しい男だったが、店の経営状態は悪くはなかった。
ある時期など、プラモデル作りが男の子の趣味の王道だったこともあるが、それ以上に田辺模型店は常連客が多かったのだ。
まだ中学生だった頃から、仕事の手伝いをするでもなく慎一は店先で長い時間を過ごし、父親と客たちの会話を聞きながら、それなりに学んできたとは言えるかもしれない。
もとより血なまぐさい話が多かったが、軍艦や戦車などの兵器が、どういう戦争で実際に用いられたのか。
そういう戦争は、そもそもどうして起こったのか。
戦争のさなかに、新聞がいかに多くの嘘を書いて国民をだましてきたか。
あるいは、書くべきことを書かずに国民の目を欺いてきたか。
「あいつらは、平気な顔をして嘘を書くのだよ」
新聞やマスコミに対する父親の反感の思わぬ強烈さに、慎一も圧倒された記憶がある。
そういう話題さえ出なければ、普段からおとなしい人ではあった。
父親は慎一の目には、いかにもくたびれた中年男だったが、会話の途中に眼鏡の奥にある目がキラリと光る瞬間など、息子ながらハッとしたものだ。
そうやって慎一は成長し、学校を卒業して自然に店を引き継いだが、ちょうどその頃に体を悪くして父親は短く寝付き、そのまま死去してしまった。
名実ともに田辺模型店は慎一のものになったが、幸いにも常連たちは離れず、店を続けていくことができた。
倉庫の中を整理していて、慎一が見慣れない段ボール箱を発見したのは、ちょうどこの頃のことだったのだ。
倉庫は住宅兼店舗の裏手にあり、普通の家庭の物置と商品倉庫を兼ねたような使われ方をしていた。
だから段ボール箱といっても、中身が何なのかは外観からでは見当もつかない。
大きめのミカン箱ほどのサイズで、粘着テープできちんと封がされていたが、持ち上げてみると意外に軽い。
壊れ物が入っているのかもしれない。
体中をホコリまみれにしながら、慎一は慎重に運び出した。
父親のものには間違いない。
几帳面すぎるほど丁寧に、テープで封がされているのだ。こんなところにも性格が出るのだろう。
中身を壊さないように、慎一はそっと箱を開いた。
ダンボールのフタを開くと、透明なアクリルがすぐに顔を出した。
どうやら中身は、段ボール箱とほぼ同じサイズであるらしい。
慎重に取り出してみると、アクリルの四角い箱でジオラマを保護しているのだと分かった。
ジオラマというのは、例えばミニチュアの家であれば、それを本物の地面そっくりに作った土台の上に配置したようなものと思ってもらえばいい。
本当によく作られた精密ジオラマは、たとえミニチュアであっても本物そっくりに見える。
場合によっては実物と区別がつかない。
慎一がこの日発見したのも、そういうジオラマの一種だったのだ。
これは父親が作ったものに間違いないし、そのくらいの技術のある人だった。
しかし問題は、それがF6F・ヘルキャットのミニチュアで、しかも山中に墜落した残骸ふうの物だったことだ。
地面などは、わざと小石を含ませた石膏に絵の具で着色したものとは、とても思えない。
年月がたった機体の汚れ具合、錆び具合、穴の開き方。
その穴を貫いて生えている樹木のリアルさ。
これが本当にミニチュアなのかと、慎一も目を疑うほどのできばえなのだ。
もちろん慎一も、新聞に掲載されて世間を騒がせた例の写真のことはよく覚えていた。
ただあのころ、大学へ行くために慎一は広島を離れていたから、写真について父と会話した記憶はない。
だがどうやら、あの写真を新聞社に送ったのは、父だったということのようだ。
見事なフェイクではないか。日本中がだまされた。
もっとも新聞社はこの投稿写真を、合成写真ではないのかと最初は疑った。
しかし専門家に依頼して鑑定を行っても、合成の痕跡は一切発見できなかったがゆえに、真品と判断したのだ。
それはそうだろう。
ただジオラマをそのまま撮影しただけで、写真合成などそもそもしていないのだから。
模型作りはともかく、父は写真技術など持ち合わせてはいなかった。
これが掲載された時には紙面を眺めつつ、父は一人で笑っていたのだろう。
「新聞社というのは、いつの時代になっても変わらないな」
と満足げだったかもしれない。
あきれと感心の中間のような気持を慎一は味わっていた。
寡黙な人物だったから、父の若い時代に何があったのか、慎一は聞いていない。
何か父は、新聞というものに対する意趣返しのようなつもりでジオラマを作り、写真を送ったのだろうか。
「親父らしいな」
このジオラマを、ジオラマだとわかるように全体写真を撮り、ゴシップ専門誌に送れば面白いことになるだろうとは、慎一も思いはした。
だがここで、先ほど物置の中で目にした光景を思い出したのだ。
物置の一番奥へ隠すように置かれていた段ボール箱はこれ一つではなく、同じような箱がもう一つあったではないか。
物置へ戻り、その箱も持ち出してきたが、そのフタを開くなり慎一は、アッと声を上げなくてはならなかった。
グラマンのジオラマであれば、新聞社がだまされたという笑い話で済む。
くすくす笑いが世間に広がり、記者たちはしばらくの間、居心地の悪い思いをするだろうが、それだけのことでしかない。
だが、もう一つの箱の中にあったもの…。
それが何だったのか、ここで具体的に書くことはできないけれど、あなたもよく知っているアレなのだ。
世間では事実と解釈され、すでに常識として独り歩きしている。
百科事典にも史実として掲載されていることだ。
それを「私の父が冗談で作った嘘でした」とは、今さらとても公表できない。
大げさだが日本の国益にも関わることであり、めったなことを口にすれば、慎一の身にだって何が起こるか分からない。
「まずいことになった…」
慎一の胸に不安が広がり始めた。
どうすればいい?
どうすべきか?
いや、考えている暇などない。
「ストーブの中に灯油の残りがあっただろうか」
のんびりしてはいられない。
どこの誰に、いつ目撃されるかもしれないのだ。
ジオラマを二つとも庭に持ち出し、慎一は火をつけた。
ボッと音がする。
ジオラマの形をした二つの歴史的虚構は炎を上げ、輝きながら灰へと変わっていく。
真相を知っているのは、この世で慎一ただ一人。
すべてが燃え尽きた後、やっと慎一はほっと息をつくことができた。