第26話 馥郁《ふくいく》たる花

文字数 2,671文字

世界がぐるりと反転した。
「・・・・わわわっ!?」
驚いて五十六(いそろく)が座り込んだ。
虎が、(たまき)高久(たかく)を背に乗せた。
突然、周囲が真っ暗になった。
ぐるぐると映像が回りだす。
炎が円状に灯り周囲に光が《あふ》溢れ、花々が咲き乱れた。
「うっお!すっげ!3Dマッピングじゃんっ」
「うむ。あれは面白いな。これはまあ4Dマッピングというところか」
触れてみよ、と言われて(たまき)はそっと花に手を伸ばした。
花房が瑞々しい。
「本物みたい・・・」
その花はなんとも馥郁(ふくいく)たる香りがした。ほんのり薄紅を浮かべて、その艶のある丸みを帯びた姿は花というより果実のよう。
姿も香りも沖縄で見た月桃の花に似ている。
「美しかろう?・・・ひとつやろう」
りん、と鈴のような小さな音を立てて、花が(たまき)の手の中に落ちてきた。
「なんだよ、四次元空間か?ドラえもんかよ。すげーっ。なあなあ、あんたってほんとは神様とか仏様じゃなくて、未来から来たんじゃねえの?」
「違う違う・・・。言っておくが、二十二世紀にあんな便利な猫型ロボットはおらんからな。宿題は自分でしろ。寝坊したからと行ってドアオンドアで学校には行けないぞ」
「マジかよ!?じゃ、空はいつ飛べる?でっかくなる懐中電灯は?なあなあ?」
「ああもう・・・うるさい・・・」
毘沙門天(びしゃもんてん)が手であれ見ろ、と示した。
「暗くて見えない・・・」
(たまき)が目を細めた。
見えるのは暗闇ばかり。
「何もないじゃないのよ?」
「いや、あれ!」
うえ・・と、高久が声を漏らした。
何か黒い物が沢山蠢いていて、見えないのだ。
「・・・私、ああいう節足動物みたいの苦手・・・」
「俺も。ゲシゲジとかムカデとかよ。キモいよな。うおー、ザワザワする」
「うむ。儂もじゃ。・・・で、あそこにお主らは行く事になる」
何と言った?
「は?」
「え・・・?あ、あんなとこで何の修行するわけ・・・」
「いやいや。修行ではない。規格外の魂というのは、存在して良いものではないからな。そなたらのわかりやすいイメージで言えば、自然界で野生動物の死骸がいろいろな動物や植物によって淘汰されていくだろう。あれに近い」
高久は絶句して肩で息をするのみだった。
「・・・哀れと言えばまさに哀れじゃ。だがそれが、(ことわり)というも・・・」
(たまき)は、虎の抱えていた一升瓶をもぎ取ると、毘沙門天(びしゃもんてん)に向かって投げた。
「ひいっ!」
毘沙門天(びしゃもんてん)が驚いて頭を抱えて転げ回ったおかげて、一升瓶は当たらず、闇の奥に吸い込まれていった。
「冗談じゃないわよ!そもそもあんたのケアレスミスじゃないのよ!?あんたが行きなさいよっ」
「ああ、ご新造、そんな大きな声で騒いだら、誰かに、き、聞こえる・・・」
虎がグローブのような大きな手で(たまき)の口を塞いだ。
その合間から、(たまき)は口をこじ開けた。
「ちょっと離してよっっっ!口に毛が入るじゃないのよっっっ」
「ご新造、心を静めよ・・・」
「・・・改宗してやる・・・・」
「は?」
「こんなアホなこともうたくさんだわ!ちょっと、どう責任とってくれんのよ!!とれないならわかったわよ。他の宗教で熱心に活動してやるわ!」
「な・・・、昨今、仏教離れが叫ばれて久しいのに・・・、それは・・・困る・・・」
「改宗理由は、あんたのせいって言ってやるっ。そうだっ。ウチの学校キリスト教だから、キリスト教にしよう。大手だし、シェア率高いじゃない。私、明日にでも洗礼してもらう。もうお寺も神社も行かないからねっ。もーたくさん!」
「うわわわわ・・・待ってくれ・・・。神社庁にも何と言えばいいのじゃ・・・」
「自分のせいだって言ったらいいじゃないっ!」
マックユーザーが、不具合の多さにウィンドウズユーザーに転向する一幕のようだ。
しかし。ウィンドウズには、高確率でウィルス感染という懸念もあるのだ。
結局、全てが満たされることはない。
「先生・・・落ち着いて・・」
五十六(いそろく)が珍しく冷静だった。
「落ち着けるか!私、ああいうの嫌って言ったでしょ!キンチョール何本必要なのあの量っ!?
「・・・キンチョールじゃどうにもならんぞ・・・」
「うるさいっ。自分が出来ないことを、なんで人に押しつけるのよ!」
そう言った(たまき)の憤怒の表情に、鬼神のような女上司が重なって、毘沙門天は、ひぃ、と小さく悲鳴を上げた。
PTSDになりそうだ。
「・・・わわわわ、わかった。もう一度、そなたらの魂が体を離れた時にはわしが必ずや元にもどす。約束しよう」
「ほんと!?絶対よっ!?嘘つかないでよっ!!ねえ、ちょっとっ!ちゃんと、私のっ、目を見てっ、言えないのっ!?
「う、うむ・・・。ああ・・・わかったからそのように追い詰めるな・・・。おなごはそうやって男を追い詰めるから、男はいたたまれなくなって逃げ出したり、心を閉ざすのじゃ・・・」
「うん。それはあるな。先生、おっさんの言うことも一理あるわ。ほんで女って、突然、拒否すんだろ。なんで言わないとわかんないの、もういいとか言って。先生んちも、だから旦那帰ってこねーんじゃねえのー。・・・あ、・・・なんでもないです・・・」
(たまき)(にら)みつけられて、五十六(いそろく)は視線をずらした。
「・・ああ・・地雷を踏むでないわ・・・。帰ろう。な、少年、帰ろう」
ぱん、と毘沙門天(びしゃもんてん)がまた手を叩いた。
「あ、お待ちくだされ。先ほどの般若湯(はんにゃとう)を・・・」
と、虎がしゅるんと尻尾を伸ばし、どこかに飛んで行ったはずの一升瓶を取り戻した。
「そうそう。明日から十月じゃな。儂は正月の福の神としての仕事もあるゆえに、神々と共に、出雲様への寄り合いがあるでの。新暦でも神無月(かんなづき)の間は、呼ばれても行けぬので、そのように心得(こころえ)よ」
「ええ!?ちょっと!無責任にも程がある!」
「まあ、先生、落ち着いてよ。とにかく、よかったじゃん。で、その体から魂が離れるってのはどうすればいいわけ?」
「それはまあ、各々工夫して欲しい。そこから手を貸すことは、本当にまずいのじゃ・・・いや、本当に、最大限譲歩したわけであるからして・・・」
声が遠くなり、一瞬で、あたりはもとの境内へと変わり。
(たまき)が、はあーっとため息をついた。
空高くそびえる高層ビルの赤いライトが見えた。
「ねぇ、もうさあ、あのあたりのビルからでも飛び降りてみる?」
五十六(いそろく)がぶんぶんと首を振った。
そんなことしたら、体が元に戻ったとしても、そのままバラバラになって死んでしまうではないか。
「だよねえ・・・」
手に握られていた夢のように美しい花が、りん、とまた音を立てた。
不思議なことにその花は、寺の敷地を出た瞬間に香りだけ残して消えてしまった。 
「・・・消えちゃった。・・・勿体無い。食べちゃえばよかった」
なんとなくそう口から出た。
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登場人物紹介

◇ 金沢 環 《かなざわ たまき》


私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんがくえん》の、養護教諭。

いわゆる保健のおばちゃんながら、人手不足の為に担任も持たされている。

日々、クラスの男子高生に手を焼いている。

世間に疲れ始めた30代前半。


既婚。夫は警察官。

都内の夫の実家で夫の母と別世帯の二世帯同居。

◇ 高久 五十六 《たかく いそろく》


私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんがくえん》の高校2年生。

態度が悪いが、父親が大手商社のCEOで、大口寄付をしている為、学校側に忖度《そんたく》されて野放し。

5月16日生まれなのが名前の由来。

ブランドモノを好むが服のセンスは悪い。


父と兄がいる。

◇金沢 諒太 《かなざわ りょうた》


環の夫。警察官。

激務で不在がち。

◇ 一ノ瀬 紫《いちのせ ゆかり》


私立旭鷲山学園の音楽教師。

吹奏楽部顧問。

音大出身で、学園長の姪。


環の同僚。

環の事は好きなタイプではないので、あまり積極的に関わっていない。

同性の友人が少ないタイプ。

◇ 白鳥  学  《しらとり  まなぶ》


私立旭鷲山学園 二学年の学年主任。数学担当。

教頭候補。

進学特進クラスの担任。


親の七光くクラスと揶揄される、環《たまき》のクラスの生徒をよく思っていない。

◇ 一ノ瀬 幸太郎 《いちのせ こうたろう》

私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんこうこう》の学園長。


紫《ゆかり》の叔父。

◇  高久 一三 《たかく かずみ》


五十六《いそろく》の兄。

家業の高久商事に勤務して居るが、就職以来、度重なる転勤と出張の生活。

実家にはあまり寄り付かずに、本社の近くにマンションも所有して居るが、そもそも転勤ばかりしている為にそこにも居付けない。

名前の由来は一月三日生まれ。

◇ 高久 九十九 《たかく つくも》


高久商事のCEO。

一三《かずみ》と五十六《いそろく》の父親。

出張が多く、不在がち。

まだ学生の五十六《いそろく》の事は、家政婦のしなのに任せて居る。


早くに結婚したが離婚。

九月十九日生まれが名前の由来。

◇ 青柳 倫敦 《あおやぎ ともあつ》


海天堂病院の心臓外科医。

五十六《いそろく》が子供の時からの主治医の一人。


伝説のゴットハンド ドクター 鬼首 静香《おにこうべ しずか》 通称鬼の静香《おにのしずか》女史の弟子。

◇ 三条 昭和 《さんじょう あきかず》


美容師。

紫《ゆかり》が長年通って居るサロンのオーナー。

通称アキラ。

異性交友関係が派手。

◇ 毘沙門天  《びしゃもんてん》


仏神であり、天部四天王。

五穀豊穣や家内安全等の信仰を担う七福神の一人でもある。

激務の為、しばし休憩しようとした場所で、環《たまき》と五十六《いそろく》と出会い、手違いを起こす。

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