ルッカとネリ
文字数 3,449文字
この街の図書館は蔵書の品揃えが誇りで、幅広い利用者に重宝され賑わっている。
しかし人気があるのは表の綺麗な新書コーナーで、奥の古めかしい書物がぎっしり詰まったゾーンは閑散としている。
「あれ、珍しいね、ここで会うなんて」
分厚い本が山積みの台車を押したネリが、書棚に向いていた赤い巻き毛に声を掛ける。
「俺が調べ物してたらおかしい?」
「うん」
「ちぇ」
見付かったのが罰悪い風に、ルッカは手にしていた大きな図鑑を棚に戻して踵を返した。
「ごめん、ごめんってば、邪魔だったらあっち行く」
「いいよ、そっちこそバイト中だろ」
「そんな大した仕事じゃないよ、中等の一年生じゃ正式には雇って貰えないもん」
「貸してみな」
少年は歩を戻して、重そうな書物を高い棚にヒョイヒョイと戻してくれた。
「ありがと。ルッカ、また背が伸びた?」
「そう?」
「蹴球のクラブチームの選考会に通ったって聞いたよ」
「ああ」
「すごいね」
「まだ分かんないよ」
「子供の頃、ミリオンプレイヤーになるのが夢だって言ってたじゃない。目標に向かって着実に積み上げてるんだもん、やっぱりすごいよ」
「ネリこそ、冬休みもずっと潰してバイト?」
「うん、軍資金は幾らでもあった方がいいもの。一日も早く独立して部屋を借りる為に」
「物件、目星は付いてるの?」
「まだ。見て回ってはいるんだけれどね。書物の量がハンパないから、床のしっかりした所を選ばなきゃ」
「今のまま、シュウんちの物置を借りてりゃいいのに」
「いつまでもそういう訳には行かないわよ」
「まぁ、あそこのおばさん、いい顔はしていなかったもんな」
「そうじゃなくてさ、書物は箱に詰めてしまって置かれたら可哀想じゃない。風を通して読んであげなくちゃ」
女子が何でも擬人化するのをルッカは好きじゃなかったが、ネリのこういうのは許せた。
(キオの親父さんも罪な物を残して行ってくれたもんだ)
蒼の里から帰って、ネリが熱を出して寝込み、ルッカはシュウと二人きりで研究発表の準備をする羽目になった。
女子二名はほぼ役に立たず、シュウが異様に熱心なのでルッカも手を抜けず、蹴球の練習もままならない日が続いた。
だからキオが戻って来なくても、「ハウスの居心地がいいんだろ」と、大して話題にしなかった。
研究発表も終わり、ネリが登校出来るようになった日。
さすがにキオはどうしたかと、三人で街外れの牧場へ足を運んだ。
驚いた事に、牧場主は知らぬ若者で、キオたちが住んでいた家が取り壊されようとしていた。
慌てて近隣のテオ叔父を訪ねた。
「ハルの奴、急に差し迫った事情だとかで、着の身着のまま引っ越しちまったんだ。行く前にうちの息子どもに土地と牧場を正式譲渡してくれたから、俺としては文句の付けようはねぇんだが。
キオ? このまま蒼の里の学校に編入するんじゃないか? もともとそんな話はあったし。まぁ親子ともども薄情な奴らだよなぁ」
牧場を継ぐテォ叔父の息子が新婚なので、家を改装するのだという。
ハルの書物は図書館に寄贈されようとしていた。
「わ、私が引き取ります!」
ネリが叫んだ。図書館は引き取るだけ引き取って、古い見栄えの悪い物は処分してしまう事を知っていたからだ。
が、蔵書は部屋一つを埋める程にある。
「うちの空き部屋で預かろう」
シュウが進言して、テオ叔父が馬車を出してくれ、三人でシュウの家に運び込んだ。綺麗な母親はハンケチを鼻に当てて眉間にシワを寄せていた。
ネリは翌日また熱がぶり返したが、今は必死に、書物と共に暮らせる家を目指してバイトしている。
親は説き伏せた……というか、話しても平行線なので勝手に実力行使してやると、ネリは鼻から息を吐く。
そんな事が出来る子だったかと、ルッカは呆れる反面、ある種の尊敬の念も芽生えている。
「ルッカは何を調べていたの?」
「あ、うぅん」
考え事をしていたルッカは引き戻された。
「蒼の里へ入る方法?」
「いやまさか。俺、そこまで未練無いし」
「そう……」
ハルの引っ越しの後、もう一つ大きな事件があった。
蒼の里が、
完全に閉ざされた
というのだ。この情報もテオ叔父からだった。ルッカが、乗馬を習えないかと牧場に交渉に行った時に聞かされた。
「外との接触を完全に断つんだとさ、いきなりだよ。いい取引先だったが、まぁしようがない。こちらには分からない特殊な理屈で生きてる連中だからな、あそこは」
だからルッカのベッドの脇には、まだ渡せずじまいになっている新品のボールがぶら下がっている。
「調べ物、私で分かる事なら手伝うよ」
「うん、調べたい事はあったんだけど……まぁいいや」
「いいの? 後回しにしてたら永遠に知れないままだよって、ハルさんの受け売りだけれど」
「だって……いや、そうだな…… ある植物の名前を思い出したいんだ。教えて貰ったのに、俺、聞き流してて、思い出せないのが喉に引っ掛かった小骨みたいで」
「ああ、あるわよね、そういう事」
ネリは、絵がメインの植物図鑑を何冊か引っ張り出した。
「見たら分かる?」
「それがやっぱりうろ覚えで。調べようと思っても雲を掴むようで、もういいやって」
「他にヒントは?」
「白いツブツブの花」
「白い……」
「湿地に生えてた」
「湿地……」
「漢方薬の材料になるって」
「ふむ……」
「タコの足みたいって思った」
「ああ!」
ネリはポンと手を打って、図鑑の一つを選んでパラパラと捲った。
「これ?」
「あっ、これだ、これこれ!!」
あの日チトが見せてくれた、放射状に広がった白い花。
『サワシオン』と記されている。
そうだ、サワシオンだった、サワシオン!!
名前と一緒に、あの日チトと過ごした時間も取り戻せた気がした。
「ありがと、ネリ、すっきりした」
「良かったわ」
「さすがだね」
「香辛料屋の娘を見くびるんじゃないわよ。漢方薬も一通り勉強するんだから」
「そうなの?」
ルッカはもう一度カラーの細密画を見直した。
ネリも覗き込む。
「『タコの足』って俗称があるの」
「マジか」
「花が終わったら本当にタコの足にしか見えなくなる」
「へえ――っ、へえ――っ」
「凄く強い、不思議植物なの」
「強いの?」
チトは弱いと言っていた。
「他の植物が浸出したらすぐ負けて、芽を出さなくなる」
「うん、そう聞いた」
「でもね、滅びるんじゃなくて、ずっとずっと、土の中で眠っているんだって。種の状態で」
「…………」
「で、他の植物が寿命を終えて、荒れ野になったらまた芽を出すの。そうして土壌を復活させて、役目を終えたらまた眠りに着く」
「…………」
「何だかカッコイイよね、土地の守護神って感じ。ルッカは何処で見たの?」
「…………」
「ルッカ?」
「あ、ああ、ごめん」
「……私、行くね、また私で役に立てそうな事があったら呼んでね」
淡い栗毛の背を向けて、ネリは台車を押して去り掛けた。
先ほどから何度も何度も、ルッカは唾を呑み込んでいる。そして
「ネリ!!」
呼び止めた。大きな決心をして。
「ルッカ、図書館で大声は……」
「ごめん」
困った顔のネリに、ルッカは近寄ったが、前まで来るとそっぽを向いた。
「ルッカ?」
「こんな俺でもシュウは親友だと思ってくれているから。だからこれは独り言。ネリがそこに居るのを知らないで呟いてる」
「……??」
「ごめん、俺ら、ネリに嘘ついてた。本当は、あの日禁忌のパォから出て来たネリたちに、体験した事を全部聞いたんだ」
「!!」
「蒼の長さんは、こんな子供には重すぎる荷物だから、記憶の引き出しに封印してしまいましょうって。陰でこっそり俺らだけに言った」
「…………」
「だけれど長さんは迷ってた。ネリの人生、これからどう進むのかも分からないのに、自分が決めつけてしまっていい物なのかと。
だからネリがこの先、思い出した方がいい状況になった時に伝えてやってくれと、引き出しの鍵を俺とシュウに教えてくれたんだ」
「そ、それ……」
「長さんがネリに術を掛けてる隙に、シュウが俺を引っ張った。『何があっても絶対にネリに伝えるな』と」
ネリは複雑な唇を噛んだ。重荷って言われる程の内容、シュウならそうするんだろう、私の事を思って。でも私の為になるかどうかは、自分で決めたい。
「俺、今から口を滑らせちゃうけれど、聞かないって道もあるよ。追い掛けてまで話さないから」
立ち去るという選択枝など、ネリにはもちろん無かった。ずっと沢山の小骨が喉に引っ掛かっているのだ。
白い霧も、
オレンジの光も、
紫のビイドロみたいな瞳も
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