15
文字数 1,823文字
最初に会った日にユイと入ったファミレスで、僕たち三人はお茶を飲んだ。ヨシユキとの思い出話に花を咲かせるユイとジャスミンは、時折懐かしそうに笑い、聞き役に徹した僕は二人を取り巻く風景の一部になった。楽しそうに話していても、二人はどこか寂し気だった。
横に置いたリュックの中に、もう骨は入っていない。終わってみれば、あっけないものだ。もしまたヨシユキからDVDが届いても、落ち着いて中身を観られるだろう。明日からはまた、今まで通りの日常が始まり、ユイと合う事もきっとなくなる。
たいした事をした訳ではないのに、一区切りが付いた気がした。
人生はあっという間で、不平ばかり言って何もしない内に、僕はもう三十過ぎのおっさんだ。NIKEや高級外車の広告は無理かもしれないが、もう少しだけ、クリエイティブな職場を探す。それが無理でも腐らずに、今の仕事を頑張ろう。ぼんやりと二人を見ながら、そう思った。いつかの太ったウェイトレスが通路を通り、僕はアイスコーヒーのお代わりを注文した。
明日から、頑張ろう。
ジャスミンの黒いジャガーで、僕とユイは駅まで送って貰った。高速で横浜に向かうと言うジャスミンは日本人のように手を合わせ、近場の駅までしか送れなかった事を詫びた。
去って行く高級車を見送り、「終わった」と呟いた。最後に彼女と話したかったが、何を言ったら良いのか分からなかった。背中を少し丸めた彼女が、寂し気に見えた。
石田ユイが、歩き出す。
去って行く彼女に、「ありがとう」と言った。彼女に何かを貰った訳でもないし、優しくして貰った訳でもないのに、ありがとうは変だと思ったが、僕には別の言葉が思い浮かばなかった。
石田ユイは振り向かずに、右手を上げ、改札の向こうに歩いて行った。振り返って「連絡するから」と笑う彼女を想像したけれど、ユイは僕の視界から消えるまで、一度もこっちを見なかった。
大きく息を吸って、吐き出す。
よしっ。
駅前の本屋で転職情報誌を買った。
歩いているうちに少し汗ばんだ体から、二人と抱き合った時についた香水の匂いがした。殆どはジャスミンのものだが、体の左半分に、幽かな彼女の匂いを感じた。
切符を買ってエスカレーターに乗った。都合良く上りホームに電車が停まっている。僕は右の列を一段飛ばしで走った。
ぎりぎりアウト。
僕の一メートル手前で、電車の鉄扉は閉まった。恥ずかし紛れに苦笑いをして、ベンチを探す。その時、暗がりにしゃがみ込んで震える、黒い影を見付けた。笑い顔が固まった。
ユイだ。
ユイが、顔を覆って泣いている。
僕はそっと、彼女に近付いた。恐る恐る、声を掛ける。
「だいじょうぶ?」
僕の声を聞いたユイはピクリと体を強張らせた後、僕を見ないで言った。
「何でもないからあっち行ってよ。じゃあね」
どうしていいのか分からなくなった僕は、何も出来ずに立っていた。まるで自分が彼女を泣かせているようで、胸が痛い。
「あんたさあ」不意に、彼女が口を開いた。声が震えている。「もしいつか私が死んだらさあ。あのお墓に……、私の骨も入れてもらっていい?」
最後の方は、嗚咽と混じって聞き取り辛かった。僕は暫く考えて、彼女に言った。
「自殺……自殺じゃなかったら、いいよ……」
「自殺なんかするわけないじゃんっ。あんたってホント馬鹿だね」
ユイはそう言ってよろめきながら立ち上がり、僕に顔を見せた。化粧が落ちてボロボロになった顔が、何故か子供に見えて、僕は自分でも信じられない事をした。
彼女を抱きしめていた。
「馬鹿じゃないの 馬鹿じゃないの 馬鹿じゃないの 馬鹿じゃないの」
一瞬だけ強張った彼女の体は、すぐに力なく凭れかかり、僕の体を濡らした。
通り過ぎる人びとが、好奇の視線を向けて来る。僕のような冴えない男が、長身の美人を抱きしめているからではない。ユイが大声で泣いているからだ。
慟哭だった。
ユイはまるで、三歳の女の子のように、鼻水を垂らし、涎を垂らし、口を真四角に歪め、声を上げて泣いた。
あーん
あーん
悲しいよー
なんで
なんでみんな死んじゃうの
あーん
悲しいよー
僕は彼女の髪を撫でた。僕の腕の中で泣いているのは、神経質なキャリアウーマンではなかった。彼女は、繊細で泣き虫な、ただの女の子だ。
駅ビルで切り取られた夜空を見上げ、ヨシユキと省吾と省吾のお父さんと遠藤さんと全ての神に頼んだ。
彼女がこれ以上、泣きませんように。
横に置いたリュックの中に、もう骨は入っていない。終わってみれば、あっけないものだ。もしまたヨシユキからDVDが届いても、落ち着いて中身を観られるだろう。明日からはまた、今まで通りの日常が始まり、ユイと合う事もきっとなくなる。
たいした事をした訳ではないのに、一区切りが付いた気がした。
人生はあっという間で、不平ばかり言って何もしない内に、僕はもう三十過ぎのおっさんだ。NIKEや高級外車の広告は無理かもしれないが、もう少しだけ、クリエイティブな職場を探す。それが無理でも腐らずに、今の仕事を頑張ろう。ぼんやりと二人を見ながら、そう思った。いつかの太ったウェイトレスが通路を通り、僕はアイスコーヒーのお代わりを注文した。
明日から、頑張ろう。
ジャスミンの黒いジャガーで、僕とユイは駅まで送って貰った。高速で横浜に向かうと言うジャスミンは日本人のように手を合わせ、近場の駅までしか送れなかった事を詫びた。
去って行く高級車を見送り、「終わった」と呟いた。最後に彼女と話したかったが、何を言ったら良いのか分からなかった。背中を少し丸めた彼女が、寂し気に見えた。
石田ユイが、歩き出す。
去って行く彼女に、「ありがとう」と言った。彼女に何かを貰った訳でもないし、優しくして貰った訳でもないのに、ありがとうは変だと思ったが、僕には別の言葉が思い浮かばなかった。
石田ユイは振り向かずに、右手を上げ、改札の向こうに歩いて行った。振り返って「連絡するから」と笑う彼女を想像したけれど、ユイは僕の視界から消えるまで、一度もこっちを見なかった。
大きく息を吸って、吐き出す。
よしっ。
駅前の本屋で転職情報誌を買った。
歩いているうちに少し汗ばんだ体から、二人と抱き合った時についた香水の匂いがした。殆どはジャスミンのものだが、体の左半分に、幽かな彼女の匂いを感じた。
切符を買ってエスカレーターに乗った。都合良く上りホームに電車が停まっている。僕は右の列を一段飛ばしで走った。
ぎりぎりアウト。
僕の一メートル手前で、電車の鉄扉は閉まった。恥ずかし紛れに苦笑いをして、ベンチを探す。その時、暗がりにしゃがみ込んで震える、黒い影を見付けた。笑い顔が固まった。
ユイだ。
ユイが、顔を覆って泣いている。
僕はそっと、彼女に近付いた。恐る恐る、声を掛ける。
「だいじょうぶ?」
僕の声を聞いたユイはピクリと体を強張らせた後、僕を見ないで言った。
「何でもないからあっち行ってよ。じゃあね」
どうしていいのか分からなくなった僕は、何も出来ずに立っていた。まるで自分が彼女を泣かせているようで、胸が痛い。
「あんたさあ」不意に、彼女が口を開いた。声が震えている。「もしいつか私が死んだらさあ。あのお墓に……、私の骨も入れてもらっていい?」
最後の方は、嗚咽と混じって聞き取り辛かった。僕は暫く考えて、彼女に言った。
「自殺……自殺じゃなかったら、いいよ……」
「自殺なんかするわけないじゃんっ。あんたってホント馬鹿だね」
ユイはそう言ってよろめきながら立ち上がり、僕に顔を見せた。化粧が落ちてボロボロになった顔が、何故か子供に見えて、僕は自分でも信じられない事をした。
彼女を抱きしめていた。
「馬鹿じゃないの 馬鹿じゃないの 馬鹿じゃないの 馬鹿じゃないの」
一瞬だけ強張った彼女の体は、すぐに力なく凭れかかり、僕の体を濡らした。
通り過ぎる人びとが、好奇の視線を向けて来る。僕のような冴えない男が、長身の美人を抱きしめているからではない。ユイが大声で泣いているからだ。
慟哭だった。
ユイはまるで、三歳の女の子のように、鼻水を垂らし、涎を垂らし、口を真四角に歪め、声を上げて泣いた。
あーん
あーん
悲しいよー
なんで
なんでみんな死んじゃうの
あーん
悲しいよー
僕は彼女の髪を撫でた。僕の腕の中で泣いているのは、神経質なキャリアウーマンではなかった。彼女は、繊細で泣き虫な、ただの女の子だ。
駅ビルで切り取られた夜空を見上げ、ヨシユキと省吾と省吾のお父さんと遠藤さんと全ての神に頼んだ。
彼女がこれ以上、泣きませんように。