第17話:競馬と拉致被害者解放

文字数 1,537文字

 そして、競馬新聞を買い、第46回有馬記念の出走馬について調べ始めた。そして、15時頃、パドックに向かい利島岩男が出走馬をじっくりと観察し利島兼倶に4番のマンハッタンカフェと言うと父も同意した。その後、足早に2人は馬券売り場へ向かった。馬券売り場の窓口で馬番4番のマンハッタンカフェの単勝30枚、3千円と複勝30枚、3千円の6千円分ずつ利島岩男と利島兼倶が馬券を購入した。

 その後、観覧席に戻り、少しするとレースが始まった。2コーナーで13頭中7位につけた。3コーナーで8位。4コーナーで10位に落ちた。それを見て利島岩男が唖然として、こりゃ厳しいと覚悟した。すると直線を向くと4番のマンハッタンカフェに鞭が入ると、まるでターボがかかったかのように急加速し始め次々と先行場を追い抜いて行った。

 最後は他の馬とのスピードの差を見せつけて2位に1馬身1/4の差をつけて圧勝した。これには、さすがの利島兼倶もマンハッタンカフェの加速は凄いと驚いた。レースが終わると足早に払戻所へ行き24000円ずつ手にした。こうして、帰り道、利島兼倶と利島岩男は船橋で寿司を3人分ずつ買って自宅に帰った。2002年が明けると1月1日、欧州12カ国で単一通貨「ユーロ」の流通が開始された。

 1月29日、2001年12月の完全失業率5.6%で過去最悪を更新し年間も5%で初の5%台になった。4月1日第一勧業、富士、日本興業の3行が統合・再編。みずほ銀行誕生した。しかし、システム障害でATM「自動支払機」トラブルが起き混乱した。9月17日、小泉首相が日本の首相として初めて北朝鮮を訪問した。そして、金正日総書記と会談し、金総書記は拉致を認め謝罪した。

 その後、両首脳は国交正常化交渉の再開を柱とする日朝平壌宣言に署名した。小泉首相は日本の植民地支配には「痛切な反省と心からのおわび」を明記した。その一方で、拉致被害者の消息は生存が5人だけとされ、日本側は強く抗議した。9月27日NKK「日本鋼管」と川崎製鉄が持ち株会社「JFEホールデイングス」が発足させた。

 11月には新日本製鉄と住友金属工業、神戸製鋼所が資本提携を発表した。これにより、JFEとともに国内鉄鋼業界は2大グループ体制になった。10月15日、北朝鮮から地相保志・富貴恵、蓮池薫・祐木子、曽我ひとみの5人の拉致被害者が日本に帰国した。2003年が明け、1月18日に天皇が東京大学医学部付属病院で前立腺全摘出手術を受けた。

 2003年5月16日、日本道路公団が否定してきた財務諸表の存在が明らかになり、実際には日本道路公団は、すでに6千億円の債務超過に陥っていた。5月17日、政府が自己資本不足に陥った「りそなグループ」に公的資金を決定。その注入額の合計は1兆9600億円と巨額になった。2004年4月6日の早朝、証券会社の担当者から利島岩男に電話が入った。

 そして、ヤフー株の気配値が140万円と安いと言われた。それを聞き全株、成り行き売り注文を出すと全株売れたと言った。その後、ヤフー株保有中に株式の2分割を5回連続行い株数が32倍に増え税引き後利益が17028万円と教えてもらい驚いた。その5日後、利島岩男が自分の証券口座の残金を調べると21055万円という大金になった。

 7月9日、北朝鮮拉致被害者曽我ひとみさんが家族とジャカルタで再会し7月18日に家族3人と日本に帰国した。2005年1月11日、控訴審の東京高裁「青色発光ダイオード訴訟」で日亜化学工業が発明者・中村修二に発明の対価として約6億円を含む、合計、約8億4千万円を支払うことで和解が成立した。日本では会社の従業員の発明に、こんなに大金を支払った例は、かつてなかった。
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