ネリとシュウとルッカ
文字数 1,883文字
書物の運び出しは、うららかな春の晴天に恵まれた。
ネリは荷車を調達していたが、驚いた事にルッカが、テオ叔父から馬車を借りて来てくれた。
シュウは途中でヘバり、バイト筋肉のネリが二倍の荷物を運ぶのを横目で見やりながら、(毎晩スクワットをやろう)と心に誓った。
「長い事、ありがとうございました」
部屋の拭き掃除を終えたネリは、シュウの母親に頭を下げた。
「たった半年で引っ越し先を用意してしまうなんて、おばさん、感心したわ。貴女は本当に誠実な頑張り屋さんね。そういう所、大好きよ」
「そんな……失くしたら二度と戻らないって思ったら、止まっていられなくて」
「貴女はまだ子供なのだから、そんな心配しなくてもいいのに」
「ハルさんがこの街に居た痕跡を失くしたくなかったんです。あのヒトだって何も失いたくなかっただろうから」
「…………」
当たり前なのだが、あの冬の日の下校道からこの娘の背がぐんと伸びている事に、女性は今気付いた。
「では失礼します」
「あ、あのね」
「はい?」
「もしも高等の学校へ行きたい気持ちがあるのなら、相談に乗りたいと思っているの、どうかしら」
「…………」
「施しをしたいんじゃない、返せる時が来たら返してくれればいいの。貴女みたいな女の子が学べる機会を逃すのは、私はとても歯がゆいのよ。そ、それに、その方が社会の為になるじゃない」
「ありがとうございます、とても嬉しいです」
ネリは丁寧に頭を下げた。
「お気持ちだけ頂きます。勉強は何処へ行っても一生続けます。歴史が大好きだから」
「そう、うん、分かった、応援しているわ」
「あと、あの……いえ」
(シュウは大分前から、私がいなくてもルッカがいなくても、発作は起きていないんですよ。だってもう、奪われたくないと抱え込んで息が出来なくなってしまうような、弱い子供じゃないから)
それを言うのは余計だと呑み込んで、淡い栗毛の娘はもう一度お辞儀をして、夕陽に照らされた部屋を出て行った。
夕暮れの街道を行く、書物を満載の馬車。
御者席に並んで座るシュウとルッカ。
「ルッカ、いつの間に馬車まで扱えるようになった?」
「へへん、週末に牧場に通いつめた賜物だね。すっかりテオさんちの息子一家に気に入られて、厩仕事で小銭は稼げるし乗馬は教えて貰えるし、一石二鳥」
「忙しそうだな、大丈夫か? 来月から学校へ通いながらクラブチームの練習生もやるんだろ?」
「だから今の内に目一杯、やんなきゃなんない事をやっとくの。シュウこそ、そろそろ受験体制に入るのに、春と夏の連休に、別荘地で馬術の集中レッスンの予約をしてんだって?」
「そ、それは……いざという時、馬は乗れた方が選択肢が広がるだろ」
「危うくキオに置いて行かれる所だったもんな」
「うるさいな、ルッカこそ、チトに未練タラタラだろ」
「お、俺は友達として」
「怖くて性別も聞けなかったくせに」
「それは・・!」
声が大きくなった二人は、同時に後ろを振り向いて、口に指を当ててシッ――とやった。
この半年間大回転だったネリが、書物の箱に寄り掛かってクゥクゥ寝息を立てている。
「安心したんだな」
「そうだな」
「ちょっと郊外だけれど、破格の一軒家が見付かって良かったな。家の手入れを条件に無料で貸してくれるなんて、どんな巡り合わせだよ」
「あれ? シュウの親父さんが根回ししたんじゃないの?」
「それは無い。ネリの頑張りだよ。図書館で真面目に働いた結果、書物好きのヒト伝手で話を貰えたんだから。だいいち、父には何もしないでくれと強く頼んでいた。でないと対等な友達でいられなくなる」
「…………」
「どのみち僕は、キオみたいに自分を身代わりに差し出すような真似、とても出来ない」
「それ、どうなんだろな。あいつはそこまで自己犠牲な精神を持ってる奴じゃないと、俺は思っていたんだけれど。まさか里が閉じちまうとは、あいつがどこまで覚悟していたのか…… 今更だけど、もうちょっと喋ったりしておけばよかったな」
「うん……」
馬車はポクポクと郊外に入り、ルッカがいつも球を蹴っている河原が見えた。
「ルッカもこんなに早く自分の道を切り開いてくれて、ホッとしているんだ。家ではルッカの蹴球の活躍を一言も話題に出来なかったからさ」
「そうなの?」
「あのヒトたちにルッカが蹴球にガチな事を知られてみろ。絶対に余計なお節介を……いや、だからもう……いいんだ」
シュウは言葉を濁して切った。
ルッカはムスっと前を向いて手綱を握り直した。
何だよ、いつから気付いてたんだよ?
まぁいいや、……良かった。
(これからもこいつと友達でいられる……)
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