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文字数 2,651文字

 鼻の穴にティッシュペーパーを詰めて、ノートパソコンを開いた。一時間ほどネットを調べ、墓の大まかな構造と種類と値段は分かったが、肝心の納骨方法については、どのサイトにも載っていなかった。そりゃそうだ。納骨には埋葬許可証が必要で、許可なくやると墓埋法と言う法律に引っ掛かるらしい。お骨はここを開けてここに仕舞います、なんて書いてある訳がない。
 それでも何とか、ある程度のあたりは付いた。墓場には大きく、霊園墓地と寺院墓地があり、省吾の墓は当然後者だ。和型、洋型、折衷型と自由にオリジナル墓石を選べる霊園墓地と違って、寺院墓地の墓石は和型の仏式だ。省吾の墓は昔からある典型的な作りの物で、よく似たタイプの図面があったからだ。
 左右の花立ての間にある水鉢を掘り込んだ石。見れば見る程、ここが怪しい。この前開けようとした時も、確かこの部分を上に引っ張ろうとしたと思うが、墓石の組み方から考えて、手前に引けば良い気がする。とは言え、そこを動かすためにどのくらいの力が必要なのか、どういう道具が必要なのか、ネットからの情報では想像がつかなかった。
 誰か石材店の息子に知り合いはいなかったか。そう考えたが、考えるだけ無駄だった。普段から、休みの日に遊ぶ友人すら思い浮かばないのだ。パソコンを立ち上げた序でにと、メールソフトを開いて新規受信をチェックする。届いたメールは、全部スパムだ。
 少しでも前向きな事を考えようと転職サイトを見た。デザイナーの募集はいくつかあるが、どれもパッとしない。殆どが販促ツールと言い換えたチラシ制作か、パチンコ台のデザイン。気が滅入る。僕はパソコンをシャットダウンして、鼻の穴のティッシュを抜いた。
 仰向けに寝転んで天井を見ている内に、親の事を考えた。もし親が死んだら、僕は一体どうしたらいいんだろう。先祖代々の墓の場所は分かるが、埋葬許可証をどこで貰えばいいのか。それ以前に、通夜や告別式の準備についても、何も分からない。法事で坊さんが来た記憶があるから仏教なのは間違いないが、自分の家がどこの宗派なのかも、よく分からない。
 思えば僕は親不孝な息子だ。長男の癖に家を出て、高い美大の学費を払って貰ったあげく、盆にも実家に寄り付かない。問題はいつも先送りにして、面倒な事から目を逸らしている駄目な男だ。
 ふとそうしたくなって、僕は実家に電話をかけた。懐かしいイントネーションが僕を癒す。電話に出た母親は、近所の誰と誰と誰が嫁を貰ったと話し、暗に僕の結婚の予定を探っているようだ。申し訳ないが、そんな予定はまるでない。僕は適当に話を合わせ、親父や姉貴や甥っ子の様子を聞いた。切り際に、野菜を食えと言われた。少し涙が出た。

 野菜を食いに外に出た。
 小汚い中華料理屋でレバニラ炒めを食べ、序でに近所の本屋で墓石の資料を探した。結局手ぶらで本屋を出て、アパートに戻ろうとした時、それを見付けた。
 何度も通っている道なのに、今までずっと気付かずにいた。こぢんまりした古い寺。その脇に墓場がある。覗いてみると特に立入り禁止な雰囲気はなく、入るだけなら罪にはならなそうだ。
 存在しそうもない資料を探すより、実際に現物を見た方が早い。墓場には人気がなく、墓石の形も省吾の物と同じ和型の仏式だ。
 僕は目だけを動かして周囲を確認し、墓地に足を踏み入れた。八月も残り僅かになったが、まだまだ残暑は厳しく、墓石の影もくっきりと濃い。
 外から見えにくい奥の角に向かって、自然に、自然に、歩く。
 山内家荒井家黒川家飯塚家福田家境家野口家遠藤家
 遠藤家之墓
「これにしよう……」
 名字が同じという以外は、縁もゆかりもない遠藤家の墓を見付け、僕はもう一度周りを確認した。
 誰もいない。
 手を合わせながら、口の中で呟いた。
「すいません、ちょっとだけ触りますよ」
 遠藤という姓はだらしない人が多いのか、墓石はくすんでいて花立ての水もドロドロに濁っている。この墓の関係者と遭遇する可能性は、かなり低そうだ。万一誰かに見付かっても、名字が同じなら言い訳もし易い。そう考えて少し落ち着くのと同時に、僕は遠藤さんが不憫に思えて来た。
 確かこう言う所にはあれがある筈だ。墓場全体を見渡すと、丁度敷地の真ん中に水場を見付けた。水桶と柄杓も置いてある。
 ギブアンドテイクだ。僕は遠藤家の墓を掃除する事にした。
 直射日光で焼けた墓石に水をかけると何故だか気分がすっとした。たまには田舎の墓にも参りに行こう。そう思った。僕は死んだらどこの墓にはいるのだろうか。東京で結婚して子供や孫が出来たら、こっちに墓を買う事になるのだろうか。もしそうなったら、田舎の墓は遠藤さんの墓のように、煤けてしまうだろうか。
 ブラシがないから完璧とまでは行かないが、濡れて光った墓石は見違えるようになった。
 今度は僕の番だ。
 なるべく自然にしゃがみ込み、手を合わせる。ネットであたりを付けた部分を薄目を開けて観察した。きっとここだ。最初に立花省吾の墓に行った時、持ち上げようとして動かなかった水鉢の間の部分。あの時は暗くて分からなかったが、石の組み方から見て、やはり手前に引くようだ。
「ごめんなさい」
 もう一度強く手を合わせ、遠藤さんに謝った。
「ちょっとだけ引っ張りますよ」
 両手を掛けて、引いた。
 動いた。
 白い骨壺が四つ、横一列に並んでいる。
 四人の遠藤さんが、一斉に僕を見た気がした。
 僕は怖くなり、少しだけ開いた隙間を、すぐに押し込んだ。
 蝉の鳴き声が、大きく感じた。
 僕はまた両手を合わせ、息が続くだけ「すいませんでした」を連呼した。そしてもう一度桶に水を汲み、掌をブラシにして墓を洗った。どこかから紋白蝶が飛んで来て、墓石の上に止まった。自分でも勝手だと思うが、それを見て許された気がした。
 ともあれ、遠藤さんのお陰で構造は分かった。これなら、僕一人でも何とかなりそうだ。面倒な道具も必要ない。指が上手くかからなかった時に備えて、念の為、何か固い篦状のものだけ用意しておけば、まず問題はないだろう。
 立ち上がり、桶に残った水を全てかけた。この事を石田ユイに報告したかったが、やめにする。本番の時、黙って格好良くこれをやりたい。
「その時はよろしくお願いします」
 関係のない遠藤さんに厚かましいお願いをして、僕はその場を立ち去った。寺の境内に名前を知らない白い花が咲いていて、柄にもなく輪廻とかそういう非科学的な事について考えてみたりした。
 用意は、出来た。
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