【丑寅は静かに嗤う~相対】
文字数 2,278文字
木枯らしが吹く。
枯れ葉は寒さを運び、大地に乾きを与え、砂塵を空へと舞い上がらせる。
寒風吹く中庭に伸びる八本の足、足ーー足。東に伸びる四本は白の足袋に上物の雪駄を履いており、位の高い者だとわかる。
対する西側の四本は素足に無様なワラジを履いており、旅の者だと一目瞭然だ。
素足にワラジの四本の足ーー桃川と犬蔵だ。そして相対するのは、大鳥家の長男と次男である一真と政である。四人揃って右手には木刀を持っている。一真は木刀を肩で担ぎ、政はやる気満々とばかりに木刀をブンブン振っている。政の対面にいる桃川は刀身部分を人差し指を伸ばした気品のある佇まいをしている。犬蔵はただ木刀を下ろしたまま立ち尽くしている。
「随分と余裕そうだな」一真。
「どうせ、拙者たちにビビって何も出来ぬのでしょうよ」政。
ふたりの挑発的なことばに対して桃川は何もいわない。売りことばに買いことば。いつもならこういった挑発に食って掛かる犬蔵も、今回はうっすらとした笑みを浮かべて、
「イキるなよクソガキ。どうせお父上のキンタマのもとでしか偉そうに出来ない雑魚なんだ。化けの皮が剥がれる前に大人しくしておいたほうが身のためだぜ」
「あ?」一真が目を剥く。「貴様、何処の誰に向かって口を利いておるかわかってるか?」
「七光りに守られてブクブク太ったバカと、背丈ばかりは立派になったマヌケだよ」
まだ戦いの火蓋は切られていないというのに、一真は犬蔵に飛び掛かって行こうとする。だが、それを見た政が一真を制止し、
「兄上、マズイぞ。父上が見ている」
が、その場には大鳥平兵衛の姿はないーー牛野の姿も。一真は制止する政の腕を振り払う。だが、犬蔵に向かって行こうとはせずに、
「ふん、どうせすぐに倒してしまうのだ。問題はそちらの浪人ただひとり。おい、さっさと始めんか」
と対決の仲裁役を勤める肥満気味の中年侍にいう。侍はハッとした様子で大鳥兄弟と桃川、猿田のふたりの間に割って入り、
「で、では、準備は、よ、よろしいですかな」
「良いといっているだろう!」
怒りに任せて怒鳴り散らす一真。中年侍は、
「ですがーー」桃川、犬蔵のほうを見、「準備はよろしい、ですかな?」
ふたりに気を掛けると、一真は「そんなヤツラはどうでもいい!」と怒号を上げたが、政がそれを止め、桃川と犬蔵も始めて問題ないと頷いて見せる。
「で、では、はじめーー」
中年侍の煮え切らない掛け声とともに勝負の火蓋は切り落とされる。素早く正眼に構えようとする大鳥兄弟。桃川は川が流れるようにゆっくりと正眼に構えーーだが、
犬蔵が声を上げて突撃する。
相手は対面にいる兄貴の一真だ。一真はまだ木刀を構えきらぬ内に突撃して来た犬蔵に対して肩を震わせて反応する。その表情には一瞬にして恐れが浮かぶ。
桃川はそれを見て口許を緩める。政は突然のことに茫然自失となり、ただ一真と犬蔵のやり取りを口を開けたまま眺めている。
袈裟懸けに一真に斬り掛かる犬蔵。一真は犬蔵の攻撃を受けるだけで精一杯だ。だが、犬蔵の攻撃はそれでは終わらない。
右がダメなら左、左がダメなら右、と犬蔵はとてつもない力で右に左に刀を打ち付けていく。一真はそれを下がって受けるしかない。
追い詰められる一真。気づけば、その背には屋敷の塀。一真の顔は恐怖に満ちている。
一真の木刀が真っ二つに折れる。
犬蔵の力が強すぎたのだ。受けて受けて受け続けていた一真の木刀は無様に折れ、その破片が地面に虚しく転がる。
一真に向かって木刀を振り下ろす犬蔵。
目を瞑り悲鳴を上げる一真ーーだが、木刀は一真の額、三寸のところで制止する。
一真は目を開けるとそこには幾ばくか震える木刀の切先がある。一真は情けない声を上げながらへたり込むーー小水を垂れ流しながら。
「これで二対一、どうされますか?」
桃川が政に訊ねると、政は「へ?」と気の抜けた声を出す。政も急なことで呆然とするしかなかったのだろう。木刀を握る手はダランと落ち、もはや戦意は感じられない。
「どうされますか?」
再度そう訊ねる桃川ーーだが、政はことばを労するように口をモゴモゴさせている。
「おれにやらせろよ」振り返った犬蔵が、ふたりのほうへ歩み寄る。「うしろで漏らしてる兄貴と、そのノッポの弟との因縁があるのはこのおれなんだ。やらしてくれないか?」
犬蔵の頼みに対して桃川は、
「わかりました」
とひとこといい、うしろへ引く。犬蔵は政の前に仁王立ちで立ちはだかる。
「さぁ、やろうぜ。掛かってこいよ」
そういう犬蔵は余裕の表情。顔が引きずり、戦意を喪失している政はマヌケな声をあげる。そして身体を震わしながら両膝と両手を地面につけるとーー
「ま、参りました……」
と降参を宣言する。勝負あり。呆然と仲裁役の中年侍がいう。
「か、勝ったのですね……」お卯乃。「犬蔵さん、お勝ちになったのですね!」
声を上げるお卯乃のほうを振り返ると、犬蔵は安堵にも似た笑顔を見せる。
「素晴らしい戦いぶりでした」
桃川が犬蔵に向かっていう。桃川の笑顔には、犬蔵を称えているかのように純真無垢な趣。犬蔵は照れ臭そうに「お、おう……」と受け答えると、「も、戻るか」
とギコチナイものいいで、お卯乃の待つ控えのほうへと戻ろうと桃川に提案する。桃川はコクリと頷き、ふたりして控えに戻ろうとする。
歯ぎしり。一真が目に涙を浮かべて立ち上がる。走り出す。
「兄上?」
そう呼び掛ける政の傍らに置いてある木刀を勢いよく拾い上げると、一真は折れた木刀を捨て、自分に背を向けている犬蔵に突進した。
【続く】
枯れ葉は寒さを運び、大地に乾きを与え、砂塵を空へと舞い上がらせる。
寒風吹く中庭に伸びる八本の足、足ーー足。東に伸びる四本は白の足袋に上物の雪駄を履いており、位の高い者だとわかる。
対する西側の四本は素足に無様なワラジを履いており、旅の者だと一目瞭然だ。
素足にワラジの四本の足ーー桃川と犬蔵だ。そして相対するのは、大鳥家の長男と次男である一真と政である。四人揃って右手には木刀を持っている。一真は木刀を肩で担ぎ、政はやる気満々とばかりに木刀をブンブン振っている。政の対面にいる桃川は刀身部分を人差し指を伸ばした気品のある佇まいをしている。犬蔵はただ木刀を下ろしたまま立ち尽くしている。
「随分と余裕そうだな」一真。
「どうせ、拙者たちにビビって何も出来ぬのでしょうよ」政。
ふたりの挑発的なことばに対して桃川は何もいわない。売りことばに買いことば。いつもならこういった挑発に食って掛かる犬蔵も、今回はうっすらとした笑みを浮かべて、
「イキるなよクソガキ。どうせお父上のキンタマのもとでしか偉そうに出来ない雑魚なんだ。化けの皮が剥がれる前に大人しくしておいたほうが身のためだぜ」
「あ?」一真が目を剥く。「貴様、何処の誰に向かって口を利いておるかわかってるか?」
「七光りに守られてブクブク太ったバカと、背丈ばかりは立派になったマヌケだよ」
まだ戦いの火蓋は切られていないというのに、一真は犬蔵に飛び掛かって行こうとする。だが、それを見た政が一真を制止し、
「兄上、マズイぞ。父上が見ている」
が、その場には大鳥平兵衛の姿はないーー牛野の姿も。一真は制止する政の腕を振り払う。だが、犬蔵に向かって行こうとはせずに、
「ふん、どうせすぐに倒してしまうのだ。問題はそちらの浪人ただひとり。おい、さっさと始めんか」
と対決の仲裁役を勤める肥満気味の中年侍にいう。侍はハッとした様子で大鳥兄弟と桃川、猿田のふたりの間に割って入り、
「で、では、準備は、よ、よろしいですかな」
「良いといっているだろう!」
怒りに任せて怒鳴り散らす一真。中年侍は、
「ですがーー」桃川、犬蔵のほうを見、「準備はよろしい、ですかな?」
ふたりに気を掛けると、一真は「そんなヤツラはどうでもいい!」と怒号を上げたが、政がそれを止め、桃川と犬蔵も始めて問題ないと頷いて見せる。
「で、では、はじめーー」
中年侍の煮え切らない掛け声とともに勝負の火蓋は切り落とされる。素早く正眼に構えようとする大鳥兄弟。桃川は川が流れるようにゆっくりと正眼に構えーーだが、
犬蔵が声を上げて突撃する。
相手は対面にいる兄貴の一真だ。一真はまだ木刀を構えきらぬ内に突撃して来た犬蔵に対して肩を震わせて反応する。その表情には一瞬にして恐れが浮かぶ。
桃川はそれを見て口許を緩める。政は突然のことに茫然自失となり、ただ一真と犬蔵のやり取りを口を開けたまま眺めている。
袈裟懸けに一真に斬り掛かる犬蔵。一真は犬蔵の攻撃を受けるだけで精一杯だ。だが、犬蔵の攻撃はそれでは終わらない。
右がダメなら左、左がダメなら右、と犬蔵はとてつもない力で右に左に刀を打ち付けていく。一真はそれを下がって受けるしかない。
追い詰められる一真。気づけば、その背には屋敷の塀。一真の顔は恐怖に満ちている。
一真の木刀が真っ二つに折れる。
犬蔵の力が強すぎたのだ。受けて受けて受け続けていた一真の木刀は無様に折れ、その破片が地面に虚しく転がる。
一真に向かって木刀を振り下ろす犬蔵。
目を瞑り悲鳴を上げる一真ーーだが、木刀は一真の額、三寸のところで制止する。
一真は目を開けるとそこには幾ばくか震える木刀の切先がある。一真は情けない声を上げながらへたり込むーー小水を垂れ流しながら。
「これで二対一、どうされますか?」
桃川が政に訊ねると、政は「へ?」と気の抜けた声を出す。政も急なことで呆然とするしかなかったのだろう。木刀を握る手はダランと落ち、もはや戦意は感じられない。
「どうされますか?」
再度そう訊ねる桃川ーーだが、政はことばを労するように口をモゴモゴさせている。
「おれにやらせろよ」振り返った犬蔵が、ふたりのほうへ歩み寄る。「うしろで漏らしてる兄貴と、そのノッポの弟との因縁があるのはこのおれなんだ。やらしてくれないか?」
犬蔵の頼みに対して桃川は、
「わかりました」
とひとこといい、うしろへ引く。犬蔵は政の前に仁王立ちで立ちはだかる。
「さぁ、やろうぜ。掛かってこいよ」
そういう犬蔵は余裕の表情。顔が引きずり、戦意を喪失している政はマヌケな声をあげる。そして身体を震わしながら両膝と両手を地面につけるとーー
「ま、参りました……」
と降参を宣言する。勝負あり。呆然と仲裁役の中年侍がいう。
「か、勝ったのですね……」お卯乃。「犬蔵さん、お勝ちになったのですね!」
声を上げるお卯乃のほうを振り返ると、犬蔵は安堵にも似た笑顔を見せる。
「素晴らしい戦いぶりでした」
桃川が犬蔵に向かっていう。桃川の笑顔には、犬蔵を称えているかのように純真無垢な趣。犬蔵は照れ臭そうに「お、おう……」と受け答えると、「も、戻るか」
とギコチナイものいいで、お卯乃の待つ控えのほうへと戻ろうと桃川に提案する。桃川はコクリと頷き、ふたりして控えに戻ろうとする。
歯ぎしり。一真が目に涙を浮かべて立ち上がる。走り出す。
「兄上?」
そう呼び掛ける政の傍らに置いてある木刀を勢いよく拾い上げると、一真は折れた木刀を捨て、自分に背を向けている犬蔵に突進した。
【続く】