【信ずる者こそマッドネス】
文字数 3,356文字
人間は信じたいモノを信じる生き物だ。
こればかりはいうまでもないというか、人間は基本的に自分の信じたいモノにこそ意識をフォーカスし、それがあたかも真実、真理であるかのように思いたがる生き物だ。
それもそのはず、自分にとって都合の悪いモノを直視したがる人はそう多くはない。むしろ、そういったモノから目を逸らしがちだ。
出会いがないといっているのは、単にソイツに勇気がないだけか、こころの奥底にトラウマを抱えているか、単純に性格が悪くて周りに嫌われているかだ。自分では出来ているはずと思ったというのは、自分が出来ていないという現実から目を逸らしたいから。そういうことだ。
さて、かくいうおれはというと、やはりそういった都合の悪い現実から目を逸らしがちだ。
やはり、自分としても見たくないモノは見たくないし、臭いモノには蓋したくなる。
だけど、そういうワケにもいかないからこそ直視せざるを得ず、仕方なしに都合の悪い現実を見ざるを得なくなってしまう。
確かに都合の悪いことを無視するのは良くないし、そうしたくなるのも仕方がない。だが、現実を見ないことには、先には進めない。
とはいえ、パニックを発症した時ばかりは、おれも現実から目を逸らし続けた。あんなゴミのような症状など、すべてウソであるべきだと思ったし、なったとも認めたくなかったしな。
だが、結局認めざるを得なくて、その結果、今こうなっているワケだ。
だが、中には辛い現実を直視できず、それを忘れさせてくれる何かにすがろうとする人だっているワケで、その対象は、酒だったり、ギャンブルだったりと様々だ。
ちなみにおれの場合は映画と小説とロックンロールだった。それらに出てくるヒーローたちのスタンスやスタイル、ルールを盲目的に崇め、辛い現実から目を逸らし続けた。
まぁ、現在、シナリオを書いたり、芝居をやっている身としては、これも無駄ではなかったと思うけども。
こういった自分が信じたいモノを信ずるというスタンスは、端から見たら馬鹿馬鹿しく思えても、とはいえ、本人にとっては何よりもの救い、意義のあるモノかもしれないのだ。
だが、それを無理に人に押しつけたりしてはいけない。人はみな大小千万、各々が自分のイデオロギーを持っている。何かを信ずるという行為はそういったイデオロギーに基づいていることが殆どで。それはつまりーー
信ずる何かを無理に相手に押しつけることは、相手のイデオロギーを侵害することにもなりかねないということだ。
まぁ、人に何かを押しつけるというのは何事においてもよろしくないんだけどな。
さて、今日はそんな話。と、その前にひとつ昨日の補足をしておくと、遠征芝居篇が終わったんで予定通りソープオペラ形式のシナリオを書き始めたということで。
今までおれが話してきた内容と地味にリンクしてるんで、誤解した人がいたらイヤなんでーーえ、んなワケない? ならいいんだけど。
それじゃ、やってくーー
あれは三年前のことだ。その日は週末、おれはちょうど夕暮れ時の五村市駅にいた。
というのも、それまでは半分抗議的に、半分は嫌気が差して距離を取っていた『ブラスト』の次回公演に出ることとなっていたのだ。
普段なら稽古日にそんな感じで駅前を彷徨くということもないのだけど、この日は稽古場が昼間と夕方で異なっており、この時間はちょうど昼間の稽古と夕方の稽古の中間で、おれはひとりで駅前イーストサイドのカレー屋で空腹を満たしていたのだ。
何でひとりだったかって?ーー友達がいないから。とまぁ、それはジョークとしても、何でひとりでメシを食ってたのかは覚えていない。多分、何かしらの事情があったんだと思う。これが都合の悪い現実から目を逸らすってことですよ、みなさん。それはさておきーー
気づけば夕方の稽古開始時間の十分前となっていた。そんなこともあって、おれはイーストサイドから稽古場である五村市民センターのあるウエストサイドへと移動したのだ。
時間は余裕。おれは馴染みの駅をいつも通り大手を振って歩いていた。と、そこでーー
「あのぉ、ちょっとすいません」
と声を掛けられたのだ。何だろうと思い振り返ると、そこにはみすぼらしい格好をしたおばさんがひとり。胸元には片腕に抱え込んだ大量の印刷物。おれは足を止めて話を聴くことに。が、これが間違いだった。というのもーー
宗教の勧誘だったのだ。
うわ、面倒くさいと思ったよな。
別に信仰心を持つことは悪くはないのだけど、信仰心というのは、自分の人生の脇に置いておくモノであるべきだと思うのだ。いってしまえば、脇差的というか、副次的なこころの支え的なモノでいいのではないかと思うのだ。
だが、往々にして信仰心を人生のメインに据えているヤツというのは面倒くさいことこの上ないモノだ。
信仰心をメインに据える、即ちそれは自分の信ずるモノに盲目的になりがちということだ。
まぁ、とはいえ、おれもこの手の勧誘は初めてではあったけど、落ち着いて対処すれば何とかなると思っていたのだ。そこでーー
「いやぁ、それは申し訳ないけど、うちは真言宗の家系なんでね。勝手にそういうモノを変えることはできませんし、する気もないです」
これは事実だったりする。うちの家系は、じいさんが寺の建立に関わり、かつ世話人も務めていたようなこともあるような真言仏教の家系だ。だから何だってこともないんだけどな。そもそもおれ自身、信仰心もないに等しいし、人をそういったモノに勧誘したことなんか当たり前のようにないしな。ただ寺が家のすぐ近くにあって、小さい頃よく遊びにいってたから何となくそういった文化的背景みたいなモノに抵抗がない、ってそんな感じか。
まぁ、そんな感じで真実千万の話をしたワケだ。そしたら、そのおばさんーー
「そうなんですね! なら、御家族ごとこちらに移って頂くことになりますね!」
ダメだ、話にならねぇ。
何だ、御家族ごと移って頂くって。完全にうちの親族の意向を無視してるじゃない。
「幸せになるためには、うちに入って神様を信ずる必要があるんですよ!」
そうもいわれたけど、信ずるモノを無理矢理ねじ曲げた先に幸せなんてあるのか疑問だったんで、そう訊いてみたのだけど、
「大丈夫です! 信ずる者は救われるのです」
あれ、ワケがわからないぞ。
おれの頭が悪いのか、このおばさんがイカれてるのか、はたまた現実がバグってしまったのかわからないけど、このおばさんのいってることがまったくもってわからない。
てか、信ずる者は救われるって、三流マンガの下らねぇセリフみてぇだな。大体、おれの質問の答えにもなってねぇしな。
まぁ、この時点でまともに相手するのも不可能だと判断しまして、どう逃げようか考えたんだけど、何も疑わずにお国のために戦闘機で突撃できるヤツほど怖いモノはない。
それは信ずる神のために教えの押し売りができるヤツも同様だ。
これには困ってしまいまして。下手なこといったら駅のロータリーのど真ん中で刺されるんじゃねぇか。はたまた「地獄に堕ちるわよ!」とか大声で喚かれるんじゃないかという感じだった。と、そこに、
「あれ、五条さん。何してんすか?」
森ちゃんが現れたのだ。
森ちゃんはこの時点ではまだブラストを辞めておらずーーというか、この時の演出を務めていたのが、実は森ちゃんだったのだ。
「あ! 森ちゃん、助けてくれ!」
「神を信ずるのです!」
「何やってんすか、稽古始まりますよ!」
何か、もはや話の流れすらバグってる感じが満載なのだけど、そんな感じで森ちゃんに半強制的に連れられ、おれは何とか神の御加護から逃げ延びることができたワケだ。ちなみに「地獄へ堕ちますよ」とはいわれなかった。
まぁ、しかし、アレだよな。信仰の対象なんて個人の自由というかな。少なくとも信仰を人に押しつけるのは違うよな。まぁ、盲目的に何かを信仰するヤツは何においても害悪でしかないんだけど。ひとついえるのはーー
信ずる者も救われないヤツは救われないのだろうな、ということだ。狂信者ということばもあるけど、人間、信ずる心も程々ぐらいがちょうどいいのかもしれない。
アスタラ。
こればかりはいうまでもないというか、人間は基本的に自分の信じたいモノにこそ意識をフォーカスし、それがあたかも真実、真理であるかのように思いたがる生き物だ。
それもそのはず、自分にとって都合の悪いモノを直視したがる人はそう多くはない。むしろ、そういったモノから目を逸らしがちだ。
出会いがないといっているのは、単にソイツに勇気がないだけか、こころの奥底にトラウマを抱えているか、単純に性格が悪くて周りに嫌われているかだ。自分では出来ているはずと思ったというのは、自分が出来ていないという現実から目を逸らしたいから。そういうことだ。
さて、かくいうおれはというと、やはりそういった都合の悪い現実から目を逸らしがちだ。
やはり、自分としても見たくないモノは見たくないし、臭いモノには蓋したくなる。
だけど、そういうワケにもいかないからこそ直視せざるを得ず、仕方なしに都合の悪い現実を見ざるを得なくなってしまう。
確かに都合の悪いことを無視するのは良くないし、そうしたくなるのも仕方がない。だが、現実を見ないことには、先には進めない。
とはいえ、パニックを発症した時ばかりは、おれも現実から目を逸らし続けた。あんなゴミのような症状など、すべてウソであるべきだと思ったし、なったとも認めたくなかったしな。
だが、結局認めざるを得なくて、その結果、今こうなっているワケだ。
だが、中には辛い現実を直視できず、それを忘れさせてくれる何かにすがろうとする人だっているワケで、その対象は、酒だったり、ギャンブルだったりと様々だ。
ちなみにおれの場合は映画と小説とロックンロールだった。それらに出てくるヒーローたちのスタンスやスタイル、ルールを盲目的に崇め、辛い現実から目を逸らし続けた。
まぁ、現在、シナリオを書いたり、芝居をやっている身としては、これも無駄ではなかったと思うけども。
こういった自分が信じたいモノを信ずるというスタンスは、端から見たら馬鹿馬鹿しく思えても、とはいえ、本人にとっては何よりもの救い、意義のあるモノかもしれないのだ。
だが、それを無理に人に押しつけたりしてはいけない。人はみな大小千万、各々が自分のイデオロギーを持っている。何かを信ずるという行為はそういったイデオロギーに基づいていることが殆どで。それはつまりーー
信ずる何かを無理に相手に押しつけることは、相手のイデオロギーを侵害することにもなりかねないということだ。
まぁ、人に何かを押しつけるというのは何事においてもよろしくないんだけどな。
さて、今日はそんな話。と、その前にひとつ昨日の補足をしておくと、遠征芝居篇が終わったんで予定通りソープオペラ形式のシナリオを書き始めたということで。
今までおれが話してきた内容と地味にリンクしてるんで、誤解した人がいたらイヤなんでーーえ、んなワケない? ならいいんだけど。
それじゃ、やってくーー
あれは三年前のことだ。その日は週末、おれはちょうど夕暮れ時の五村市駅にいた。
というのも、それまでは半分抗議的に、半分は嫌気が差して距離を取っていた『ブラスト』の次回公演に出ることとなっていたのだ。
普段なら稽古日にそんな感じで駅前を彷徨くということもないのだけど、この日は稽古場が昼間と夕方で異なっており、この時間はちょうど昼間の稽古と夕方の稽古の中間で、おれはひとりで駅前イーストサイドのカレー屋で空腹を満たしていたのだ。
何でひとりだったかって?ーー友達がいないから。とまぁ、それはジョークとしても、何でひとりでメシを食ってたのかは覚えていない。多分、何かしらの事情があったんだと思う。これが都合の悪い現実から目を逸らすってことですよ、みなさん。それはさておきーー
気づけば夕方の稽古開始時間の十分前となっていた。そんなこともあって、おれはイーストサイドから稽古場である五村市民センターのあるウエストサイドへと移動したのだ。
時間は余裕。おれは馴染みの駅をいつも通り大手を振って歩いていた。と、そこでーー
「あのぉ、ちょっとすいません」
と声を掛けられたのだ。何だろうと思い振り返ると、そこにはみすぼらしい格好をしたおばさんがひとり。胸元には片腕に抱え込んだ大量の印刷物。おれは足を止めて話を聴くことに。が、これが間違いだった。というのもーー
宗教の勧誘だったのだ。
うわ、面倒くさいと思ったよな。
別に信仰心を持つことは悪くはないのだけど、信仰心というのは、自分の人生の脇に置いておくモノであるべきだと思うのだ。いってしまえば、脇差的というか、副次的なこころの支え的なモノでいいのではないかと思うのだ。
だが、往々にして信仰心を人生のメインに据えているヤツというのは面倒くさいことこの上ないモノだ。
信仰心をメインに据える、即ちそれは自分の信ずるモノに盲目的になりがちということだ。
まぁ、とはいえ、おれもこの手の勧誘は初めてではあったけど、落ち着いて対処すれば何とかなると思っていたのだ。そこでーー
「いやぁ、それは申し訳ないけど、うちは真言宗の家系なんでね。勝手にそういうモノを変えることはできませんし、する気もないです」
これは事実だったりする。うちの家系は、じいさんが寺の建立に関わり、かつ世話人も務めていたようなこともあるような真言仏教の家系だ。だから何だってこともないんだけどな。そもそもおれ自身、信仰心もないに等しいし、人をそういったモノに勧誘したことなんか当たり前のようにないしな。ただ寺が家のすぐ近くにあって、小さい頃よく遊びにいってたから何となくそういった文化的背景みたいなモノに抵抗がない、ってそんな感じか。
まぁ、そんな感じで真実千万の話をしたワケだ。そしたら、そのおばさんーー
「そうなんですね! なら、御家族ごとこちらに移って頂くことになりますね!」
ダメだ、話にならねぇ。
何だ、御家族ごと移って頂くって。完全にうちの親族の意向を無視してるじゃない。
「幸せになるためには、うちに入って神様を信ずる必要があるんですよ!」
そうもいわれたけど、信ずるモノを無理矢理ねじ曲げた先に幸せなんてあるのか疑問だったんで、そう訊いてみたのだけど、
「大丈夫です! 信ずる者は救われるのです」
あれ、ワケがわからないぞ。
おれの頭が悪いのか、このおばさんがイカれてるのか、はたまた現実がバグってしまったのかわからないけど、このおばさんのいってることがまったくもってわからない。
てか、信ずる者は救われるって、三流マンガの下らねぇセリフみてぇだな。大体、おれの質問の答えにもなってねぇしな。
まぁ、この時点でまともに相手するのも不可能だと判断しまして、どう逃げようか考えたんだけど、何も疑わずにお国のために戦闘機で突撃できるヤツほど怖いモノはない。
それは信ずる神のために教えの押し売りができるヤツも同様だ。
これには困ってしまいまして。下手なこといったら駅のロータリーのど真ん中で刺されるんじゃねぇか。はたまた「地獄に堕ちるわよ!」とか大声で喚かれるんじゃないかという感じだった。と、そこに、
「あれ、五条さん。何してんすか?」
森ちゃんが現れたのだ。
森ちゃんはこの時点ではまだブラストを辞めておらずーーというか、この時の演出を務めていたのが、実は森ちゃんだったのだ。
「あ! 森ちゃん、助けてくれ!」
「神を信ずるのです!」
「何やってんすか、稽古始まりますよ!」
何か、もはや話の流れすらバグってる感じが満載なのだけど、そんな感じで森ちゃんに半強制的に連れられ、おれは何とか神の御加護から逃げ延びることができたワケだ。ちなみに「地獄へ堕ちますよ」とはいわれなかった。
まぁ、しかし、アレだよな。信仰の対象なんて個人の自由というかな。少なくとも信仰を人に押しつけるのは違うよな。まぁ、盲目的に何かを信仰するヤツは何においても害悪でしかないんだけど。ひとついえるのはーー
信ずる者も救われないヤツは救われないのだろうな、ということだ。狂信者ということばもあるけど、人間、信ずる心も程々ぐらいがちょうどいいのかもしれない。
アスタラ。