12
文字数 3,477文字
ユイからの連絡がないまま一週間が過ぎた土曜の朝十時過ぎに、また宅急便が来た。
伝票を見て一瞬息が止まった。差出人は原田淳子。
ヨシユキからだ。
荷物の重さと大きさから、手に取った瞬間にDVDだと直感した。引き千切るように封を破ると、やはりディスクが入っていた。一緒に入っていた便箋には、毛筆の文字が埋まっている。残暑の候、いよいよご健勝の事と……。ざっと斜め読みすると、最後の方にまた〈申し訳ございません〉とある。〈このような失礼なデーブイデーをお納め頂くのは誠に心苦しいのですが、故人の意思……〉
失礼なデーブイデー。
って、何だ?
僕はDVDを手に取った。クリアケースから透けて見える盤面には〈ミチオへ!〉。殴り書きの文字が書かれている。
「呼び捨てかよ……」
嫌な予感がした。前回あった〈本人以外開封禁止〉の封が、今回はない。よく見ると、テープを剥がした糊の跡が、うっすらと残っている。
確信した。ヨシユキの母親は、多分この中身を見ている。そして、その内容は僕に取って失礼なものに違いない。
僕は小走りでビデオラックに近付き、デッキに円盤を呑み込ませた。
息を呑む。
藤の椅子。
ぺたぺたと裸足でフローリングを歩く音がして、ヨシユキの顔がいきなりクローズアップで現れた。
「やった?」
僕は思わず仰け反った。
「やった? やってない? やった?」
僕の目の中をヨシユキが覗く。酒を飲んでいるのか、顔が赤い。
「その顔は……、さては、やってないなあ」
そう言いながら、奴は椅子に座り、脚を組んだ。服装は前回のビデオと全く同じで、シルクのシャツに膝丈のジーンズ。恐らく同じ日にまとめ撮りしたのだろう。
「やってないでしょっ。やってないでしょっ。あんた絶対やってない。やってって言ったじゃんなんでやってないの馬鹿!」
ぞっとした。
奴は完全にいかれている。ヨシユキはヒステリックに口から泡を飛ばし、僕を罵倒した。全く瞬きしない充血した目。百メートルを全力疾走した後のように、肩で息をしている。
ヨシユキに睨み付けられたまま、数分が経った。
狂っている……。
堪らず目を逸らした僕の耳に、能天気な声が響いた。
「なーんちゃって。はは」
人差し指を僕に向けて、ヨシユキが笑っている。
「騙された? びっくりした? はは。でもちゃんとやってくれないとほんとに化けて出るからね。うーらーめしーやー、おーばーけーだーぞー、おばけのおばけのおばけのおばけのおばけのおばけのおばけのおばけのおばけのおばけのおばけのおばけのおばけのおばけのロックンロール」
泣くように笑いながら出鱈目に歌うヨシユキは、痛々しかった。戯けるヨシユキと癇癪を起こすヨシユキ。僕にはその両方が、奴のリアルな精神状態なのだろうと思った。
「おばけのロックンロール おばけのロケンロー おばけのワァォッケンワォール フォーッ」
歌いながらフレームアウトしたヨシユキが録画停止ボタンを押し、映像は唐突に終わった。
失礼なデーブイデー。
ユイの家にも、ビデオは届いているだろうか。
僕は携帯電話を手に逡巡した。
電話をしようか。どうしよう。
うーらーめしーやー、おーばーけーだーぞー
頭の中から、ヨシユキの歌が消えない。
着信履歴から石田ユイの番号を表示させる。やばい、発信ボタンを押してしまいそうだ。
トイレに入り、冷蔵庫からコーラを取り出して飲み、洗濯機に汚れたシャツと下着を放り込み、歯を磨き終わるまで、僕はずっと発信ボタンに親指を乗せていた。
「押しちゃおっかな」
そう呟きながらも絶対にこのボタンを押さない事を僕は知っている。もし彼女が電話に出なかったら……。不在着信履歴に僕の番号が残る事を想像しただけで顔から火が出そうだし、もし彼女が電話に出たら、その瞬間に心臓が爆発してしまうだろう。僕の部屋にあの骨がある以上、待っていれば必ず、電話はかかって来る筈だ。ここは取り敢えず、〈待ち〉だ。
宅急便に早く起こされた序でに、今日はどこかに出掛けよう。二週間前にパチンコで勝った金があるから、たまには服でも買うか。風俗店に行くのも悪くない。ヨシユキを連れてパチンコに行ったら、また勝てるかな。
そんな事を考えながら、ユニットバスの洗面所で鼻毛を切った。先週は危うくユイに鼻毛を見られる所だった。いつ呼び出されても良いように、準備して置かなければならない。僕の所にDVDが届いたと言う事は、彼女の家にも同様の物が届いている可能性が高い。となると電話がかかって来るのは時間の問題だ。
右の鼻毛を切り終え、左の穴に取りかかる。既に食み出している黒々とした一本を成る可く根元から切断しようとして、僕は「うっ」と呻いた。
ハサミの先が、鼻の奥にある鰓のような部分を切った。左の穴から鼻血が流れ、ハサミを持った指先が、赤く濡れた。トイレットペーパーを取ろうとして一旦電話を置いた時、僕は気が付いた。
発信ボタンを押していた。
呼び出し音が鳴っている。心臓が暴れ出し、呼吸が速くなる。喉の奥に鉄の味が広がって行く。このまま出ないで欲しいと思い、同時に、出て欲しいとも思った。七コールまで聞いたら切ろうと決めたが、五コール目の途中で、ユイが出た。
「なに?」
やばい。
不機嫌そうだ。
パニックを起こした脳がストライキに突入し、意識が遠くなって行く。
なに? って、何だっけ……。
僕は何で彼女に電話したのか分からなくなり、無言のまま、だらだらと鼻血をたらした。
そうだ。あれだ。
DVDだ。
血と鼻汁の混じった塩っぱい唾液を呑み込み、何とか言葉を絞り出す。
「あれ来た? DVD」
一間置いて、ユイが言った。
「そっちも来たの?」
「うん。もう……なんか呪われそうだよ……」
やはり、ユイの所にも、あれは届いていたようだ。
「馬鹿じゃないの? でも、まあ、そろそろやんなきゃね」
「うん……。いつやる?」
電話の向こうから、オフィスのノイズが薄く聞こえる。彼女はきっと会社にいるのだろう。自分の間の悪さが嫌になる。僕は首を竦めて、彼女の返事を待った。
「そうね、今週末は予定あるから来週末か、もしかしたら再来週になるかも。あんたみたいに暇じゃないから、時間出来たらこっちから電話するからちょっと待っててよ」
「分かった」
そうと決まったら一刻も早く電話を切りたい。沈黙が恐くて切り出した「じゃ」とユイの「それよりさあ」は、ほぼ同時だった。
「あんた用意は出来てんの?」
「用意? 用意って……、警察に捕まった時とかの?」
彼女の溜息が、僕の鼓膜を震わせる。
「警察って……、そんな事考えてたの? あんたほんと気の小さい男だね。わたしが言ってんのは墓のどこをどうやって開いてどう骨を入れるかちゃんと考えて道具を用意してんのかって事だよ。捕まった時の心の用意しててどうすんだよ。どうなの? ちゃんと考えてあんの?」
「特に……まだ」
「やっぱり。じゃあさあ、この前は途中でやめちゃったけど、あの時やろうって事になってたら、あんたどうやって骨納めようと思ってたわけ?」
「いや、急だったから。特には……」
「馬鹿じゃないの? ちゃんと調べといてよ」
「うん……、ごめん」
彼女の言う通りだ。もし先週やる事になっていたとしても、僕はまた墓石を弄るだけで何も出来なかっただろう。肝試しに来た四人組にも気付かず……、もしユイがいなかったら捕まっていたかも知れない。
僕は自分の無能さに、悲しくなった。
「ま、次でちゃんとやってくれればいいけど。あ、そうだ、あんた友達とかいないの?」
「そんなにいないけど……なんで?」
耳の穴に舌打ちの音が響いた。
「いるのかいないのかどっち」
「い……ないよ」
「やっぱりな。もっと男手がいるといいんだけど。墓石持ち上げる時とか、見張り役とかさ。ま、友達いないんじゃしょうがないか」
「そっちは……友達とか……彼氏とか……いないの?」
どさくさ紛れに、僕は聞いていた。
沈黙に背筋が凍った。自分のどこに、こんな事を聞く勇気があったのだろう。きつく目を閉じ、返事を待つ。
「いねえよ。悪かったな」
「すいません、うわっ」
目を開けて悲鳴を上げた。足指が妙にぬるぬるしていると思ったら、血塗れだった。鼻の穴から垂れた血が、次々と足元で爆ぜている。
「どしたの?」
「ごめんちょっと鼻血出てて」
「またエロビデオでも観てたんじゃないの? ま、どうでもいいけど。用意よろしく。じゃあね」
切れた携帯を耳に当てたまま、僕は洗面台の鏡を見た。おばけのロックンロール。
伝票を見て一瞬息が止まった。差出人は原田淳子。
ヨシユキからだ。
荷物の重さと大きさから、手に取った瞬間にDVDだと直感した。引き千切るように封を破ると、やはりディスクが入っていた。一緒に入っていた便箋には、毛筆の文字が埋まっている。残暑の候、いよいよご健勝の事と……。ざっと斜め読みすると、最後の方にまた〈申し訳ございません〉とある。〈このような失礼なデーブイデーをお納め頂くのは誠に心苦しいのですが、故人の意思……〉
失礼なデーブイデー。
って、何だ?
僕はDVDを手に取った。クリアケースから透けて見える盤面には〈ミチオへ!〉。殴り書きの文字が書かれている。
「呼び捨てかよ……」
嫌な予感がした。前回あった〈本人以外開封禁止〉の封が、今回はない。よく見ると、テープを剥がした糊の跡が、うっすらと残っている。
確信した。ヨシユキの母親は、多分この中身を見ている。そして、その内容は僕に取って失礼なものに違いない。
僕は小走りでビデオラックに近付き、デッキに円盤を呑み込ませた。
息を呑む。
藤の椅子。
ぺたぺたと裸足でフローリングを歩く音がして、ヨシユキの顔がいきなりクローズアップで現れた。
「やった?」
僕は思わず仰け反った。
「やった? やってない? やった?」
僕の目の中をヨシユキが覗く。酒を飲んでいるのか、顔が赤い。
「その顔は……、さては、やってないなあ」
そう言いながら、奴は椅子に座り、脚を組んだ。服装は前回のビデオと全く同じで、シルクのシャツに膝丈のジーンズ。恐らく同じ日にまとめ撮りしたのだろう。
「やってないでしょっ。やってないでしょっ。あんた絶対やってない。やってって言ったじゃんなんでやってないの馬鹿!」
ぞっとした。
奴は完全にいかれている。ヨシユキはヒステリックに口から泡を飛ばし、僕を罵倒した。全く瞬きしない充血した目。百メートルを全力疾走した後のように、肩で息をしている。
ヨシユキに睨み付けられたまま、数分が経った。
狂っている……。
堪らず目を逸らした僕の耳に、能天気な声が響いた。
「なーんちゃって。はは」
人差し指を僕に向けて、ヨシユキが笑っている。
「騙された? びっくりした? はは。でもちゃんとやってくれないとほんとに化けて出るからね。うーらーめしーやー、おーばーけーだーぞー、おばけのおばけのおばけのおばけのおばけのおばけのおばけのおばけのおばけのおばけのおばけのおばけのおばけのおばけのロックンロール」
泣くように笑いながら出鱈目に歌うヨシユキは、痛々しかった。戯けるヨシユキと癇癪を起こすヨシユキ。僕にはその両方が、奴のリアルな精神状態なのだろうと思った。
「おばけのロックンロール おばけのロケンロー おばけのワァォッケンワォール フォーッ」
歌いながらフレームアウトしたヨシユキが録画停止ボタンを押し、映像は唐突に終わった。
失礼なデーブイデー。
ユイの家にも、ビデオは届いているだろうか。
僕は携帯電話を手に逡巡した。
電話をしようか。どうしよう。
うーらーめしーやー、おーばーけーだーぞー
頭の中から、ヨシユキの歌が消えない。
着信履歴から石田ユイの番号を表示させる。やばい、発信ボタンを押してしまいそうだ。
トイレに入り、冷蔵庫からコーラを取り出して飲み、洗濯機に汚れたシャツと下着を放り込み、歯を磨き終わるまで、僕はずっと発信ボタンに親指を乗せていた。
「押しちゃおっかな」
そう呟きながらも絶対にこのボタンを押さない事を僕は知っている。もし彼女が電話に出なかったら……。不在着信履歴に僕の番号が残る事を想像しただけで顔から火が出そうだし、もし彼女が電話に出たら、その瞬間に心臓が爆発してしまうだろう。僕の部屋にあの骨がある以上、待っていれば必ず、電話はかかって来る筈だ。ここは取り敢えず、〈待ち〉だ。
宅急便に早く起こされた序でに、今日はどこかに出掛けよう。二週間前にパチンコで勝った金があるから、たまには服でも買うか。風俗店に行くのも悪くない。ヨシユキを連れてパチンコに行ったら、また勝てるかな。
そんな事を考えながら、ユニットバスの洗面所で鼻毛を切った。先週は危うくユイに鼻毛を見られる所だった。いつ呼び出されても良いように、準備して置かなければならない。僕の所にDVDが届いたと言う事は、彼女の家にも同様の物が届いている可能性が高い。となると電話がかかって来るのは時間の問題だ。
右の鼻毛を切り終え、左の穴に取りかかる。既に食み出している黒々とした一本を成る可く根元から切断しようとして、僕は「うっ」と呻いた。
ハサミの先が、鼻の奥にある鰓のような部分を切った。左の穴から鼻血が流れ、ハサミを持った指先が、赤く濡れた。トイレットペーパーを取ろうとして一旦電話を置いた時、僕は気が付いた。
発信ボタンを押していた。
呼び出し音が鳴っている。心臓が暴れ出し、呼吸が速くなる。喉の奥に鉄の味が広がって行く。このまま出ないで欲しいと思い、同時に、出て欲しいとも思った。七コールまで聞いたら切ろうと決めたが、五コール目の途中で、ユイが出た。
「なに?」
やばい。
不機嫌そうだ。
パニックを起こした脳がストライキに突入し、意識が遠くなって行く。
なに? って、何だっけ……。
僕は何で彼女に電話したのか分からなくなり、無言のまま、だらだらと鼻血をたらした。
そうだ。あれだ。
DVDだ。
血と鼻汁の混じった塩っぱい唾液を呑み込み、何とか言葉を絞り出す。
「あれ来た? DVD」
一間置いて、ユイが言った。
「そっちも来たの?」
「うん。もう……なんか呪われそうだよ……」
やはり、ユイの所にも、あれは届いていたようだ。
「馬鹿じゃないの? でも、まあ、そろそろやんなきゃね」
「うん……。いつやる?」
電話の向こうから、オフィスのノイズが薄く聞こえる。彼女はきっと会社にいるのだろう。自分の間の悪さが嫌になる。僕は首を竦めて、彼女の返事を待った。
「そうね、今週末は予定あるから来週末か、もしかしたら再来週になるかも。あんたみたいに暇じゃないから、時間出来たらこっちから電話するからちょっと待っててよ」
「分かった」
そうと決まったら一刻も早く電話を切りたい。沈黙が恐くて切り出した「じゃ」とユイの「それよりさあ」は、ほぼ同時だった。
「あんた用意は出来てんの?」
「用意? 用意って……、警察に捕まった時とかの?」
彼女の溜息が、僕の鼓膜を震わせる。
「警察って……、そんな事考えてたの? あんたほんと気の小さい男だね。わたしが言ってんのは墓のどこをどうやって開いてどう骨を入れるかちゃんと考えて道具を用意してんのかって事だよ。捕まった時の心の用意しててどうすんだよ。どうなの? ちゃんと考えてあんの?」
「特に……まだ」
「やっぱり。じゃあさあ、この前は途中でやめちゃったけど、あの時やろうって事になってたら、あんたどうやって骨納めようと思ってたわけ?」
「いや、急だったから。特には……」
「馬鹿じゃないの? ちゃんと調べといてよ」
「うん……、ごめん」
彼女の言う通りだ。もし先週やる事になっていたとしても、僕はまた墓石を弄るだけで何も出来なかっただろう。肝試しに来た四人組にも気付かず……、もしユイがいなかったら捕まっていたかも知れない。
僕は自分の無能さに、悲しくなった。
「ま、次でちゃんとやってくれればいいけど。あ、そうだ、あんた友達とかいないの?」
「そんなにいないけど……なんで?」
耳の穴に舌打ちの音が響いた。
「いるのかいないのかどっち」
「い……ないよ」
「やっぱりな。もっと男手がいるといいんだけど。墓石持ち上げる時とか、見張り役とかさ。ま、友達いないんじゃしょうがないか」
「そっちは……友達とか……彼氏とか……いないの?」
どさくさ紛れに、僕は聞いていた。
沈黙に背筋が凍った。自分のどこに、こんな事を聞く勇気があったのだろう。きつく目を閉じ、返事を待つ。
「いねえよ。悪かったな」
「すいません、うわっ」
目を開けて悲鳴を上げた。足指が妙にぬるぬるしていると思ったら、血塗れだった。鼻の穴から垂れた血が、次々と足元で爆ぜている。
「どしたの?」
「ごめんちょっと鼻血出てて」
「またエロビデオでも観てたんじゃないの? ま、どうでもいいけど。用意よろしく。じゃあね」
切れた携帯を耳に当てたまま、僕は洗面台の鏡を見た。おばけのロックンロール。