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文字数 2,830文字

おれははじかれたように和也さんを見た。
和也さんは苦笑を浮かべた。
「暗い顔で黙ってたから」

おれは観念して素直に心の内を話した。
「すみません。だって、おれは男なのに男じゃなくて、能力だってアルファにかなわない。いいところなんて何もないんじゃないかって気がする……」

我ながら卑屈なことを言っていると思い、ばつが悪くなって最後の方は声が小さくくぐもっていた。
和也さんは困ったような笑顔で言った。

「オメガはアルファにかなわない? ぼくの知ってるかぎりそんなことはないはずだけどな。たとえばぼくのパートナーも二人の息子たちもアルファだけど、それぞれ苦手なこともあるし、決して完璧なんかじゃないよ。ね、秀くん?」

「その言い方はひっかかるけど、おれもそう思うよ。アルファは基本的に体がでかくて体力と運動能力が平均を上回ってることは事実だけど、知的能力や芸術センスとかに違いはないんだ。ただ、負けず嫌いはたしかに多いかもな」

和也さんもおれを元気づけるように明るく言った。

「亮くん、アルファとオメガの間に優劣なんてないよ。亮くんは急にオメガって言われたから、アイデンティティが揺らぐのは無理ないけどね。だけど少なくとも社会的には、今までどおり男性として生きていくことになるよ。この先だれかと子どもを作る場合、相手に産んでもらうんじゃなくて自分が産むことになるということ以外は、何も変わらない」

二人に励まされて上向きになりかけていた気持ちが、自分が産むという言葉を聞いたとたんに、また不安でいっぱいになって沈みはじめた。

「それってけっこう大きいことだと思うんですけど……。そもそも、産むのって平気なんですか? 骨格的には男性なんでしょう?」

「うーん……。平気というわけではないかな。脅すわけじゃないけど、かなり痛いよ……。でも男性オメガの子宮は女性よりずっと小さくて、赤ちゃんも小さく生まれてくるからなんとかなるんだよ。妊娠期間も八か月くらいだし」

「それで赤ちゃんは大丈夫なんですか?」

「うん。不思議とすくすく育つんだよね。一年もすると同じ時期に生まれた赤ちゃんと変わらないくらい大きくなるんだ」

「でも会社を休まないといけないですよね? なんて説明したんですか?」

「ぼくの場合は病院にヘルニアの診断書書いてもらって三か月ほど休んだけど、やっぱり周りにはちょっと気を遣うよね。あと、太ったと思われてたのがちょっと恥ずかしかったかな。まあそういうのも含めて貴重な経験だったけどね」

「じゃあ和也さんは、オメガに生まれてよかったですか? アルファやベータよりも?」

「そう思ってるよ。オメガでなければできない、特別な経験ができたからね。もちろん同じオメガでも、そのへんは人によって違うよ。ぼくの親戚や知り合いにはオメガ男性が何人かいるけど、それを不満に思ってる人もいれば満足している人もいる。それはベータやアルファでも同じじゃないかな。結局はその人次第ってことだよ」

その言葉も笑顔も晴れ晴れとしていて、おれを安心させるために嘘をついているわけではなく、心の底からそう思っているのだと感じた。

「あのさ、亮。おれは子どものころ、ベータだったらよかったのにって、思ってたことあるよ」
秀明がおれの反応をうかがうように言葉を切りながら言った。

「え? どうして?」

「小学生のころ、空手習ってたんだ。周りの友達はみんなおれより小さくて力も弱くて、おれは中学生とやってやっと互角くらいだった。だけど大会では小学生同士で対戦するから、いつもおれが優勝してた。でもそれはおれがアルファだからで、なんかズルしてるみたいで、嫌になって辞めたんだ。同じ理由で他のスポーツもする気になれなかった。おれがベータだったらこんな思いしないで、思いっきりやりたいことができるのにって思ってた」

秀明の声はいつもと違って弱々しく沈んでいた。アルファには苦労なんてないと思っていたけど、秀明も孤独を抱えているんだ。

「そうだったんだ……」

「ぼくが言うのもなんだけど、秀くんは優しいんだよ」
和也さんが愛おしそうに秀明を見て言った。

「べつに普通だよ。まあ母さんくらい能天気だったら、アルファだろうがオメガだろうが気にならないよな」
秀明が目も合わせずにそっけなく言う。たぶん照れ隠しだ。

「まったく秀くんはツンデレだなあ。母さんのこと大好きなくせにそんなこと言って」
和也さんは秀明の頭を乱暴にくしゃくしゃかき回し、秀明はその手をうるさそうに払いのけた。
「おれの話はもういいよ。亮は他に聞きたいことないの?」

「ええと……」
聞いてみたいことはあったけど、デリケートな問題かもしれないので少し迷っていると、
「どうしたの? なんでも聞いてね」と和也さんが言ってくれたので、思い切って尋ねることにする。

「出生届って、どうしたんですか?」

「ぼくの姉の名前で届けた。母親の欄に男性の名前を書くわけにはいかないからね。そして戸籍上は養子ということになってるよ」

和也さんの笑顔にさみしそうな影がよぎり、声のトーンも一段低くなったので、聞いてしまったことを後悔した。

「そうなんですか……」

「表向き、姉の子をひきとって男性のパートナーと育ててることになってるんだ。ぼくはそれでも幸せだったけど、子供たちにはつらい思いをさせてしまったかもしれない。理解ある人ばかりではないからね」

秀明がすかさずフォローを入れる。
「おれも兄ちゃんもそれでいやな思いしたことなんてないよ。形式的なこととか、人にどう思われるかとか、全然興味ないから」

「ありがと、秀くん」
和也さんの声は涙をこらえているように聞こえた。

この親子は本当に仲がよくて、お互いを思い合ってるんだ。
先日の父さんとの言い争いや、しずかで冷たい自分の家の空気とつい比べてしまい、うらやましいようなさみしいような複雑な気分だった。

「あとは、亮くん? なんでも遠慮しないで聞いてね」

「ええっと……。たぶん、今のところ聞きたいことは全部聞いたと思います」

本当のことを言えば、つがいというものについても聞いてみたかった。つがいになる相手とはどういうふうに出会うかとか、つがいになるってどんな感じなのかとか。だけどなんとなく恥ずかしくて言い出せなかった。

「そう? じゃあ何かあったらいつでも相談してね」

「はい。今日は本当にありがとうございました」

「どういたしまして。ぼくも楽しかったよ。でもまだ帰るには早いでしょ? せっかく来たんだからゆっくりしていってよ」

「じゃあ、おれの部屋行ってゲームでもするか?」
そう言って秀明が腰を浮かせようとすると、
「待って、秀くん!」
と、和也さんがするどく呼び止めた。

「なに?」

「ド、ドアは開けておきなさいね……?」

「な……言われなくてもそうするつもりだよ! 余計なこと言うなよな!」
秀明が声を荒げた。

そのやりとりの意味するところを察したおれは、何と言っていいか分からず、うつむいて視線をさまよわせた。



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