第1話 熊の頭を一撃で打ち抜いた伝説のマタギ【秋田県】

文字数 2,055文字

鈴木松治(すずき・まつじ、1920-2005)

 マタギとは、東北地方を中心に、古来から伝わる日本独自の手法や様式に従い狩猟を行う人々やその集団を指します。狩りの手法は様々ですが、集団で行なう場合もあれば、単独で行なう猟の形態もあるようです。
 単独行動のマタギとして有名なのは、大正期の北海道で死者8人、負傷者3人の犠牲者を出し日本の獣害史上最悪の事件といわれた三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)を解決した山本兵吉(やまもと・へいきち、1858-1950)がまず思い浮かびます。
 当時の北海道庁警察部の分署長以下、編成された討伐隊は3日間で官民合わせ延べ600人、アイヌ犬10数頭、最も多かった日は延べ270人、鉄砲は60丁に及んだといいます。このなかにマタギは10数人いたようです。しかし、事件は一向に解決しませんでした。
 山本は当初、別の地域にいて事件のことを知りませんでした。銃の腕前は抜群で「天塩国にこの人あり」と定評がある人物でした。ところが酒好きとしても知られ、日頃の借金もあって、銃を質に入れ猟を休んでいたところでした。しかし、事件のことを聞きつけ、後半から討伐に参加します。熊の習性を熟知した山本は、最終日に一人討伐隊から離れ熊の後ろ側にまわり、2発の銃弾で340kgの雄のヒグマを仕留めました。後から確認すると、1発目は心臓近く、2発目は頭部を見事貫通していました。彼が生涯に仕留めた熊は300頭に上るといいます。

「頭撃ちの松」

 今回取り上げる鈴木松治は、全国のマタギから「本家」と慕われ尊敬される秋田県北秋田市阿仁地区の「阿仁(あに)マタギ」のなかでシカリ(頭領)を務めた伝説の人物です。
 ちなみに「阿仁マタギ」が「本家」と言われるゆえんですが、同地区の熟練したマタギたちが「旅マタギ」となって山岳伝いにいろいろな地域を渡り歩くなかで、その技を教えたり、請われて婿養子となりその地に定着したことなどに起因しているようです。
 さて、統率力や指導力に長けていたとされる鈴木松治ですが、一方で狩猟者としての技能はどのようなものだったのでしょうか? まず、熊狩りの際は1日に30~40㎞は当然のように歩いたという基礎体力に驚かされます。そして射撃の腕前ですが、彼には「頭撃ちの松」という異名がありました。これは鈴木の仕留めた熊の多くが一発で頭を打ち抜かれていたことに起因しています。鈴木は「穴熊猟」という形態を得意とし、周囲から「穴にこもった熊を撃たせたら、この人の右に出る者はいない」と評価されていました。
 その「穴熊猟」ですが、私たちが漠然と想像するような「巣穴で冬眠中の熊を見つけて撃つ」といった感じと現実とではかなりかけ離れていたようです。
 実際に関係者の証言に基づき記載された新聞記事があります。その記事には、崖の中腹に掘られた巣穴を見つけた鈴木が、ロープで宙吊りになって接近し、不安定な姿勢のなか、片手で銃の照準を合わせ見事一撃で熊を仕留める様子が描かれています。頭を狙って一発で仕留める理由についても、熊を絶命させるときは苦しませずに行う、という鈴木の哲学があったことが記されています。

『ゴールデンカムイ』でマタギ人気が急上昇

 さて、以前からマタギは映画になったり小説になったりして一定の人気があったわけですが、最近、青少年向けフィクションの世界に舞台を移し、その人気に再び火がついているようです。
 2024年1月に実写版映画も公開された『ゴールデンカムイ』の原作漫画(野田サトル著。集英社)では、本格的な秋田出身の「阿仁マタギ」が登場します。グッズが作られるほどの人気ぶりで、若年層中心に読者の間では空前のマタギブームが訪れているのではないかと想像するほどです。

 いずれにせよ、狩猟の腕一本を武器に、深山幽谷の山岳地帯に分け入り、自然と対峙しながら生きるマタギの姿に、日本人はいつの時代も憧憬の念を抱くようです。(第1話了)


(主な参考資料)
・木村盛武(1994)『慟哭の谷 戦慄のドキュメント 苫前三毛別の人食い羆』共同文化社
・あきた森づくり活動サポートセンター「全国マタギの本家「阿仁又鬼(マタギ)」http://www.forest-akita.jp/data/matagi/matagi.html(閲覧日:2024年4月22日)
・崇高な殺生<第1部 マタギの存在論> ≪上≫シカリの血脈 「苦しませず仕留める」 神の授かりに敬意 YOMIURI ONLINE(読売新聞)秋田版http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/kikaku/044/1.htm
・読者を真正面から受け止め、納得してもらえると信じて描いたラスト――『ゴールデンカムイ』完結、作者が語る制作秘話<前編> YOMIURI ONLINE(読売新聞)https://www.yomiuri.co.jp/culture/subcul/20220519-OYT8T50073/3/

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み