第18話

文字数 1,861文字



 去年の秋――石ころに躓いてできた、しこり。まるで、もつれた糸の結び目のような……。
 結局のところ、わたしはいまでも、それをほぐせないままでいる。 
 くわえて、相変わらず、周は仕事に追われていたので、二人が顔を合わせる時間は、ますます、痩せ細っていた。
 周と出会ったころはあんなにも、毎日のように顔を合わせることができていた。だから、わたしの心はあのころ、幸せで満ちていたものだ。
 それなのに、いまは、ひとりぼっちの寂しい心が道に迷って、毎夜、ベッドに入ってもなかなか寝つけずにいる。そういう夜は、寝返りを打つたびに、思わずため息がもれてしまう。
 そんなふうに、ため息を重ねる夜が最近、両手でも足りなくなっている……。
 
 退屈な一日はあんなに長く感じられるのに、それが積み重なった歳月は、あっという間に過ぎていく。 
 時は、わたしの心の事情にはまるで寄り添ってはくれず、むしろ、遠慮なく、どんどん流れていき、いままでずっと、周と一緒に過ごしてきた楽しいイベント――それはたとえば、クリスマスイブやお正月の初詣などを、一人、寂しく過ごさせている。 
 これって、二人が付き合って、七度目の春を迎えようとしているからなの⁈
 
 こんなふうに、のべつ周が忙しい状況下では、二人の距離の隙間を埋めるきっかけを見つけるのすら、ままならない。 
 やれやれだわ――それを思えばため息がもれる。  
 躓くきっかけとしての石ころは、道のいたるところに転がっているのだが、けれど、仲直りをするきっかけの「何か」は、ちっとも転がっていやしない。 
 なに、記憶を勝手につくり変えちゃってるの――もうひとりのわたしがそう自分に私語きかける。 
 
 ハッと、わたしはわれに返る。そうなのだ。これまでに、仲直りのきっかけとしての「何か」が、一度もなかったわけじゃないのだ。 
 実をいうと、一度だけあったのだった。
 もっとも、そのきっかけにまで、わたしは躓いてしまっていた。情けないことに――。
 結果、二人の心の距離はいっそう離れてしまった、ように思える。 
 そうした苦痛の思い出とまともに向き合ったら、かなりきつい。わたしは、だから無意識のうちに記憶をつくりかえようとしていたらしい……。    
 あれは、春まだ遠い、二月――。ことしの『節分の日』のことだった。 
「ことしの節分の日って、あいにくウイークエンドじゃないんだけどさ……休暇とれるかな、真美?」
 その数日前に、周から、そんな電話があった。
「もちろんよ」 
 二つ返事でうなずいたわたしは「ほら、だって、だれかさんのお陰で有給休暇がたくさんあるもの」と、たっぷり皮肉を込めて笑っていた。 
 わたしは最近、周と過ごせない一日が、どんなに味気なくて、こんなにも退屈で、そしてなにより、これほど切ないものだということを、つくづく味わっていた。 
 そこで、わたしは自らが率先して、課長に、残業や休日出勤を申請するようになったのだ。その挙句、どんどん、有給休暇が足し算されて、いまでは課長に、「おい、岡田くん、有給休暇消化してくれよな」と懇願されるまでになっていた。
「それにしてもめずらしいわね。周がウイークディに休みがとれるなんて」と弾んだ声で、わたしは尋ねた。
「うん、オレ先週、土日を挟んで中国に出張行ってたじゃない」
「あ、うん……最近、周、ちょっと働き過ぎじゃない。身体が心配だよ」 
 身体が心配――むろん、それは本音だった。
 ただ、もう一つの本音が、心の片隅にあった。それは、周が忙しすぎて、いっこうに逢えない、その寂しさや辛さ。でもわたしが、本音を口にすることはなかった。
「うん、でもさ……仕方ないんだよ。飯山さんって、ベテランの記者が病気で倒れちまってね。それで、そのしわ寄せがさ……。まあ、その話は置いといて、そういうことが先週あったからさ、上司が、コンプライアンス上、どこかで有休とれって言ってくれてね。だったら、ってことで、二日まとめて休みもらったんだよ」
「ふーん、そっか。じゃあ、二日間一緒にいられるんだね」 
 やったー! これは、仲直りのきっかけとしての「何か」だわ。 
 そんなふうに、わたしの心はときめいていた。
「どうせなら、節分の日がいいかなって。ほら、だって、真実、一度帝釈天の豆まきに行ってみたいって言ってたじゃない」 
 嬉しかった。もちろん、周と一緒に過ごせるのが嬉しかったのだけれど、それ以上に、周がわたしの想いを胸に刻んでくれていたことがもっと、嬉しかった。  
 
つづく
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み