1 プロローグ
文字数 1,159文字
「似てねえじゃん……」
右隣に並んだナフタリン臭いおばさんの作法を横目で真似して、やり慣れない焼香を終えた僕は、去り際にもう一度遺影の男を振り返り、そう口の中で呟いた。
菊の花に囲まれたモノクロの男は、どちらかと言えば美男ではあるが、これと言って特徴がなく、想像していたよりも幾分地味な感じがした。大きくも小さくもない少し潤んだ目が、流し目気味に正面を見ている。酒を飲んでいるのか、その目は充血していて、焦点がどこにも合っていないようにも見える。緩くウェーブした細い髪はパーマだろうか天然だろうか。高くもなく低くもない鼻の下に、若干薄めの唇。笑っているのに、どこか寂しそうに見えるのは、もしかすると、死ぬ事が分かってから写真を撮ったからだろうか。尤も、最高にハッピーな笑顔でも、遺影になった途端に、物悲しい写真に変わってしまうものなのかも知れないが。
故人の母親だと思しき年配の女性が、声を上げて泣いている。僕の母と同年代に見える彼女の慟哭は正視するに忍びない。田舎のおふくろと比べたら、随分垢抜けた人だが、背の低い所と髪の薄い所にイメージが重なる。時折崩れ落ちそうになる体を、周囲の男が支えている。彼女は息子の特殊な性癖に気付いていただろうか。
彼女を含めた親族に頭を下げて斎場の外に出ると、六月の絡み付くような霧雨が、僕の皮膚に膜を作った。少し遅れて滲み出した汗と纏めてハンカチで拭い取り、ネクタイを少し弛める。
府中市のアパートから京王線と都営線を乗り継いで約一時間。初めて降りた駅。東京の北部、練馬区。遊園地が近くにあるこの街が、彼の生まれた街なのかどうか、僕には分からない。
暗い空を見上げた。
会った事も無い男の葬式に出るのは、妙な気分だ。
周りに知り合いもいないから、死因も分からないまま。僕より二歳年下の彼は、三十年と言う、短い一生をどんな理由で閉じる事になったのだろう。亡くなった時葬儀で泣いてくれる友人が何人いるかで、その人の価値が分かると言うが、若者の少ない閑散とした式場は寂し過ぎた。もし今、僕が死んでも、同じようなものだろうけど。
四日前の水曜日。彼が死んだその日は、偶然にも僕の三十二歳の誕生日だった。会った事もない男の葬式に来たのは、誕生日と忌日が重なった事に、妙な因縁を感じたからだ。
ヨシユキ。
ずっと片仮名でイメージしていた彼の名前は、原田良幸だった。
骨が一本折れて飛び出したボロボロのビニール傘を開きながら、僕は斎場を振り返った。目を閉じて、考える。
「無理だな……」
全裸で僕に跨がるヨシユキを想像して、嫌悪感と罪悪感を同時に抱いた僕は居たたまれなくなり、漏れ聞こえる読経と嗚咽から逃げるように、駅に向かって歩き出した。
故原田良幸儀 葬儀式場
墨文字の看板が、雨で濡れていた。
右隣に並んだナフタリン臭いおばさんの作法を横目で真似して、やり慣れない焼香を終えた僕は、去り際にもう一度遺影の男を振り返り、そう口の中で呟いた。
菊の花に囲まれたモノクロの男は、どちらかと言えば美男ではあるが、これと言って特徴がなく、想像していたよりも幾分地味な感じがした。大きくも小さくもない少し潤んだ目が、流し目気味に正面を見ている。酒を飲んでいるのか、その目は充血していて、焦点がどこにも合っていないようにも見える。緩くウェーブした細い髪はパーマだろうか天然だろうか。高くもなく低くもない鼻の下に、若干薄めの唇。笑っているのに、どこか寂しそうに見えるのは、もしかすると、死ぬ事が分かってから写真を撮ったからだろうか。尤も、最高にハッピーな笑顔でも、遺影になった途端に、物悲しい写真に変わってしまうものなのかも知れないが。
故人の母親だと思しき年配の女性が、声を上げて泣いている。僕の母と同年代に見える彼女の慟哭は正視するに忍びない。田舎のおふくろと比べたら、随分垢抜けた人だが、背の低い所と髪の薄い所にイメージが重なる。時折崩れ落ちそうになる体を、周囲の男が支えている。彼女は息子の特殊な性癖に気付いていただろうか。
彼女を含めた親族に頭を下げて斎場の外に出ると、六月の絡み付くような霧雨が、僕の皮膚に膜を作った。少し遅れて滲み出した汗と纏めてハンカチで拭い取り、ネクタイを少し弛める。
府中市のアパートから京王線と都営線を乗り継いで約一時間。初めて降りた駅。東京の北部、練馬区。遊園地が近くにあるこの街が、彼の生まれた街なのかどうか、僕には分からない。
暗い空を見上げた。
会った事も無い男の葬式に出るのは、妙な気分だ。
周りに知り合いもいないから、死因も分からないまま。僕より二歳年下の彼は、三十年と言う、短い一生をどんな理由で閉じる事になったのだろう。亡くなった時葬儀で泣いてくれる友人が何人いるかで、その人の価値が分かると言うが、若者の少ない閑散とした式場は寂し過ぎた。もし今、僕が死んでも、同じようなものだろうけど。
四日前の水曜日。彼が死んだその日は、偶然にも僕の三十二歳の誕生日だった。会った事もない男の葬式に来たのは、誕生日と忌日が重なった事に、妙な因縁を感じたからだ。
ヨシユキ。
ずっと片仮名でイメージしていた彼の名前は、原田良幸だった。
骨が一本折れて飛び出したボロボロのビニール傘を開きながら、僕は斎場を振り返った。目を閉じて、考える。
「無理だな……」
全裸で僕に跨がるヨシユキを想像して、嫌悪感と罪悪感を同時に抱いた僕は居たたまれなくなり、漏れ聞こえる読経と嗚咽から逃げるように、駅に向かって歩き出した。
故原田良幸儀 葬儀式場
墨文字の看板が、雨で濡れていた。