第7話

文字数 2,317文字

 
 あいかわらず、わたしは夢想を敷衍している――。

 
 わたしの実家は日本列島の西の端っこのほうの地方都市にあって、父は、その町の駅前の古びたアーケード街で本屋を営んでいる。
 祖父がかつてその店を開業した当時、アーケード街は、ずいぶんと賑わっていたという。
 祖母が言うには「若い女の子を何人も従業員として雇って、そりゃ店内は活気で溢れていたもんだよ」ということらしい。
 でもわたしは、その風景を知らない。祖父が亡くなり、父の代になると状況が一変したからだ。いまは、だから、実家の古めかしくて大きな屋敷だけが、それを教えてくれるばかり。
 アーケード街に店舗を構えるうちの本屋の、その周辺の店が、日をおかずして、次々とシャッターを降ろしていく。それは、この国のいたるところで「シャッター通り」と揶揄されている、まさにその通りの姿だった。
 皮肉なことに、日の光を閉ざしたアーケード街は、その光が届かないぶん、より暗さが増してもの悲しい。やがて、その雰囲気は町の隅々にまで伝播して、かつて栄えた商店街はいま、すっかりその面影を失って黄昏色にひっそりと沈んでいる。


 町が閑散となった時代にわたしは生まれ、それが自明のものとして育った。
 金魚鉢の金魚――。
 学生時代、教養課程の文学の授業で教わった言葉。
「金魚が金魚鉢に住んでいることを自分でも知らないようにだな――」
 これは、三島由紀夫の『豊穣の海』の中に紡いであることばだ。それを、文学の教授が、こう講義したのだった。
「――それと同じく、歴史が時代の様式を語るときも、その時代の住人はそれを知らずに生きているという比喩として、彼は、このことばを用いている。そのような様式は、そこに生きている人が好むと好まざるとにかかわらず、後世の人たちのことばで括られると、彼は言うんだ。18世紀の後半から19世紀の中頃のヨーロッパの様式はロマン主義と呼ばれているが、その時代に生きた人こぞって、あたかもそうした感情を持ち合わせていたかのように括られている。三島は、それに疑問を呈しているんだ。それを思えば、われわれが生きている時代は何ということばで括られるのか、実に興味深い」
 そういえば、あの講義を受けているとき、津川公恵も同じ教室にいたんだっけ。
 印象的な過去との繋がりがあるからこそ、三島さんのことばも、わたしの記憶の中にいまでもくっきりと存在しているのだろう。
 好むと好まざるにかかわらず『疲弊した地方』と括られてしまう、わたしの故郷。同じ時代を生きている人たちから、すでにそう括られているのだから、三島さんが言うところの意味とは、多少のずれがあるかもしれない。
 でもわたしは、この『金魚鉢の金魚』という比喩が非常に気に入ってて、認識したときから、馬鹿の一つ覚えのように、ことあるごとに応用していた。
 それで、周の口からこぼれ落ちた『疲弊した地方』を、その比喩を使ってわたしなりに考察してみた。
 地方に暮らす人たちはおそらく、自分たちが『疲弊した地方』という金魚鉢の金魚だという実感は乏しいのだろう。「大都会と比べれば小さな町だな」という、実感はある。かつてわたしもそうだったし、それが周知の事実だった。自分たちは、自分たちの身の丈である金魚鉢の中で、懸命に生きているのだ、と。たぶんそれは、諦観ではなく、前向きな現実として受け入れられてもいるのだ。
 この街に来て周に出逢ったわたしは、状況に距離を置いて眺めることの大切さを知り、ようやくその本質を理解するようになっていた。
 そこで思うのは、同じ時代を生きているのに、生まれ住む場所によって、一方が一方を何かのことばで括ろうとする不遜さだ。
 それはたとえば、かつて先進国が、まだ発展途上の国々を指して後進国と括った不遜さにどこか似ていやしないだろうか。そこに住む人たちは、一人の人間としてそこで懸命に生きているだけなのに、物質的に豊かに過ぎない国の人たちは、彼らを高みから見下し、そう括って悦に入っていた。
 わたしは感じてしまうのだ。『疲弊した地方』という言葉に、その匂いを――。
 あの日の周の言う通りかもしれない。
 この街のニュースの作り手たちは、やはり、独善的なのだ。
 わたしはあの日、周の話にキョトンとしたいたけれど、改めて、祖母や父がいる故郷と向き合うことで、周の言葉の意味を多少なりとも理解出できるようになっていた。
 ただ、それは、後の祭りなのかもしれないけれど……。


「政治家にしたって、ニュースの作り手にしたって、彼らは、この街の繁栄だけにしか目が向いていないんだ」
 周の言葉が、どこかでこだまする。
 結局、『疲弊した地方』を口にする政治家たちは、おためごかしでそう言っているのに過ぎないんだ……ため息交じりに、眉をひそめてつぶやく、周の言葉が。
「俺はね、いまの雑誌でそれを伝えたいんだ。大都市と地方の光と影、疲弊した地方、そんなもんをね」
 大都市と地方の落差。それを伝えようとしてはりきっている、周。それはそれで、わたしは嬉しい。わたしが好きになった男は、立派な人で良かったな、ということで。
 けれど、そんな周の立派な淋しさとちがって、わたしのいまの淋しさは、彼とのちぐはぐな距離感に、あるのだ。
 いまは、二人が結ばれたときと同じ季節。それなのに、わたしにはいま、喪失感しかない。それが、かつて味わった幸福な記憶との距離感を、より募らせている。
 周と過ごした時間。すごく幸せな時間だというのに、わたしはなぜか、それに躓いてしまった。そして、わたしは躓いたまま、ひとりぼっちの部屋で、雨に濡れた迷子の仔犬のように、途方にくれている。


つづく
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