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文字数 1,122文字

 また六月が来て、僕は三十三歳になった。
 二度と来る事はないと思っていた省吾の墓の前にいるのは、ヨシユキに報告があったからだ。僕の誕生日。ヨシユキの命日。省吾の命日ではないから、墓の上には花も蝋燭もない。
 家を出る時には降っていた梅雨の雨が、いつの間にか上がっている。そう言えば今は、一年で最も紫外線が強い時期だ。
 僕はまずリュックサックの中からブラシを出し、墓石を奇麗に磨き上げた。濡れた表面が、強い日差しを受けてすぐに乾いて行く。
 花立てに、三郷の駅前で買って来た切り花を挿しながら、僕は言った。
「ちょっとだけましな会社に受かったよ」
 僕は三度目の面接で、小さなデザイン会社に再就職した。大手の広告代理店と取引があるその会社は、給料も安く、睡眠時間も激減したが、クライアントのバリエーションも多く、やりがいもある。まだ大した事はやらせてもらっていないが、デザイナーの一人として関わった雑誌広告が、今週発売の週刊誌にも載った。たががそんな事ぐらいで喜んでいたら、同僚には笑われてしまいそうだが、ヨシユキになら自慢して良い気がした。そしてきっと、喜んでくれると思った。
「お前のおかげって訳じゃないけどね」
 蝋燭に火を点け、線香を焚く。僕はしゃがんで、水鉢の下の家紋を見た。ふと、あの時の事を思い出す。
 ジャスミンはあの後二回、テレビで見た。彼は外人専門のエキストラ事務所を経営していて、自分自身も名物社長としてメディアに露出するようになっていた。独特のオカマキャラが、最近話題になっているようだ。
「知ってた?」
 答えの代わりに、蝋燭の火が揺れた。
 手を合わせ、目を閉じた。厚かましいとは思いつつも、せっかく来たから、一つだけお願いする事にした。
 仕事が上手く行きますように。
 一度目を開けて、また閉じた。
 ごめん、もう一つ。
 そろそろ彼女が出来ますように。
 立ち上がり、大きく息を吸った。何故だか分からないけど、僕はいつもお祈りの時、息を止めてしまう。
「じゃ、またな。お願いばっかししてごめん。そんなに気にしなくていいからな」
 僕は笑って手を振った。リュックサックを背負って、出口に向かう。
 柔らかい風が吹いて、僕の髪を撫でた。僕にはそれが、ヨシユキの挨拶に思えた。石段を下りて、もう一度墓地を振り返る。その墓だけが、スポットライトを当てたように輝いて見える。
「さ、行くか」
 正面を向き直った僕の目の前に、ユイが立っていた。
「ひさびさ。元気?」
 そう言って小さく笑うユイの髪が、風に靡いている。
「うん。元気だよ、そっちは?」
「まあまあかな」
 僕は上手く笑えているだろうか。そう考えた時、一斉に卒塔婆が鳴った。僕はその音を、拍手のようだと思った。
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