【明日、白夜になる前に~捌~】
文字数 2,474文字
ぼくは今、江田市にある公園のベンチに座ってひとり目を血走らせながら震えている。
周りには幸せそうな顔、顔、顔。平日とはいえ、夕方ともなると手を繋いだ制服姿の学生カップルや私服姿の男女も少なくはない。そんな中で血の気の引いた、深刻そうな顔をしたヤツというのはぼくひとりだけ。
まるで晒し者にされているような気分。だが、周りはぼくのことになんか目を留めることもなく自分達のことに夢中になっている。
そう、ぼくは別に晒し者にはされていない。ただ、ぼく自身にそう思わせてしまうような激しい緊張が、全身の血が沸騰するようにじわじわと込み上げて来るのだ。
落ち着かない。にわかに吐き気がする。突然吐いてしまったらどうしようという恐怖感がぼくの中で不敵な笑みを浮かべている。
それより、大丈夫だろうか。久しぶりの経験に、不安が血流を通って全身に浸透していく。
心臓の鼓動が高まっていく。
スマホを取り出し確認する。いくつかのメッセージが入っていたが、それも確認してみると企業からの宣伝メッセージやニュースだったりで、拍子抜けもいいところ。逆に緊張と不安を煽られて、イヤな気分になる。
堀内からのメッセージを再度確認する。一般的な常識の通用しない破天荒な男ではあるが、これまで汗ひとつ掻かない涼しい表情であらゆる困難をあしらってきた男だ。何かしらの参考になるはずーー
「まぁ、取り敢えずは適当に話せばいいんじゃない? 仕事のことからプライベートのことまでさ。お前、そういう話得意だろ」
うーん、参考にならない。大体なんだって人を呼び出してまで仕事の話などしなければならないのだ。相手だってまずイヤがるだろう。それにプライベートのことなんて、そんな知りたがることなのだろうか。
もう何人か友人のメッセージを読み直してみる。三十過ぎて童貞のヤツから二十代の半ばで結婚したヤツまで、とサンプルはそれなり。が、みんないうことを大まかに要約すると、
「相手と楽しく話して仲良くなること」
が何よりも大事、だということだった。いやいや、その楽しく話すことが何よりもハードコアだからこそ訊ねているというのに。
あぁ、ぼくにも芝居をやっている埼玉弁で世を見知ったように話す友人がいれば……。まぁ、そんなヤツ、この現実の何処にも存在しないだろうけど。
逃げ出したい。
唐突にそう思う。いつもそうだった。精神的にキツくなるといつも逃げ出したくなる。というか、これまで精神的なキツさに抵抗したことなどなく、いつだって基本的に逃げてきた。
その結果、困難を避け続け、ナアナアで、周りに流されながら生きて来たワケだ。
自分の意見などいいはしない。いえば角が立って、人間関係もギクシャクし、何かと立場が悪くなる。そうならない為にもぼくは、いつだって霞のように立ち回ってきた。
つまり、いるかいないかもわからないような、毒にも薬にもならない存在というワケだ。
拳をグッと握る。自分の人生を思い返してみて、何ひとつ誇れるモノがないなんて。こんな自分が人から愛されるワケがーー
「お待たせしました!」
ぼくの内耳が天使の声でいっぱいになる。ぼくの頭を覆っていた靄のような負の感情がいっぺんに晴れる。晴れるというより、靄の気をしている余裕がなくなったというべきか。
里村さんーー城南病院の時のような白い天使のような印象とは対照的に、ホットパンツにレギンス、ピチッとしたTシャツという格好。メイクも派手すぎるとはいわないが、就業中の控え目な感じとは裏腹に、アイラインやリップをしっかりと描いている感じ。
「あ、いえ! 全然待っていない、ですよ」
里村さんの問いにぼくはそう答えるが、それは大ウソだった。
恥ずかしい話、この話が纏まってからというもの、何とかして仕事を休む方向に持って行こうと思い、小林さんに、母が事故に遭ったとかいう二秒でバレそうなウソをついたワケだ。小林さんも声色からして何かに気づいていたようだったけど、わかったとひとこといってそのまま穏便に電話を切ってくれた。小林さんには今度、何かお礼をしなければならないだろう。
それから、自分のファッションは大丈夫かと数日前から友人に写真を送りつけまくりアドバイスを仰いだのだが、シンプルにセンスがないとのことなので、貯まりに貯まっていた貯金を崩して、ファッション誌やスマホで得たトレンドのファッションを参考に朝から新しい服を買ってひとりでファッションショーをし、二時間前に約束の場所までやって来て、それからずっと待っていたワケだ。
着替えた服に関しては、今、ぼくの足許にあるボストンバッグの中に財布と共に詰め込んである。夏だったお陰で服の容量も大したこともなかったので本当に助かった。
ふと里村さんがぼくをジッと見る。ぼくの心臓が爆発しそうなほど大きな鼓動を打つ。
「ど、どうしました?」
そう訊ねると里村さんはニッコリと笑い、
「いえ、何だか凄くオシャレだなって思って」
そんな風にいわれるとは思ってもおらず、ぼくは思わず、「ヒェッ!」という情けない声を上げ、照れているのか困惑しているのかわからない曖昧な態度を取るしかなくなってしまう。
そんなことをしていると、里村さんが、
「そんな驚かないで下さいよ! かわいっ」
と笑う。ぼくは完全にパニック状態に陥ってしまい、視線を右に左に泳がせてわかりやすく動揺してしまう。出てくることばといえば、「あ」とか「え」とか、そんな単語ばかり。
「ちょっと、緊張し過ぎじゃないですか? もしかして……」
「い、いえ! いきなりのことだったもので!」ぼくは里村さんのひとことを制するようにいう。「じゃあ、い、行きます!」
本来なら「行きましょうか」という場面で間違って「行きます」とかいってしまうなんて、バカ丸出しだ。自分を責めても責めたりない。里村さんは尚も笑い続け、
「『行きます』って。じゃあ、あたしもご一緒して、いいですか?」
ぼくは顔を真っ赤にしながら、コクりと頷くーー
【続く】
周りには幸せそうな顔、顔、顔。平日とはいえ、夕方ともなると手を繋いだ制服姿の学生カップルや私服姿の男女も少なくはない。そんな中で血の気の引いた、深刻そうな顔をしたヤツというのはぼくひとりだけ。
まるで晒し者にされているような気分。だが、周りはぼくのことになんか目を留めることもなく自分達のことに夢中になっている。
そう、ぼくは別に晒し者にはされていない。ただ、ぼく自身にそう思わせてしまうような激しい緊張が、全身の血が沸騰するようにじわじわと込み上げて来るのだ。
落ち着かない。にわかに吐き気がする。突然吐いてしまったらどうしようという恐怖感がぼくの中で不敵な笑みを浮かべている。
それより、大丈夫だろうか。久しぶりの経験に、不安が血流を通って全身に浸透していく。
心臓の鼓動が高まっていく。
スマホを取り出し確認する。いくつかのメッセージが入っていたが、それも確認してみると企業からの宣伝メッセージやニュースだったりで、拍子抜けもいいところ。逆に緊張と不安を煽られて、イヤな気分になる。
堀内からのメッセージを再度確認する。一般的な常識の通用しない破天荒な男ではあるが、これまで汗ひとつ掻かない涼しい表情であらゆる困難をあしらってきた男だ。何かしらの参考になるはずーー
「まぁ、取り敢えずは適当に話せばいいんじゃない? 仕事のことからプライベートのことまでさ。お前、そういう話得意だろ」
うーん、参考にならない。大体なんだって人を呼び出してまで仕事の話などしなければならないのだ。相手だってまずイヤがるだろう。それにプライベートのことなんて、そんな知りたがることなのだろうか。
もう何人か友人のメッセージを読み直してみる。三十過ぎて童貞のヤツから二十代の半ばで結婚したヤツまで、とサンプルはそれなり。が、みんないうことを大まかに要約すると、
「相手と楽しく話して仲良くなること」
が何よりも大事、だということだった。いやいや、その楽しく話すことが何よりもハードコアだからこそ訊ねているというのに。
あぁ、ぼくにも芝居をやっている埼玉弁で世を見知ったように話す友人がいれば……。まぁ、そんなヤツ、この現実の何処にも存在しないだろうけど。
逃げ出したい。
唐突にそう思う。いつもそうだった。精神的にキツくなるといつも逃げ出したくなる。というか、これまで精神的なキツさに抵抗したことなどなく、いつだって基本的に逃げてきた。
その結果、困難を避け続け、ナアナアで、周りに流されながら生きて来たワケだ。
自分の意見などいいはしない。いえば角が立って、人間関係もギクシャクし、何かと立場が悪くなる。そうならない為にもぼくは、いつだって霞のように立ち回ってきた。
つまり、いるかいないかもわからないような、毒にも薬にもならない存在というワケだ。
拳をグッと握る。自分の人生を思い返してみて、何ひとつ誇れるモノがないなんて。こんな自分が人から愛されるワケがーー
「お待たせしました!」
ぼくの内耳が天使の声でいっぱいになる。ぼくの頭を覆っていた靄のような負の感情がいっぺんに晴れる。晴れるというより、靄の気をしている余裕がなくなったというべきか。
里村さんーー城南病院の時のような白い天使のような印象とは対照的に、ホットパンツにレギンス、ピチッとしたTシャツという格好。メイクも派手すぎるとはいわないが、就業中の控え目な感じとは裏腹に、アイラインやリップをしっかりと描いている感じ。
「あ、いえ! 全然待っていない、ですよ」
里村さんの問いにぼくはそう答えるが、それは大ウソだった。
恥ずかしい話、この話が纏まってからというもの、何とかして仕事を休む方向に持って行こうと思い、小林さんに、母が事故に遭ったとかいう二秒でバレそうなウソをついたワケだ。小林さんも声色からして何かに気づいていたようだったけど、わかったとひとこといってそのまま穏便に電話を切ってくれた。小林さんには今度、何かお礼をしなければならないだろう。
それから、自分のファッションは大丈夫かと数日前から友人に写真を送りつけまくりアドバイスを仰いだのだが、シンプルにセンスがないとのことなので、貯まりに貯まっていた貯金を崩して、ファッション誌やスマホで得たトレンドのファッションを参考に朝から新しい服を買ってひとりでファッションショーをし、二時間前に約束の場所までやって来て、それからずっと待っていたワケだ。
着替えた服に関しては、今、ぼくの足許にあるボストンバッグの中に財布と共に詰め込んである。夏だったお陰で服の容量も大したこともなかったので本当に助かった。
ふと里村さんがぼくをジッと見る。ぼくの心臓が爆発しそうなほど大きな鼓動を打つ。
「ど、どうしました?」
そう訊ねると里村さんはニッコリと笑い、
「いえ、何だか凄くオシャレだなって思って」
そんな風にいわれるとは思ってもおらず、ぼくは思わず、「ヒェッ!」という情けない声を上げ、照れているのか困惑しているのかわからない曖昧な態度を取るしかなくなってしまう。
そんなことをしていると、里村さんが、
「そんな驚かないで下さいよ! かわいっ」
と笑う。ぼくは完全にパニック状態に陥ってしまい、視線を右に左に泳がせてわかりやすく動揺してしまう。出てくることばといえば、「あ」とか「え」とか、そんな単語ばかり。
「ちょっと、緊張し過ぎじゃないですか? もしかして……」
「い、いえ! いきなりのことだったもので!」ぼくは里村さんのひとことを制するようにいう。「じゃあ、い、行きます!」
本来なら「行きましょうか」という場面で間違って「行きます」とかいってしまうなんて、バカ丸出しだ。自分を責めても責めたりない。里村さんは尚も笑い続け、
「『行きます』って。じゃあ、あたしもご一緒して、いいですか?」
ぼくは顔を真っ赤にしながら、コクりと頷くーー
【続く】