11
文字数 1,377文字
先生たちと別れ、処方箋をもって薬局へ行くと、向井さんが前回と変わらぬさわやかな笑顔で出迎えてくれた。
「こんにちは、亮くん。薬飲んで具合わるくなったりしなかったかな?」
「はい。大丈夫でした」
「ヒートが起きたりもしてないね?」
「はい」
「それはよかった。ええと、前回と同じ薬だね。ちょっと待ってて」
薬を待つ間も、さっき柏木先生に聞いた話が頭を離れなかった。
付き合っていた女性に不誠実な態度をとるなんて、おれの知っている父さんのイメージには合わない。なんだか裏切られたような気分だ。ふだん父さんのことを考えることなんてほとんんどないというのにそんなふうに感じるということは、おれの中で父さんの存在はそれなりに大きかったということだろうか。
「亮くん」
向井さんがおれを呼ぶ声にはっとして、立ち上がってカウンターへ行った。
「はい」
「また二週間分ね。前回の薬はまだ残ってる?」
「はい。まだ何日分かあります」
「じゃあ、それが無くなったらこっちを飲んでね。何かあったら薬局の方へいつでも電話してくれていいからね」
外に出ると、傘をさすほどでもないような小雨がまだ降り続いていた。晴れているときは輝くばかりの木々の緑も、まったく別物のように翳った表情を見せている。
ずっと黙っていた秀明が、低い声でおれに話しかけた。
「大丈夫だった?」
「え?」
「さっきの話。お父さんと富川さんの」
「ああ。ちょっとショックだった。まさかあの父さんがって感じ」
「亮のお父さんってどんな人?」
「絵に描いたような仕事人間だよ。だから過去にそんなことがあったなんて、とても信じられない。いったい何があったんだろう」
「お父さんに直接聞いてみたら?」
「聞けないよ、そんなこと」
「でも、このままだとどう接していいか分からないだろ?」
「どうせほとんど話さないからいいんだよ」
「そうなんだ……」
そう言って秀明は口をつぐんだ。
きっとこいつは父親と何でも話せる間柄なんだろう。
うちは違う。表面的には何不自由ない幸せな家庭でも中身は空っぽで、かろうじて残っていたわずかな信頼も、壊れてしまったんだ。
夜になっても雨はまだ降り続いているようだった。窓を打ちつける陰鬱な雨音に耳を傾けながら、薄暗い部屋の天井にところどころ小さな染みがあるのを見るともなしに見上げていた。
古びたホテルの一室だった。雨宿りするために彼女と入ったのだ。だけどおれが眠ってしまったから、彼女は先に帰ってしまったみたいだ。直に触れるシーツの感触で、自分が服を着ていないことに気づいた。
ペタリと、足首に冷たいものが触れた。誰かの手のようだ。濡れているみたいに冷たい手が、探るようにペタリペタリと脚に触れてくる。
彼女は先に帰ってしまったものとばかり思っていたけど、まだこの部屋の中にいたようだ。
ベッドが軋んで、彼女が上ってこようとしているのがわかった。
どうやらとても怒っているみたいだ。彼女は何も言わないけど、不思議とそれが分かった。
ここから逃げないといけない。
必死にもがこうとするのだけど、全身を押さえつけられたようにぴくりとも動けず、叫ぼうとしても声が出なかった。
足元の方から這い上がってきた彼女の、黒い頭が視界に入る。おれに覆いかぶさって、じっと見おろしている。顔は長い髪に隠れていてよく見えない。
彼女はゆっくり顔を近づけてきて、おれの首筋に歯を立てた。
「こんにちは、亮くん。薬飲んで具合わるくなったりしなかったかな?」
「はい。大丈夫でした」
「ヒートが起きたりもしてないね?」
「はい」
「それはよかった。ええと、前回と同じ薬だね。ちょっと待ってて」
薬を待つ間も、さっき柏木先生に聞いた話が頭を離れなかった。
付き合っていた女性に不誠実な態度をとるなんて、おれの知っている父さんのイメージには合わない。なんだか裏切られたような気分だ。ふだん父さんのことを考えることなんてほとんんどないというのにそんなふうに感じるということは、おれの中で父さんの存在はそれなりに大きかったということだろうか。
「亮くん」
向井さんがおれを呼ぶ声にはっとして、立ち上がってカウンターへ行った。
「はい」
「また二週間分ね。前回の薬はまだ残ってる?」
「はい。まだ何日分かあります」
「じゃあ、それが無くなったらこっちを飲んでね。何かあったら薬局の方へいつでも電話してくれていいからね」
外に出ると、傘をさすほどでもないような小雨がまだ降り続いていた。晴れているときは輝くばかりの木々の緑も、まったく別物のように翳った表情を見せている。
ずっと黙っていた秀明が、低い声でおれに話しかけた。
「大丈夫だった?」
「え?」
「さっきの話。お父さんと富川さんの」
「ああ。ちょっとショックだった。まさかあの父さんがって感じ」
「亮のお父さんってどんな人?」
「絵に描いたような仕事人間だよ。だから過去にそんなことがあったなんて、とても信じられない。いったい何があったんだろう」
「お父さんに直接聞いてみたら?」
「聞けないよ、そんなこと」
「でも、このままだとどう接していいか分からないだろ?」
「どうせほとんど話さないからいいんだよ」
「そうなんだ……」
そう言って秀明は口をつぐんだ。
きっとこいつは父親と何でも話せる間柄なんだろう。
うちは違う。表面的には何不自由ない幸せな家庭でも中身は空っぽで、かろうじて残っていたわずかな信頼も、壊れてしまったんだ。
夜になっても雨はまだ降り続いているようだった。窓を打ちつける陰鬱な雨音に耳を傾けながら、薄暗い部屋の天井にところどころ小さな染みがあるのを見るともなしに見上げていた。
古びたホテルの一室だった。雨宿りするために彼女と入ったのだ。だけどおれが眠ってしまったから、彼女は先に帰ってしまったみたいだ。直に触れるシーツの感触で、自分が服を着ていないことに気づいた。
ペタリと、足首に冷たいものが触れた。誰かの手のようだ。濡れているみたいに冷たい手が、探るようにペタリペタリと脚に触れてくる。
彼女は先に帰ってしまったものとばかり思っていたけど、まだこの部屋の中にいたようだ。
ベッドが軋んで、彼女が上ってこようとしているのがわかった。
どうやらとても怒っているみたいだ。彼女は何も言わないけど、不思議とそれが分かった。
ここから逃げないといけない。
必死にもがこうとするのだけど、全身を押さえつけられたようにぴくりとも動けず、叫ぼうとしても声が出なかった。
足元の方から這い上がってきた彼女の、黒い頭が視界に入る。おれに覆いかぶさって、じっと見おろしている。顔は長い髪に隠れていてよく見えない。
彼女はゆっくり顔を近づけてきて、おれの首筋に歯を立てた。
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