第22話:東日本大震災、メルトダウンと引越

文字数 1,534文字

 12月4日に東北新幹線が新青森まで全線が開通。この年113年間で一番暑い夏となった。2011年が明け、1月20日に中国が2010年の国内総生産「GDP」を発表し、日本を扱き世界第2位へなった。2011年3月11日、東日本大震災で三陸沖震源でマグニチュード9を記録した。大地震と大津波で岩手、宮城、福島3県に壊滅的な被害を与えた。

 この地震で船橋で震度5弱であった。この地震により東日本の広範囲で地盤の液状化現象が観測された。規模が大きかった浦安市では、市面積の85%が液状化する大きな被害を受けた。同じ東京湾の船橋市、千葉市、習志野市、東京都江東区、江戸川区、横浜市金沢区、川崎市のほか河川周辺の香取市、我孫子市などで被害が発生した。この地震による関東地方の揺れは加速度自体はそれほど大きくなかった。

 しかし、長周期地震動が大きく長時間続いたことと大きな余震が多発して、液状化被害が拡大したとの見方もある。住宅等の液状化被害は船橋市全域で発生した。特に湾岸埋立地の湊地区で顕著であり、湊町、日ノ出、栄町で多数の被害が生じ約半数の43%占めた。利島家は昔建てられた木造住宅だったのでこの地震の被害で継続して住むことができなくなった。

 そのため、昔に建てられた長屋形式の木造住宅は浸水、壁の崩壊で完全に破壊され利島はホテル住まいを余儀なくされた。数日後、以前の長屋形式の木造住宅はブルドーザーで跡形もなく壊された。その後、東京電力福島第1原発の炉心冷却システム停止で初の「原子力緊急事態宣言」発令された。3月12日、福島第1原発で爆発が起き多量の放射性物質が拡散し、食品や健康への不安が全国に拡がった。

 東京電力は1~3号機の炉心溶融「メルトダウン」をその後、5月に認めた。そのため、周辺住民の避難が長期化した。3月18日の原子力安全・保安院で福島第一原発事故のレベルを「5」と発表した。そこで、利島岩男は関東地域の全体を見て利便性、将来性、教育環境の良い場所を電車を使って探し始めた。こうして3日後、最終的に慶応大学のある横浜市の日吉の郊外が気に入った。

 そこは日吉駅まで自転車で10分、車で7分、バスで15分で回りには畑が多かった。約3年前の2008年3月末には横浜市営地下鉄グリーンラインができ便利になった。その横浜市営地下鉄グリーンラインの高田駅まで徒歩12分、自転車で3分と便利だった。その農家は敷地が百坪を越え4LDKの母屋と2Kの離れ2Kの隠居部屋のある広い家だった。

その農家を売り主さんと交渉して現状渡し3500万円で買い4月中旬に引っ越した。その後、4LDKの母屋の畳部屋の1室の畳を取り替え、残り3室は全て板張りの洋室に買えた、その他、風呂とキッチンも新しくした。さらに離れと隠居部屋も全て板張りにし、昔のトイレを全て新しい水洗式のトイレに交換した。

 その他、庭も整地して、駐車場も新しくした。その改修工事に1500万円をかけ、こうして5月中に引越しを終えた。横浜市立高田東小学校が家の近くにあり、その隣に日吉台西中学校が建っていた。引越し後、利島完一と利島完二の息子2人が横浜市立高田東小学校に転校した。6月24日、内閣府、東日本大震災被害を福島第一原発の事故を含まず16兆9千億円と試算した。

 7月1日には東日本で電力使用制限令を発動。2011年10月下旬急速な円高となり、一時、75.58円の円の最高値を記録した。その情報を知った利島岩男は父の利島兼倶に連絡した。そして、シティバンクからソニーバンクに移した2千万円を全て米ドルに換えると伝えた。すると、利島岩男2千万円が259740ドルになった。この話を利島岩男の両親にも伝えると同様にした。
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